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テレビゲームがいじめの原因の一つと言われる ゲームではリセットボタン一発ですべてチャラになる

テレビゲームがいじめの原因の一つと言われる ゲームではリセットボタン一発ですべてチャラになる


1: ブリティッシュショートヘア(埼玉県)[] 2012/10/28(日) 22:11:07.33 ID:5fSks4GkP

還暦を迎え、最近立て続けにクラス会があった。中学2年と高校のクラス会だがどちらも四十数年ぶり。白くなったり、薄くなった互いの頭を眺め、最初は「誰だったっけ」と引き気味だったが、すぐタイムスリップ。ため口で話し合う当時に戻った


あの頃にもいじめはあったが、いじめられたりいじめたりで、特定の人がいつもということはなかった。今のような陰湿さもなかった。何よりも悪いことをしているという自覚があったように思う


テレビゲームがいじめの原因の一つと言われる。ゲームではリセットボタン一発ですべてチャラになる。そんなことを繰り返していると、人生のさまざまな場面で「都合が悪くなったらリセット」という感覚になってしまいそうだが、実際のリセットは簡単ではない。やり直したいことも、やり残したこともたくさん抱えたじいさんの集まりだった。【山盛均】

毎日jp/岐阜
http://mainichi.jp/area/gifu/news/20121028ddlk21070048000c.html
スレ元
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1351429867/
[ 2012/10/28 23:34 ] 未設定 | TB(0) | CM(1)

知ってる?40年払って月6万5000円<<<ナマポ12.5万円 国民年金の納付率過去最低58.6%

知ってる?40年払って月6万5000円<<<ナマポ12.5万円 国民年金の納付率過去最低58.6%


1 + 1: ジャガー(東日本)[] 2012/07/06(金) 13:42:00.64 ID:6z4F6NCX0

厚生労働省は5日、2011年度の国民年金保険料の納付率が過去最低の58.6%だったと発表した。
前年度を0.7ポイント下回り、6年連続の低下。過去最低の更新も4年連続。収入の少ない非正社員の増加や年金制度への不信感などが背景にあるとみられる。

納付率は、保険料が払われた合計月数を本来払うべき合計月数で割ったもの。11年度末の国民年金の加入者数(1号被保険者)は1904万人で、そのうち未納者は320万人。ほかに未加入者が9万人いる。

日本年金機構は昨年秋から、会社員の夫に扶養され保険料を払う必要のない3号被保険者だった主婦のうち、夫の退職後に1号被保険者への切り替えをしていなかった人などについて、切り替えを進めている。そのため、過去に払っていなかった保険料の支払いが生じ、その分の納付が追いついていないことも納付率を下げた一因とみている。

http://www.asahi.com/politics/update/0705/TKY201207050487.html

生活保護:12.5万円・医療や交通費まで免除
年金:6万5千円・家賃と医療費やら全て自腹

スレ元
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1341549720/
[ 2012/07/06 17:34 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

【ボクシング】激闘の八重樫「右目が少し見えるだけ」【画像】

【ボクシング】激闘の八重樫「右目が少し見えるだけ」【画像】


1:やるっきゃ騎士φ ★[] 2012/06/21(木) 15:15:28.45 ID:???

20日のボクシングWBC・WBA世界ミニマム王座統一戦で井岡一翔(井岡)に敗れた八重樫東(大橋)が21日、一夜明け会見を行った。

「右目が少し見えるだけ」という両目の周りが大きく腫れた状態で登場。
「いろいろ考えましたけど、悔しいです。井岡君はハートも強かった」と、激闘を振り返った。
今後については「この試合で、まだまだ強くなる可能性があることを知ってしまった」と話し、現役続行に強い意欲を見せた。

ソース
http://www.daily.co.jp/newsflash/2012/06/21/0005152890.shtml
スレ元
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1340259328/
サングラスを外し、腫れた両まぶたを公開した八重樫東=大阪市内のホテル
痛い
[ 2012/06/21 21:58 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

【速報】梶原のおかんも生活保護!?

【速報】梶原のおかんも生活保護!?

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 2012/05/29(火) 04:19:57.18 ID:31iWEY8z

河本

お笑いコンビ「次長課長」の河本準一(37)の母親が生活保護を15年間受給していたことが問題となった中、同じ吉本興業所属のお笑いコンビ「キングコング」の梶原雄太(31)の母親(63)が昨年3月から生活保護を受給していることが28日、分かった。祖母の介護とパート先を失ったことが重なり、福祉事務所に相談し受給が決まった。母親の住居のローンを全額負担している梶原は「今年8月に完済したら、受給を打ち切ることにしていた」と話している。

梶原は都内でスポニチ本紙の取材に応じ「誤解をされたくないし、隠すこともないので自分から全てお話ししたい」と受給の経緯と事情を説明した。

母親への受給が始まったのは昨年3月。祖母の介護をしながら弁当店で働いていたが、その会社が倒産して収入がなくなった。その上、足を骨折し、年齢的にも働き口が見つからなくなったのがきっかけ。梶原によると、母親が知人に相談したところ福祉事務所に行くことを勧められた。そこで「祖母ではなく、あなたが生活保護の受給者になった方がいい」とアドバイスをされ、梶原ら親族の経済状況の申告書類を提出後、受給が決まった。

ソース:スポニチ Sponichi Annex
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/05/29/kiji/K20120529003348840.html
[ 2012/05/29 07:00 ] 未設定 | TB(1) | CM(1)

【国際】 学校帰りに襲われ意識不明で倒れている女子高生を、警官が「凍死のホームレス」と判断→用水路に遺棄される…中国

【国際】 学校帰りに襲われ意識不明で倒れている女子高生を、警官が「凍死のホームレス」と判断→用水路に遺棄される…中国


1:☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ば ぐ 太☆ Mkつーφ ★[off_go@yahoo.co.jp] 2012/03/21(水) 16:13:18.56 ID:???
★意識不明の女子高生を用水路に遺棄 中国 警官がホームレスと判断

・中国メディアによると、安徽省亳州市で、暴漢に襲われて意識不明となった被害者の女子高生(18)を、警官が死亡したホームレスと判断し、女子高生が用水路に遺棄される事件が起きた。女子高生はその後救助され一命をとりとめたが、インターネット上で大きな波紋が広がっている。

 報道によると、女子高生は今月11日、学校から帰宅途中に暴漢に襲われた。
 村民が12日、用水路に血だらけで倒れている女子高生を発見し警察に通報した。
 現場では「まだ息がある」との声もあったが、警官は凍死したホームレスと判断。
 その後、地元政府当局者が手配した車の運転手が、女子高生を別の市の用水路に遺棄していたという。

 同当局者が火葬場に移送するよう指示したとの証言もある一方、運転手に金を渡し村の外に運び出すよう命じたとの情報もある。事件にかかわった警官らは当局の取り調べを受けているという。

 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120321/chn12032114190001-n1.htm
[ 2012/03/21 19:35 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

【国際】李大統領の強気、韓国世論と選挙への弱気が裏に


1:再チャレンジホテルφ ★[] 2011/12/18(日) 22:44:32.00 ID:???

 韓国の李明博大統領が18日、いわゆる従軍慰安婦問題に関し、野田首相との首脳会談で発した言葉は、同席した韓国政府幹部も「予想を超えた強いレベル」と驚くものだった。

 残り任期が約1年となって求心力が低下する大統領にとって、国内世論に気配りしなくてはならない事情がある。

 李大統領は就任後、一貫して「成熟した日韓関係」を重視し、慰安婦や日韓が領有権を争う竹島(韓国名・独島)問題で目立った言及を控えてきた。それが今回、大きく転換した。

 韓国では、来年12月の大統領選に向けた与野党間の駆け引きが活発化している。
米韓FTA(自由貿易協定)批准案の国会強行採決は国民の反発を買い、与党内ではこのままでは選挙を戦えないとの危機感が強い。

(2011年12月18日20時35分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20111218-OYT1T00569.htm
スレ元:http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1324215872/
[ 2011/12/19 09:09 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

【野球】ファウルボール直撃で視力低下 宮城県の男性、二審も敗訴

【野球】ファウルボール直撃で視力低下 宮城県の男性、二審も敗訴


1 :THE FURYφ ★:2011/10/14(金) 17:15:22.56 ID:???0
クリネックススタジアム宮城(仙台市)の内野席でプロ野球観戦中にファウルボールが右目を直撃し視力が低下したとして、宮城県の男性(49)が主催者の楽天野球団などに約4400万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は14日、請求を退けた一審仙台地裁判決を支持、男性側の控訴を棄却した。

判決理由で田村幸一裁判長は、フェンスが内野席全体に設置されていることなどを挙げ「球場が通常備えているべき安全性を欠いているとは言えない」と指摘。また、「内野席フェンス上のネット部分を取り外す球場も出てくるなど、プロ野球観戦では臨場感が本質的な要素だ」と述べた。

判決などによると、男性は2008年5月、球場の三塁側で観戦。ビールを足元に置いて顔を上げた際、ライナー性のファウルボールが右目を直撃した。

http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/10/14/kiji/K20111014001819750.html
[ 2011/10/14 19:51 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

紋章憑き~第六章【厄介な意地】

  第六章【厄介な意地】

「……朝、か………………はぁ……」
 朝。あまり眠れなかった。昨日一日、色々と有りすぎた。眠りに落ちる直前まで、ずっと隼人とのキスシーンばかりを思い浮かべては体を火照らせていたのだが、目覚めて早々に隼人とのキスシーンをまた思い出したナスターシャは真っ白な枕を抱いて「ううぅぅ……」と唸り悶える。
 キングサイズベッドの上をゴロンと転がってはブツブツブツ、ゴロンと転がってはブツブツブツ。そしてまた枕に顔を埋めては唸っては悶える。細く綺麗な髪の毛は乱れに乱れ、グレー色のアダルトチックベビードールは豪快に裾が捲れて下着が露わになるが、部屋にはナスターシャの他には誰も居ない。だから全く気にしていない。
「はしたないですよ」
 俯せの格好で枕に顔を埋めたナスターシャはモソモソと裾を戻すと、半分ほど顔を起こす。
「……ミュアブレンダ」
「なんですか」
「……私はおかしくなってしまったのだろうか……」
「いきなりですね。一体どうしましたか?」
「……したいんだ」
「はい?」
「……ハヤトと、また口吻がしたい……されたい……したい……はぁ……」
 そう言ったナスターシャはどこかポーッと惚け、またボフっと枕に顔を埋めた。
 何ともいやはや。人間、恋をするとここまで変わってしまうものなのか。違うか。ナスターシャだからか。『掟』に縛られ続けていたナスターシャ故の反動かもしれない。けど、だからといって、それで結論づけていいものか。とミュアブレンダはらしくなく優柔な思考に終始した。
「まあ、おかしくは……なっていないのでは? 恥ずかしいことですが私自身、恋愛というものに少し疎いところがあるのでハッキリと言えないのですが……それも、恋というものがもたらす一つの作用なのでは?」
 ナスターシャはまた枕に埋める顔を半分ほど起こす。
「……アカトキ、ハヤト、か。なあミュアブレンダ。ハヤトは私に惚れてくれるだろうか?」
「それはあなたの頑張り次第としか言いようがありません」
「う……そ、それはそうだが、頑張れと言われても具体的に何をすればいいのか皆目見当がつかんのだ」
「そこまで難しく考える必要もないかと思いますよ? 私の見た限りでは、アカトキさんは性欲にとても忠実な人間かと」
「わ、私に娼婦のマネをしろと言うのか!?」
 ナスターシャは勢いよく顔を上げた。
「平たく言えばそうです。ですが、それはあくまでも奥の手的な位置づけですよ? 起死回生の手段があると分かっていれば、焦ることも少なくなるし、何より、体の誘惑に弱いということが分かっていれば、そこを利用して崩しに掛かることも出来るはず」
「誘惑に弱いことを利用?」
「単純なことです。そそる女性に変わればいいのです。今のままでも、アカトキさんは十分あなたに魅力を感じていると思いますが、所詮それは世の男性があなたに感じている魅力と同質のもの。もう一押し二押しの、よりアカトキさん好みの容姿に変わる必要があると思います。アカトキさんだけの、アカトキさんだけに向けた魅力を構築するんです。――幸いなことに今日は一日ずっと、アカトキさんの明日の準備に付き合うことになってますから、その時にでも好みの女性について色々聞いてみるといいのでは?」
「な、なるほど。で、でも、たかが格好に変化を付けたところで、ハヤトの心は動くものなのか?」
「……それは何とも言えませんが、相手の持っている趣味嗜好の部分を攻めるのは悪くない方法だと思いますよ?」
 一時考え、考えを落ち着かせるとナスターシャはゴロンと仰向けになった。
「……お前が語ると説得力があるな。さすが『神』ということか」
「過信されても困ります。先ほども言いましたが、恋愛に関しては『神』だから絶対という導きは出来ませんよ」
「それでもだ。何一つ恋愛のイロハを知らぬ私からしてみれば、ミュアブレンダの存在は大変にありがたい」
 ナスターシャが寝ていた身を起こす。ようやくの起床。
「やれることからやってみるとするか。ミュアブレンダ。お前にはこれからも色々と助言を仰ぐことになると思うが、よろしく頼むぞ」
「それは勿論です。こうなってしまった原因を作ってしまったのは私ですから、求められれば、出来る限りの知恵をお貸しします」
「……そういやそうだったな」
 ナスターシャはベッドから降りると着替えのため、ドレッシングルームへと向かった。

 朝。窓の外の景色はまだ薄暗さが残っている。いつもだとまだ寝ているはずの時間帯。隼人は起きていた。予期せぬ携帯電話の着信音で起こされた隼人は上半身が裸のまま、備え付けられたテーブルに座って話をしていた。
「ん? ……ああ、ああ……ああ。そうだな……ははっ、そんなんじゃねーよ。馬鹿か、お前は。……いや、まあ、そうだけどよ……ああ……分かってるよ。まあ……そんなわけだからさ、まだ当分迷惑かけるけど、頼むわ。お前から何とか上手いこと言っといて。ん、マジ悪いけどな……ん、ああ……そんじゃまたな……ああ」
 通話を切った隼人は、何も表示されていないディスプレイをジッと見つめる。
 やがて溜め息を吐いた隼人は携帯をテーブルに置くと、イスに座ったまま背中を反るように大きく伸びをした。
 イスが後方にぐらつき、隼人は背中から床に崩れた。「いてっ」と一言言っただけで、隼人は倒れたままの体勢を整えることをせず、天井を無言で見つめる。
「何ボーッとしてんのよ。変なカッコのままで」
 ラルファが声をかけてきたが、隼人はそれでも無言で天井を見つめたままだった。
「……どうしたの? ……今、誰かと話してたけど、それが原因?」
「……ん。いや、別に何でもねーよ」
 隼人は立ち上がり、倒れたイスを起こすとテーブルの上から携帯電話を取りズボンのポケットへしまい込んだ。そのズボンは今まで隼人が履いていたジーンズから黒を基調にしたズボンに変わっていた。
「何よ、それ。気になるでしょ。言いなさいよ。一体誰と話してたのよ」
「うっせーなー。だから何もないって。いつもの妹だよ。いつもの妹からのいつもの行方探しの電話」
「妹? なんでその妹と話して、今回に限ってそんな変な感じになるのよ」
「だから何もないし、変になるって失礼な。ただ少しだけ、『なんだかなー』って思っただけよ」
「『なんだか』ってなによ」
「……お前ってホント細かいとこ気にするヤツだな」
 隼人は苦笑いを浮かべた。
「ま、別にいいけど。――ただ単に時間は普通に流れてるんだなって思ってただけ」
「どゆこと?」
「そのまんまの意味。オレが向こうに戻ったとき、周りは結構変わってるんだろうなって思ったの。コッチに来て経過した一ヶ月ちょっとの時間、やっぱり向こうも同じように進んでるんだなって、妹と電話してて改めて実感した。うらしま太郎状態ってやつか?」
「うらしまたろう? なにそれ」
「おとぎ話の主人公の名前。てか、おとぎ話って言葉、この世界にあるか?」
「……伝説的なもの?」
「伝説……っていうか、んー……創作話? ……まあいいや、面倒だから端折る。で、そのうらしま太郎って主人公。そいつがな、今回のオレみたいに別の世界、海の底にある竜宮城ってお城に行くんだわ――」
 隼人はソファに置いてある、昨晩この部屋に案内された時に、案内役の侍女から渡された、恐らく今隼人が履いているズボンとセットであろう、同じく黒を基調にした服二枚を手に取り肩にかけると、そのまま部屋の入り口である扉へと歩いていく。
「ちょっと、どこ行こうってしてるのよ」
「さーんーぽ。目が完璧に覚めたからな」
「うらしまたろうの話終わってないじゃない」
 自分の知らない世界の話が途中で、全てが聞けずに終わろうとしていることに、ラルファは不満気味だ。
「そんなもん歩きながらいくらでも出来るだろ」
 そう言って隼人は部屋を後にした。

 勝手知らぬ、まるで迷路のような廊下を気の赴くままに、おとぎ話の続きを話しながら隼人は歩いていた。
 途中、城内警備に就いてる衛兵に至る所で不審がられたりもしたが、皆、隼人の着ている服に目がいくと慌てて姿勢を正し一礼すると、自分の持ち場へと戻っていった。
 そんな中、話も終えようとした頃、窓の外に何かを捉えた隼人は、一歩二歩と通り過ぎた足を戻し、窓の外を見た。
 人の姿があった。
 大きな剣を一心不乱に振り回していた。それにはどこか魅入るものがあった。振り回す大剣に、逆に体が持っていかれて振り回される様も、流れに身を任せると言うのか、計算されているように見えた。
「――てな話。分かった?」
「へぇ……」
「うらしまの場合とオレとでは時間の流れ方が全然違うんだけどな」
「……隼人は、来て後悔してる?」
「まさか。たまにブルーになったりすっけど、それ以上に楽しませてもらってるよ」
 話すのもそこそこに、隼人の意識の殆どは外に向けられていた。何故? 知った人間だったからだ。一心に剣を振る男、それは鎧を脱いだスミノフだった。
「……ホント?」
 気持ちを探るような、不安の混じったラルファの声に、外に向けられていた意識も一時戻ってきた。
 もしラルファに姿があったなら、隼人は不安を払拭させる意味を含めて、その頭をポンと撫でていただろう。
「ウソじゃねーよ。しおらしくなっちゃって、らしくねーぞ」
「う、うっさいわね! なってないわよ。ふ、ふん、いいこと? 隼人は目的を達成するまでは元の世界には帰れないんだから。しっかり覚悟決めておきなさいよ」
「へいへい」
 隼人は肩を竦めてみせると、視線を窓の外へと戻した。
「? さっきから外ばっかり気がいってるみたいだけど、いったい何よ?」
 ラルファは隼人の視線の先を追ってみた。
「――あら、あれって昨日隼人がやっちゃったヤツよね」
「ああ、そうだな。……こんな朝早くから一人頑張ってるよな」
「そんだけ隼人にやられたのが悔しかったんでしょ。それも大勢が見てる前でだもの」
「……かもな。でも、昨日やったときと全然動きのキレ、早さが違うぞ? なんだ、あの無茶苦茶な剣捌き」
「そりゃそうでしょ」
 さも当然と言わんばかりの口調で言うラルファ。
「は? そうでしょって……お前、なんでか分かるのか?」
「彼、今は縛られてないもの」
「縛られてない?」
「そうよ。恐らく昨日装備していた鎧にでも、力を抑制する魔法が掛かってたんじゃない?」
「なんでそんなことしてんだ?」
「それは私には分からないわよ。本人に聞いてみなさいよ」
「いや、それはしないけど」
「それに、彼……今気付いたけど、ライカンスロープよ」
「ライ……カン? ……そ、それって、狼男か?」
「先天的なものか……それとも狼憑きなのか。……もし前者なら彼、相当なタヌキよ」
「タヌキってどういうことだよ」
 聞きたくもあり、聞きたくもない。妙に嫌な感じがした。
「もし、よ? もし彼が生粋のライカンスロープだとしたら、昨日昼間にやった彼を本当の彼と思わない方がいいわ。ライカンスロープが本気になったら、いくら隼人でも楽に勝てる相手ではないから」
「マジですか、それ。昨日あんだけ無様にやられてたアイツが?」
「そこなのよね。そこが少し引っ掛かるのよ。ライカンスロープって夜に力を発揮するものなんだけど、昼間もそれなりに力を出せるものなのよね。なのに、昨日の彼は一切力を見せる素振りもないままに隼人にやられちゃったでしょ? なんでかしら。力を見せられない理由でもあるのかしら。ねえ?」
 話を隼人に振るが当然の如く。
「そんなもんオレに振られても答えられるわけねーだろが」
「うん、ただ聞いてみただけだから。まあ何も分からないにしても、とりあえずは一応の注意は彼にも払っておいたほうが良さそうね」
 喰人に始まり、昨日のライラック、そしてスミノフ。紋章憑き以外にも一筋縄ではいかないような奴らがゴロゴロといることに隼人は辟易とした。しかもまだ、世界に名だたる四つの大国の一つに来たに過ぎないというのに。どうやら前途は多難に満ちているようだ。

 部屋に戻ってきた隼人は、それからしばらくして部屋に運ばれてきた朝食を取っていた。
 期待していた朝食だったのだが予想外に、質素とまではいかないが、普通クラスのホテルが客に出す普通な朝食だった。パンが三切れに、少し濃いめのポタージュ、何の動物か分からない肉を加工したハムのようなもの。そして色取り取りの野菜サラダ。
 隼人はパンを千切ってはポタージュに付けて口に入れる。黙々とそれを繰り返す。
 味は……美味しいと思う。今は味を楽しむ余裕がなかった。昨日から何も口にしていなかったから、何よりも空腹を解消するのが大事だったのだ。
 サラダを残して一通り平らげた頃、部屋のドアがノックされた。返事を待たずに部屋に入ってきたのはナスターシャであった。
「……む。食事中だったか、悪い。出直そうか?」
「いや、別にいいよ……ん」
 隼人は指先についたポタージュを啄むようにして舐め取り、最後のサラダをかき込むと水を口に含み一気に胃に流し込んだ。ラルファは一言「下品ね」と呟いた。
 胃の中はまだ満足していないのだが、それなりに空腹感は解消された。「ごっそさん」と一息ついたところで、隼人は立ち上がるとナスターシャに声をかける。
「そんじゃ、行くとしますか」
「なんか急かしてしまったようで悪いな」
「気にすんな。オレが勝手に急いだだけよ。そしてオレは早食いが得意だ」
 何て言って返せばいいのか。ナスターシャは苦笑した。

 部屋を出た隼人とナスターシャは肩を並べるようにして廊下を歩く。
 早朝の静かな廊下とは打って変わって、多くの衛兵が廊下を歩き。将軍と肩を並べて歩く余所者――隼人に、昨日の騒動を生で見たもの見ないものが抱く感情に相違はあるにせよ、周りは動揺の色を濃くさせ、隼人の着ている服に気付いた衛兵達が俄に色めき立ち始める。
「なあ」
「? なんだ?」
「なんで、こいつら……みんなこっちばっか見てんだよ。こんな見られたら落ち着かねーんだけど」
「『こっち』ではなくてお前を見てるんだろ。ほら、ここ」
 ナスターシャは歩きながら自分の着ている軍服の立て襟を指差した。
「金のラインが横に三本入ってるだろ?」
「ああ、でもそれが?」
「これは私が『将軍』だということを示しているんだ。二本だと『副将軍』。一本だと『旅団長』となる。そして――」
 突然、ナスターシャは隼人の首へと手を伸ばす。条件反射で咄嗟にその手から逃げようとするが、あっさりと襟首を掴まれた。
「な、なんすか?」
「ほら」
 ナスターシャは隼人の襟足を起こすと、クンと軽く引っ張り隼人から見えるようにしてやる。
「――わぁ、三本入ってるーびっくりだー」
 言葉が棒読みになる隼人。黒色の生地に金色の刺繍がよく映えていた。
「と言うわけだ。お前も将軍として扱われてるんだ。知らぬ人間がいきなり『将軍』とくれば注目も集まるというものだ」
「いやいや、何勝手にそんなことしてくれちゃってんの」
「詮索されるような深い意味はないぞ? お前に良い待遇を与えるのに、一番手っ取り早い方法を取っただけだ。高い身分を得れば、お前も何かと動きやすいだろ?」
「……いや、うん、まあ、言ってることはよく分かるけどさ。それならそうと、なんで昨日この服をオレに渡す時にでも言わないのかね。侍女失格だろ」
 ナスターシャは笑う。
「あまり悪く言ってやらんでくれ。昨日お前を部屋に案内した侍女は私のとこの人間なんだ。私の隊の女性は少しばかり男が苦手でな、おそらく緊張していて伝えるのを忘れていたんだと思う」
 隼人は昨夜を思い出す。……確かに、案内役の侍女は部屋へ案内中ずっとオドオドしていた。隼人を部屋に案内するなり、侍女は胸に抱えていた服を隼人に押し付けるように渡すと何も言わず一目散に廊下を駆けていったのだ。
「あれは緊張とは言わんだろ。拒絶だ拒絶」
 ナスターシャから「はは……」と乾いた笑い声が漏れる。笑って誤魔化すことしか出来なかった。

 廊下の突き当たりまでやって来た。扉が一つ。左右に立つ衛兵が姿勢正しく二人に向かって敬礼すると、急いで扉の鍵を開ける。。
「ここは?」
「保管庫だ」
 衛兵によって扉が開かれる。二人が部屋の中へと入る前、ナスターシャが衛兵の一人に何やら一言二言声をかける。衛兵は聞き終わると敬礼し、どこかへ走り去っていった。

 二人が入った部屋、隼人は圧倒された。そこはテーブルが一つだけに、壁一面にありとあらゆる武器類、防具類がズラリと掛け並んだ武器防具部屋であった。
「得意とする武器はなんだ? やはりオーソドックスに剣か?」
 部屋に入るなりナスターシャが、そう声をかけてきた。
「私は突撃槍(ランス)なんだが、どうだ? ランスも悪くないぞ?」
 そう言うとナスターシャは壁に立て掛けているランスを手に取る。
 ……冗談だろ。でかい。大半が柄で構成される槍と違い、先が鋭く尖った円錐形のフォルム。こんな武器に、馬の重量、そして走力が加われば、どのような強固な鎧を持ってしても防ぐのは難しいのではないだろうか。
「いや、いい。そもそもオレ武器とか使ったこと無いし」
「なんだ。ガイナと一緒か、つまらん」
 残念そうに手に持ったランスを元の場所に戻したナスターシャは、壁に掛けられたガントレットを物色し始める。
 本来、甲冑防具の一部であるガントレットは指の先まで金属類で覆われる。しかし、この部屋に保管されるガントレットは防具だけではなく、武器として扱われるガントレットも保管されており、そのどれもが特徴として固い拳を作れる仕様になっている。隼人の世界でいう格闘家が着ける、指を露出させたオープンフィンガーグローブに鉄素材を散りばめたような感じだ。
 幾つかの候補を選んだナスターシャが、それを胸に抱えて戻ってきた。
 ナスターシャは木のテーブルの上にガントレットをドサッと下ろすと「近くに来い」と手招きして隼人を呼び、手を出せと要求する。従う隼人。開いて突き出された手にガントレットが通される。思ったより軽い。
「拳を作ってくれるか」
 言われて、隼人が拳を作ると、ナスターシャが手首、手の甲に付いたアジャスターを引いて締め付ける。サイズが合わないのか、締め付けてるような感触は薄く、若干の違和感があった。
「どうだ? 緩いか?」
「ちょっと……大きいかもな」
 ナスターシャは手早くガントレットを取り外すと二つ目のガントレットを取り付ける。
「――一回、全部試してみてよう」
 取り付ける作業をしながらサラッと言うナスターシャ。
 隼人はテーブルの上を見た。ガントレットが四つ。次に壁を見た。……ひと目では把握出来ない数のガントレットがあった。
 かなり長くなりそうだと覚悟を決めた。

 案の定長引いた。決めた。と言うか、根を上げてギブアップした格好だ。
 二十二個目までは覚えている。それからは数えるのをやめたから覚えてないが、相当な数の試着をこなした隼人は、次に一番、違和感の少ないガントレットに当たればそれに決めようと思っていた。それが、いま手に装着したガントレットだ。幸いなことに違和感が少ないどころか、違和感がなかった。ジャストフィットだ。

 その後、「気に入る物があれば好きに持っていっていいぞ」と言ったナスターシャは出し散らかしたガントレットを片付ける作業に入った。
 言われた隼人は気ままに物色し、そして選んだのは鋼鉄製のレガース(すね保護具)が取り付けられた靴だった。
 靴を履いた隼人。自分の足がまるでガン○ムみたいな重厚な足になり「……か、かっけー……」と呟いた。
 と、まあやることも終え、手持ち無沙汰になった隼人はナスターシャを見る。将軍様という身分でありながら、せっせと片付けに精を出していた。見た様子、どうやらまだもう少し時間が掛かりそうだ。
 と、なれば……
 隼人は部屋の隅へと視線を移した。別の部屋へと続くらしきドアがあった。
 入ってみようか? ここにいても暇を持て余すだけだ。
「なあ、隣の部屋って何があるんだ? オレが入ってもいいのか?」
「ん? 別に構わんが、これといってお前の必要な物は置いてないぞ? 兵が着る制服の予備がおいてあるだけだ」
 隼人は『制服』の部分に敏感に反応した。もしかしたら、有意義な時を過ごせるのではないだろうか。期待が膨らまずにはいられない。
「ふっ……やれやれだ……行くしかねーよな」
 いざ、向かうことにした。
 途中。
「ラルファ、いるのか?」
 思い出したようにラルファを呼んだ。
 それに対してのラルファからの応答は無かった。寝ているのか? 隼人にとって、それならそれで好都合。邪魔者がいなくなって、今からの行動が格段にやりやすくなるってなもんだった。

 奥の部屋。入った隼人は色々と見て回るが、これと言って気を引くような物品は見つからず、当てが外れた格好だった。制服はあった。ミリーナ、そして風の隊が着用するスカート丈の短い制服だ。見つけた時、胸躍るものがあったがそれも一瞬だ。制服を手に取った隼人には空しさだけが残った。着る人間がいないと意味が無い。一回も袖を通していない制服だけで『ハァハァ』できるほどに、そこまで隼人は変態の境地に達していなかったし、またそれは隼人の目指す変態道からは大きく一線を画していた。
 しかし、そんな隼人の手には大きなカゴが。カゴの中には布らしき生地で出来た『何か』がギュウギュウに詰め込まれていた。
 どうやらこれがこの部屋で得ることの出来た唯一の成果、収穫のようだ。
 元いた部屋に戻った隼人は、片付けられ何もなくなったテーブルの上にカゴを置いた。
 丁度、片づけを終えテーブルの傍まで寄ってきたナスターシャがそのカゴの中を覗き見る。
 カゴに詰め込まれた大量の『アレ』にナスターシャは目をパチクリさせた。
「お、おま……こんなものをこんなに集めて、一体どうするつもりだ?」
 ナスターシャはカゴの中から適当に掴んだ『アレ』を引っ張り出す。スルルと伸びた細長い布生地。『何か』の正体は長尺の靴下であった。別名、ニーソックス。
 愚問を。と、隼人はフッと鼻を鳴らした。
「どうするも何も、履くに決まってんだろ」
「は、履くってお前、何を言って……これ女性用だぞ」
「んなこと分かってんよ。いつオレが履くって言ったよ。お前が履くんだよ」
「な、なんで私が!?」
「なんでも何も、オレがニーソ好きだからに決まってんでしょーよ。ほらっ」
 手に取ったニーソックス。略してニーソを、押し付けるように渡してくる隼人。
「さあ」
「な、何が『さあ』なんだ? ……え? もしかして今、履くのか?」
「あったり前だろよ。ほら、早く! 早く!」
「は、早くって……」
 熱意の籠もった強い押しに、少しばかり顔が引きつるナスターシャ。なぜ、『こんなもの』一つにここまで必死になるのか理解が全く出来なかった。『好き』って、何が?
 そこに、ミュアブレンダが入ってきた。
「これはポイントを稼ぐチャンスかもしれませんよ」
「チャンス? 一体何がチャンスだと言うのだ? ちょ、ちょっと、悪い」
 ナスターシャは隼人から少し離れるとヒソヒソと会話を始める。
「これは、あなたは知らないと思いますが、『長尺靴下愛好会』なるものが発足されるほど、一部の男性の間には長尺靴下を履いた女性が人気なんです」
「そ、それは本当か? 初耳だな。……で、もしかして」
「ええ。恐らくアカトキさんも同じ部類の男性かと思います」
「な、なるほど。しかし、どうしてこんなものを履いた女性が人気になるのだ? 理解しがたいな」
「それは私にも分かりかねます」
「おい。いつまでヒソヒソ話続けてんだよー」
 気になるのだろう。しびれを切らした隼人が声をかけてきた。
「では私はこれで」
 ミュアブレンダはそう言うと気配を消し、ナスターシャは隼人の元へと戻った。
「相手、ミュアブレンダだよな?」
「ん? あ、ああそうだ」
「何話してたんだ? 聞かれちゃ困るような内容なのか?」
「いや……別に、困ることはないのだが……まあつまらぬ話だ。お前が気にするような内容ではないから気にしなくていいぞ。……さて」
 ナスターシャは手に持ったニーソックスに視線を落とす。
 黒色生地のシンプルなデザイン。どこからどう見てもただの『靴下』でしかなかった。
『靴下』だろ? これを履いたところで何がどうなると言うのだ? ブーツに隠れて見えないが、ナスターシャは今も普通に『靴下』を履いている。
 そうだ。じゃあ、なにもこの手に持った『長尺靴下』を履くまでもなく、ブーツを脱いで、今履いてる靴下を見せればいいのではないのか? 
 ここでミュアブレンダの言葉が頭にリフレインされる。
『長尺靴下愛好会なるものが発足されるほど、一部の男性の間には長尺靴下を履いた女性が人気なのです』
 もしかして、『長尺』靴下でないとダメなのか? 長いのと短いのとで違いがあるのか? そもそも……男性側からしてみれば……露出が多い方が嬉しいものではないのか? 長尺靴下を履いてしまえば太股の部分が少し見えるだけになってしまうぞ? ……違うのか? いや、私は断じてそのような不埒なことを考えて脚を晒しているわけではないぞ?
 ……ううーむ……考えても仕方ない……か。ナスターシャは事を進めることにした。
「……これを履けばいいのか?」
「是非とも。そして今すぐにでも! お預けを喰らってる犬の気分なんだよ」
「そ、そんなにか!?」
 す、すごいな。何がすごいのか分からないが、ナスターシャはすごいと感じた。そして、今ものすごく隼人に必要とされているように感じている。
「し、しかたないヤツだなぁ……。お前が、そ、そんなにまで言うのなら……は、履いてやろう」
 若干頬を赤く染め上がらせたナスターシャは、演技みえみえのヤレヤレといった感じの乗り気でない表情を見せながら、無いイスの代わりにテーブルの上へ腰を下ろす。その重みで木製のテーブルは軋んだ音を立てた。
 テーブルの上に片膝を立てたナスターシャはブーツのバンドを一つ一つ外していく。
 短いスカートで片膝を付こうものならば、どうなるかは容易に予想出来るものだが、ナスターシャは全く気にした素振りを見せない。
 薄い青か、と隼人にあっさりとスカートの中を見られても――
「あ、あまりマジマジと見るな。恥ずかしい」と、言うだけで隠そうともしない。
 恐らく、こんなにも短いスカートを履いている以上、下着が見えてしまうことについては割り切っているのだろう。戦場に立てば、もはや見えるってレベルじゃねーぞって状態だろうし……。もしかしたら、見せてもいい下着なのかもしれない。
 片方のブーツを脱ぎ終わったナスターシャは、それを自分のすぐ横、テーブルの上に置き、もう片方のブーツを脱ぎに掛かろうとしたとき。隼人の手がニョキっと伸びてきた。
「ん? なんだ?」
「それ邪魔だろ。持っててやんよ」
「え? これか? いや、別に邪魔ではないぞ」
「いいからいいから。人の好意は素直に受け入れるもんだろうよ。ほら、持っててやんよ」
 ものすごく『いい人』っぽい表情で言う隼人に、どうも嫌な感じがしたナスターシャだったが、ここは好意を受け入れることにした。
「じ、じゃあ持っていてくれるか?」
「まかせとけ」
 何が、まかせとけ、なのかよく分からないが、考えても仕方ない。残りのブーツを脱ぐことにした。ナスターシャはブーツのバンドを手際よく外していく。
 スーーーーーーーーーーーーーーッ
「!?」
 ナスターシャは慌てて隼人を見た。
「おまえ……今。もしかして……嗅いだんじゃないのか?」
「か、嗅いでない。嗅いでないスよ」
「じゃあ、今の思いっ切り息を吸い込むような音はなんだ?」
「し、深呼吸じゃないスかね?」
「『すかね』? お前が深呼吸したんじゃないのか?」
「あ、ああ。そうそうオレが今深呼吸したんだった。スーハースーハー」
「そんな音ではなかったがな」
 ジトッとした目で睨むように見るナスターシャに、一瞬たじろぐ隼人。
「な、なんだよその目は。疑ってんのかよ? はっ! 最低だな。好意で持っててやった人間を疑うなんてよー! そんな女だったのかよ、お前って。マジでガッカリだよ」
「い、いやそんなつもりは! 疑うっていうかだな! その……違うんだ!」
 惚れた者の弱みというのか。隼人が見せた突然の剣幕に――明らかに逆ギレなんだが――ナスターシャの血の気がサッと引いた。
「あーうっせうっせ。言い訳なんか聞きたくもないわ。それじゃあ、一つ聞くけどよ。もし、もし仮にオレがお前のブーツを嗅いだとしようか。いいか? 仮にだからな? でも、それで何か問題が出てくるのか? 嗅いだことによって誰かが死んだり、世界に異変が起こったりするってのか? 何も起こるわけないよな? だって、ブーツの匂いを嗅いだだけだもんな」
 ナスターシャは黙る。突っ込みたいが黙る。
「それによ。お前はどうなんだ? お前はオレにブーツの匂いを嗅がれて嫌なのか? オレのことを変態だと思うのか? それは違うんじゃないのか? 少なくともオレは違うな。オレは気になる女性の匂いが堪らなく気になってしょうがない。分かるか? オレはお前のことが気になる存在だからブーツの匂いを嗅ぐんだからな。そんなオレに、お前はブーツを嗅がれて嫌な気持ちになるってんだな? もう一つ言っておくけど、お前が許すなら脇だって容赦なく嗅ぐからな」
「わ、脇って……!」
 恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤に染め上がらせたナスターシャは自分の体を抱きしめる。条件反射的に脇をガードしたっぽい。
 明らかに何かがおかしい。何かがずれてる。しかし今のナスターシャには、それに対して突っ込みを入れる勇気は無かった。
「どうだ? ナスターシャ。お前はオレにブーツの匂いを嗅がれて嫌なのか? それとも嬉しいのか? どっちなんだ?」
「わ、私は……」
 ナスターシャは答えに詰まる。嫌だとはっきり言えない。言えば間違いなく隼人に嫌われると恐れる自分がいる。隼人が好きだから、と不浄な部分を露わにしたくない、拒絶したいナスターシャに。隼人は不浄な部分を露わにしろと強要してくる。
 許すのか? 許して良いのか? 結果だけを考えれば『許す』ことが最善な策なのだろうが、それによって人間として持っていなければならない、とても大事なものを失ってしまうのではないかと考えてしまう。強烈な羞恥に激しい興奮が相極まってナスターシャの目が涙ぐむ。
「自分の気持ちに素直になってみろ。いいか? 今からオレはお前の素直な気持ちをさらけ出させる為に、お前のブーツの匂いを嗅ぐ。いいな? 嗅ぐからな」
 止めろ。の言葉が出ない、唇が戦慄き震えるだけで、その短い言葉が出ない。
 隼人は真剣な表情で、ナスターシャを見つめながら、手に持ったブーツを超ゆっくりと見せ付けるようにして顔に近づけていく。
「ぁ……や、やめ……あ、あっ……ぁ……ぃや……」
 ……誰がどう見ても、どっからどう見ても、変態にしか見えない。
 ピタリとブーツの挿入口に顔を、鼻を付ける。隼人が見せる真面目な顔が一言で言って、シュール。とんでも無く間抜けな構図である。
 血液が顔面に集約したかのように真っ赤になるナスターシャ。顔が熱いなんてものではない。茹で上がり、熱でのぼせ視界が朦朧とする。
 そして、隼人は、吸った。目一杯吸った。嗅いだ。これでもかと言わんぐらい嗅ぎまくった。
 やがて隼人は静かに目を閉じた。静かに静かに匂いを嗅ぎ、小さく頷く。角度を僅かに変えては嗅いで、頷く。その姿はまるで最高級ワインをテイスティングするかのように堂々としたものであった。
 まあ……ナスターシャにしてみれば、真剣に嗅がれれば嗅がれるほど死にたくなるだけなのだが。隼人が一々見せる、その道? のマスターだと思わせるような威風ある堂々とした仕草が徹底的にナスターシャを辱める。精神が犯される。何度心の中で『止めてくれ!』と叫んだか。
 堪能し尽くした隼人はゆっくりとブーツから鼻を離すと息を吐き、閉じた目を開いた。
 実に爽やかな笑みをナスターシャに向けた隼人は親指を力強く立てて見せた。
「文句なしだ。合格」
「な、な、な、何が合格だ! も、もう満足しただろ! 返せっ!」
「うおっ……と」
 ナスターシャは素早く手を伸ばし、引ったくるようにしてブーツを奪い取った。
「おいおい、何そんなに怒ってんだよ。褒めてやってんだぞ? もっと嬉しくしろよ」
「ううううるさいっ! そんなものいくら褒められても嬉しくないに決まっているだろ! は、恥ずかしいだけだ……」
「ホントにかぁ?」
「本当に決まってるだろ! あ、あまりの恥ずかしさで頭が変になりそうだ」
「ホントのホントに?」
「……し、しつこい!」
「オレはこの匂い好きだぜ? 多分……今までで一番好きな匂いだったぜ?」
「…………い、一番? ……ほ、ホントか?」
「ウソ言ってどうすんだよ。ま、でも……お前がそんなに嫌がるなんてな。なんか……悪いことしちまったな、オレ。悪かった。そんなつもりじゃなかったんだ。純粋にお前のブーツの中の匂いを嗅ぎたかっただけなんだ。ははっ……ちょっと調子乗りすぎたのかもな」
 表情を曇らせた隼人は反省? の言葉を口にする。微塵も思ってもないことだが。
 そして、そんな隼人の演技に単純に騙されたナスターシャは慌てる。
「い、いや! ち、ち、違うぞ!? ……い、嫌とかそんなんじゃないんだ。ただ……うむ、恥ずかしかっただけなんだ。そ、それにだな。……なんだ、その……怖いってのもあったんだと、思う。お前が如何に……ほら、その……に、匂い好き? 気になる? って言っても……お前の思っていた匂いと違っていたりでもしたらと思うと……。で、でも、どうやらお前は気に入ってくれたようで……い、一番と言ってくれて……良かった。だ、だから、そんなに落ち込まないでくれ」
「……ありがとうな。そう言ってくれると救われるよ。さっきはついカッとなって最低な女だとか口走っちまったけど……やっぱお前は優しくてイイ女だ」
「は、ハヤト……」
 キュンと胸がときめいたナスターシャは初めて隼人のことを、『お前』ではなく『ハヤト』と呼んだ。

 その頃、部屋の外では――
 ナスターシャに小さな使いを頼まれて戻ってきた衛兵と、守衛として残っていたもう一人の衛兵が上と下とで並び立つ格好で、僅かに開いた扉の隙間から中の様子を覗き窺っていた。
「こ、これ、中に入っても良いのか?」
「うーん……もう少し間を開けてから入った方が良いかもな」
「だ、だよなだよな!」
「な、何嬉しそうに言ってんだよ。……つうか、あそこにいる女性、誰だ?」
「誰だ、も何も……普通に考えてナスターシャ様しかないだろ」
「いや、それは分かってるつもりなんだけどよ……まるで別人だろ」
「……なんか見てはいけないようなものを見てしまった気がするんだが」
「どうする? 一旦閉めた方がよさそうじゃないか?」
「いやいや、何言ってんだよ。も、もう少し見てようぜ」
「い、いいのかよ。もし気付かれたりでもしたら……ヤバイんじゃね?」
「そ、それは分かってるんだけどよ……見たくないか? ナスターシャ様が長尺靴下を履いたところ」
「は? い、いやオレは別に。え? なに? お前、もしかして『長尺靴下愛好会』とか入っちゃってたり?」
 上で、部屋の中の様子を窺ってる衛兵が視線はそのままに頷く。
「……会員番号一六七九番だ」
「……」
 呆れてものが言えない。何に呆れたか。一六〇〇という、その数に呆れていた。
「あの男、ナスターシャ様に長尺靴下を履かせようものなら……とんでもない功績を残すことになるぜ。そしてオレは、その歴史的瞬間に立ち会えるかもしれねぇんだぜ? ……や、やべぇ……そう思うと興奮してきたぜぇぇ」
 たかが靴下に……頭おかしいんじゃねーか。爛々とした目をした衛兵の下で、座りながら部屋の中を覗き見る衛兵は、心の中でそう呟いた。この衛兵はなぜ口に出さなかったか。言えなかったのか。
 その言葉を口に出せば、それは『長尺靴下愛好会』全会員に、会長に向けたも同然なのだから言えなかったのだ。特にその会長とやらが、この衛兵には重要であった。
 その会長の名は――二人の上官であり、謎の関西弁を喋る男……火の副将軍、ライラック・ワードナーであった。
 謎の関西弁。火の副将軍。アルベセウスとの意味ありげな会話。そして――『長尺靴下愛好会』会長ときたものだ。ライラック・ワードナー。実に謎多き人物である。

 ナスターシャは新品のニーソに足の先を差し入れる。たかが靴下。履くことに対しては躊躇することもなく、抵抗もない。もしあるとすれば、それは別な意味で……ナスターシャはちらりと隼人を見た。
 この男には遠慮というものが、配慮というものがないのだろうか。潔いほどまでにガン見だ。見られれば見られるほど恥ずかしさが増していくナスターシャはニーソを一気に履き終えるとブーツを履き直した。
「こ、これでいいのか?」
 ナスターシャはテーブルから下りて、恥ずかしそうに隼人に見せる。
 白魚のように美しい脚に黒ニーソという魅惑のコントラスト。黒ニーソの艶生地が少し食い込んでほんの少し沈んでいる太股。ニーソとミニスカートが繰り出す魅惑な領域。そして極うっすらと黒ニーソから透けて見える白い肌。
 スリムよりムッチリ感を好む隼人。その隼人が望むこと全てを満たした究極形態がそこにあった。しかもブーツときたもんだ。まさか異世界でニーソブーツが拝めるとは夢にも思ってなかった隼人は感無量。顔を綻ばせる。
「イイ! マジでイイ! マジですっげ似合ってる!」
「そ、そうか? 私には今イチよく分からんのだが……ただの長い靴下だろ?」
「ちっがーう! ニーソだ。ニーソックス。正しくはオーバーニーソックス。さっらーに! お前の履いてるニーソの長さからして、そいつはサイハイソックスとも言われている。まあぶっちゃけ纏めてニーソでよろし」
「ニーソ……サイハイ? なんかお洒落な呼び方をするんだな。初めて耳にする呼び方だ」
「そうなのか? じゃあ、こっちではニーソのことなんて言うんだ?」
「普通に長尺の靴下と言ってるが?」
「長尺て……ロマンもへったくれもないな。ま、いいけど。これからは長尺とは言わずにニーソでよろしく」
「それは別に構わんが。……それじゃあ、もうこれは脱いでもいいか?」
「は? なんで脱ぐ必要があるんだよ。そのまま履いとけよ。つか、これからお前はニーソ常時着用決定だかんな? そこんとこよろしく」
「は? な、なぜお前がそんなことを決める!?」
「さっき言っただろ? オレがニーソ好きだからに決まってんだろが」
「理由になってないぞ!」
「何言ってんだよ。歴とした理由だろ。……しゃーねぇなぁ、もう少し分かりやすく説明してやるから、これで理解してくれよ? いいか?」
 ナスターシャは頷く。
「オレは、ニーソが、大っ、好きだ」
「…………」
 隼人がそう言ったきり、部屋はシンと静まり返った。黙って聞く立場であるナスターシャはその先を期待するが、得意顔を作る隼人を目にした瞬間、その頭に疑問符が浮かんだ。え? もしかして終わり?
「う、うむ。それはもう分かった。で?」
 ナスターシャは堪らず先を促した。
「『で?』とは?」
 隼人は問いに問い返す。
「いや、だから説明とやらは?」
「は? 言っただろ。オレはニーソが『大』好きなんだって。好きから大好きに表現が変わってたろ」
「……お前は私をバカにしてるのか?」
「バカにしてねーよ。ホントにニーソが好きなんだからしょうがねーだろよ。ま、一応付け加えておくけど、ニーソは履く人間がいて初めて輝きを放つんだぜ? しかも履く人間によってその輝きは大きく変わるんだ。分かるか? 要するに、いくらオレがニーソ好きだからって誰彼構わず強要させるほど節操無しじゃねーんだよ」
「……む。それはつまり……?」
「ことごとく言わせるやつだな。お前だからだよ。お前に履いてほしいんだよ。お前こそがオレの追い求めていた理想の形なんだよ!」
 自分でもやりすぎ感を抱いてしまうほど、雄弁を振るう隼人。
 気恥ずかしそうにナスターシャは視線を逸らす。
「……さ、最初からそう言ってくれれば私も別にな。そうか、そんなにか……」
 ナスターシャは視線を下げると、改めてニーソを履いた自分の脚を見た。隼人に理想と言われた自分の脚。
 さっきまで何とも思っていなかった自分の脚。それがどうだろう。
「そうか、理想か……そうか。うむ……ふふふ……そう言われると悪い気はしないな」
 ナスターシャの表情のなんと嬉しそうなことか。自分の知らぬうちに、女の子らしい可愛い笑い声が漏れていた。
 そんなナスターシャを見ていた隼人は思った。
 こいつって、ホント単純なんだな、と。……勿論、良い意味で。

 部屋に扉を叩く音が響く。
「失礼します」
 恐らく、あれからずっと扉の隙間から中の様子を窺っていたのであろう衛兵の二人が、頃合いを見計らって部屋の中に入ってきた。扉を閉めた衛兵は敬礼をすると、一人は扉の前に残り、もう一人の衛兵が駆け足で隼人とナスターシャの下へとやってくる。
 ナスターシャの前に立った衛兵は軽く会釈すると小脇に抱えた木箱を差し出し、箱を開けて見せた。
 箱の中には一着の黒衣がキレイに折り畳まれて収まっていた。
「うむ」
 ナスターシャは黒衣を手に取ると両肩口の辺りを掴み、上から下へと伸ばしてみせる。
 それはガイナが着ていた丈の長い黒衣に似ていた。
 肩には王国紋章が刻まれた銀のプレート。襟には将軍格を示す三本のゴールドライン。
 黒衣を纏うガイナに、赤衣を纏うアルベセウス。先の二人とは違い丈の短い青衣を纏うナスターシャ。三者それぞれに、背中には『三神』を意味する『トライアングルフォース』を象ったエンブレムが縫い描かれているのだが、今ナスターシャが手にする黒衣は違う。背中には『トライアングルフォース』エンブレムではなく、『銀剣』。
 王国エンブレムに重なるように、柄を上にして垂直に立つ銀剣が縫い描かれていた。
「あ、あの……本当にこのお方でよろしいので? ……その黒衣は――」
 思うことがあったのか、思いすぎたのか、横にいた衛兵の口から思わず口をついて出てしまっていた。
「余計な心配はいらぬ。姫様の許可は既にもらっている」
「! そ、そうでしたか。こ、これは失礼をしました」
 誤って粗忽を働いたことに気付いた衛兵は慌てて直立に姿勢を正し、無礼を詫びる。
 気にした様子もなく聞き流したナスターシャは、持っていた黒衣を隼人に差し出した。
「オレ?」
「そうだ」
 ナスターシャの手から隼人の手へと移った黒衣。近くで見ると所々に傷んだ箇所があった。それは、この黒衣が以前誰か他の者が着ていたと予想させるに十分であった。
「――リゼルハイン・ガウスバーク。六年前にこの城を去った者の……そしてその黒衣を所有していた者の名だ」
 隼人が問おうとするよりも先に、ナスターシャが答えを口にした。
「リゼルハイン?」
「ああ。私達『三神』とは一線を画した将軍でな。私達が『三神』に就く前――一時期『三神』のうち『巨』と私の持つ『風』が空位となった時期があったんだ。今も昔も争いが止まぬ時代だ。そんな時に『三神』が空位ともなれば他国の格好の餌食というものだろ? 事実、まるで申し合わせたかのように、他国からの侵略行為が一斉に強まったのは間違いない。その落ちた戦力を補うために、外部から戦力となる者を早急に招致する必要があったんだ。情けない話だがな……」
「それがリゼルハインってやつか?」
「そうだ。リゼルハイン・ガウスバーグ。金で雇われた将軍、そして最強属性の一つ『雷の紋章』を持つ者だ」
「へぇ……やっぱ強いんだろ?」
 分かりきったことなのだが、聞かずにはいられなかった。
「ああ、強いな。バティスガロのサイ……いや、もしかするとバティスガロの暴君、ザンドレッド・ルドリフスに匹敵するかもしれん」
 自国の将軍ではなく、敵国である将軍を引き合いに出す辺り、相当の強さなのだろう、と思わせる。――ああ、やっぱりね。またですか。黒衣へと目を落とした隼人はまた辟易とした。『竜』の最強って言葉が懐かしくも空しく隼人の胸に響いた。

「――これでいいか?」
「いいじゃないか。よく似合ってるぞ」
 袖を通せと促され、仕方なしにと黒衣を纏った隼人。褒められたにも拘わらず、その表情はどこかスッキリしたものではなかった。
「どうした? 浮かない顔をして」
「でもオレなんかでホントにいいのか? なんつーか、荷が重く感じるんだけど」
「なんだ、そんなことか。気にするな。偶々、お前の前にリゼルハインが所有していただけであって、元々その黒衣は、臨時や代行として将軍に就いてくれた者のためにと誂えていたものだ。『将軍』という格以外に、お前が思ってる程に重たく価値のあるものではないから安心しろ」
「そうなのか? まあ、そうだとしても……こんなのを着せられた以上は――」
「それなりに結果を求めてると言うことだ。期待しているからな」
「だよなぁ……はぁ」
 にっこりと笑うナスターシャに、隼人は溜め息が漏れた。ナスターシャはそれを見ても笑ったままだった。
「――さてと、大まかな準備はこんなところか。どうだ? 何か気になるようなことはあるか? あるのなら今のうちだぞ」
「……いや別にない。はぁ……そんじゃもう戻ってもいいのか?」
「そうだな……別にこれといってないし……ん、いいだろう。それじゃあ明日、今日と同じ時間でお前の部屋に迎えに行くから、それまでにきっちりと準備を整えておいてくれ」
「あいよ。そんじゃ出るぜー」
 そう言うと隼人はテーブルの上のニーソが詰まったカゴを手に持った。
「お、おい。それをどうするつもりだ? もうお前には無用なものだろ」
 隼人は無言でカゴに手を入れると、二足、ニーソを取り出しナスターシャに差し出す。
「これ、替えのやつな」
「え、あ、う、うむ……って、い、いやそうじゃなっ――」
「そんじゃ明日なー! ばーいっ!」
「え? お、おいっ! ちょっ!」
 ナスターシャの言葉も途中に、隼人はカゴを抱くようにして一目散に部屋を飛び出していった。
 部屋に残されたナスターシャと衛兵。
「そ、それでは私も失礼させていただきます」
 衛兵はナスターシャに向かって敬礼すると急ぎ足で戻っていく。
 途中、衛兵の足が止まると、衛兵は振り返る。
「? どうした? 何か?」
「そ、その長尺靴下……とても似合ってます! し、失礼します!」
 相当の勇気がいったのだろう。顔面を真っ赤にした衛兵はすごいスピードで部屋を飛び出していった。
 最後、部屋に一人残されたナスターシャ。
「……い、一体なんなんだ?」
 シンと静まり返った部屋で、ナスターシャはニーソを摘んで引っ張って離す。小さくパチンと音がした。今度はニーソと太股の間に指を差し入れグイーッと伸ばした。
「……こんなもののどこが良いのやら……ふふふ……男ってやつはつくづく変な生き物だ」
 指を離した。またパチンと音がした。
 赤時隼人か。かなわんやつだな、ホントに。ナスターシャは一人また「ふふふ」と笑っていた。

 ――その日の晩。
 等間隔に火を灯されただけの薄暗くなった廊下を、まばらに衛兵達が歩く。その中に紛れて、隼人の歩く姿もあった。
 保管庫から出た隼人は、それから一度も自分の部屋には戻っていなかった。
 昼飯も、恐らくもう部屋に用意されているであろう夜飯も食わずに、隼人はカゴを持ったまま、城の中をせっせと行ったり来たりしていたのだ。
「――ねえ、流石にもういいんじゃないの?」
 呆れた口調でラルファが言った。実はこの言葉を口にするのは三回目である。
「アホか。最後の本命を残したまま終われるかってーの」
「……あそーですか。もう好きにしてちょうだい。私は先に休ませてもらうわ。変態に付き合うのもいい加減ウンザリだわ……」
「誰も付き合ってくれなんて言ってねーだろが。イヤならどっか行けばいいだろが。ったく……まさかお前が起きてて覗き見してたなんて思ってもなかったわ。見られてたオレの気にもなってみろってんだ」
「う、うっさいわね。出るタイミング失ってただけよ! だ、誰が好き好んであんな……あんな…………あん……なの見なきゃいけないのよ……」
「お前、今、思い出してたろ。やらしーやつだ」
「し、しししてないわよ! と、とにかく! 私は先に休ませてもらうけど、いいこと? 変態ばっかりするのも良いけど……いえ、良くないけど……とりあえず、とりあえず! 良いことにしておくけど、明日が大事な日だってこと忘れるんじゃないわよ? いいわね、分かったわね!」
 捲し立てるかのように言い終えたラルファは隼人の言葉を待つことなく、繋がる意識を遮断した。

「――あ、あの……」
 一人ブツブツと愚痴を零しながら歩く隼人の前方から、女性の声をした誰かが、隼人に話しかけてきた。考え事をしながら歩いていた隼人は一瞬で現実に戻される。
「え? あ、違うの。こっちのことだから気にしなくていいよ。さ、いこいこ」
 気付いた隼人は慌てて取り繕う。どうやら隼人は、この前方に歩く、今は立ち止まり振り向いた女性と共に行動をしているようだ。
 着ている服装からして『風』に所属する人間のようで。
『風』に所属している=当然美しいおみ足と言っても過言ではないその脚には、元から着用していたのか、それとも『邪な心を待った誰かさん』に強要されたのかは定かではないが、隼人の好物であるニーソが完備されていた。
「い、いえ、そ、そうではなくて……つ、着きました」
 やはり男性に対しての免疫が低いのだろう。しどろもどろな言葉遣いになってしまう。
「あ、そうなの? ここ?」
 隼人は女性の横に並び立つと――女性は無意識に半歩程距離を開ける――目の前にある扉を指差した。
「は、はい。こ、ここがレヴァイン様の、お部屋になっております。そ、それでは、私はこの辺で、し、失礼させてもらってもよろしいでしょうか?」
「悪かったな、部屋案内なんて頼んで。でもホント助かったよ、ありがとな」
「い、いえそんな! そ、それでは私はこれで」
「おう、そんじゃな。明日頑張ろうな」
 頭を下げて返事を返した女性は、来た廊下を戻っていった。
 女性を見送った隼人は再び扉へと向き直る。
 城に所属する『将軍』『副将軍』は有事を想定して各人、部屋を用意されているのだが、隼人の用意された部屋の扉に劣らず、レヴァインの部屋の扉もかなり立派な作りだ。
 さてさて、さあさあ、扉の向こうからはどんな美女が姿を見せてくれるのか。
「さて、と……ん、んっ」
 隼人は手を首元に持ってくると『無い』ネクタイの縒れを直す。『無い』手鏡で、髪は決まっているかを入念に確かめる。カゴの中身を確かめる。ニーソは残り三枚、オッケー。目力が増す。
 エア身だしなみチェック終了。オールOK。今まさに隼人は紳士モードへと突入したのだった。

 コン コン
 隼人は扉を叩いた。どことなくスナップの利いた紳士なノック。
「――はい、どなたですか?」
 すぐに扉の向こう側から聞こえてきた女性の声に、隼人は僅かばかり緊張する。
 緊張を振り払う意味も含めて、隼人は咳払う。
 それは部屋にいるレヴァインにもハッキリと聞こえ、レヴァインを不安にさせるには十分であった。レヴァインの知らない男性の声。知らない男がいる。なぜ? と。
 ちょっと待て。ここで少しの疑問が。レヴァインは城で寝泊まりをする何千という男性衛兵の声を全て覚えているというのか? いや、違うのだ。
 レヴァインの部屋がある区域は女性以外の歩行は余程のことがない限り許されておらず、特別に歩行が許される男性は上官である『将軍』と、レヴァインと同格である『副将軍』だけなのだ。だから、知った声、知らない声の判別など簡単なことなのだ。
「ど、どなたですか。何故黙っているのですか。名を、名を名乗りなさい」
 レヴァインはもう一度問い掛ける。ほんの少し語気が強くなったそれは、焦りを含んでいるとも聞いて取れた。
「本日『将軍』に任命された赤時隼人だ。こんな遅い時間に尋ねてきて迷惑だと承知しているが、『将軍』として、明日共に討伐に向かう副将軍であるキミに『どうしても』話しておかなければならないことがあるんだ」
『将軍』と『どうしても』の部分を強調して喋る隼人。効果はてきめんで、
「……将軍? ア、カ、トキ…………っ!」
『将軍』と『赤時隼人』を照らし合わせたのだろう。扉の向こう側で、『慌てる』音が隼人の耳にも届く。カチャリ――扉の鍵が開く。……おしっ! 隼人は後ろ手でグッと拳を作った。
 柔らかい花の香りと共に隼人の前に姿を見せたレヴァイン・ノヴァは、すでに甲冑を外した普段着の姿。
「も、申し訳ありません。ご無礼な対応を取ってしまったこと、お許しください」
「……い、いや気にしなくていいよ。キミは何も間違った対応取ってないし」
 柔らかい物腰で謝るレヴァインに、隼人は一回の瞬き程、気持ちを動揺させた。
 知的な顔立ちをした瑠璃色の髪の女性は一目で、クール。出来る女を連想させ、そしてこれは分かり切っていたことだが、隼人は改めて思う。この国の美女率は相当高いと。
「お優しいお言葉ありがとうございます。……して、わたくしにお話があると仰っていましたが、それはどのようなお話で?」
「おっと。そうそう、話だったな……んー……そうだなぁ……」
 隼人は考える仕草を見せる。仕草を。何も考えてないが、あくまで仕草だけを見せる。
「えっと、あの……どうしましたか?」
「ん、いや、ちょっとな。この話を人に聞かれるのはあまり……」
「人、ですか? 大丈夫ではないでしょうか? わたくし達二人以外、周りには他の人の姿はありませんよ?」
 は? 促された隼人は周りを見た。離れた廊下を歩く音が小さく響いて聞こえるだけで、この場には誰一人として人の姿はなかった。
「……い、いや! 今は確かに人の姿は見えないかもしれないが、いつ人が通るかも知れん。よ、用心に超したことはないだろ」
「は、はあ……で、でも、この辺り一帯は女性特区になっておりますから、極限られた人しか通行出来ないようになっていますので……」
 女性特区だと? なんだよ、それ。ざっけんなよ。そんなのオレ一つも聞いてないんだが。隼人は歯噛みした。が、挫けることは無い。隼人の辞書には『引く・下がる・逃げ』の文字はないのだから。とりあえず、策だ。何か新たな手立てを早急に考えなくては。
 今度は仕草ではなく真剣に考える隼人は『ある手』を閃くが、多少無茶な感がある『手』に戸惑う。
 ……一体何が、彼をこうまでして悩ませ考えさせ動かせるのだろうか。言わせんな、恥ずかしい。……ニーソだろ。
「どうかしましたか?」
 不安げな顔をしたレヴァインが声をかけた。
 ええーい。南無三。いったれー。隼人は覚悟を決めた。
 ……矢先、レヴァインの方から予期せぬ言葉を掛けられる。
「――あの、もし、それでも不安だと言うのであれば……わたくしの部屋にお入りになってからお話しすると言うことも……」
「……え? 今、なんて?」
「だ、だから……わたくしのお部屋で、と……」
「いいの?」
「す、少しだけなら大丈夫だと思います」
 まさかまさかの大どんでん返しであった。
 隼人が急遽書き上げた脚本の予定では――
『ん!? 廊下の角から誰かがオレ達の会話を盗み聞きしてるぞー! ふてぇ野郎だー。オレがとっちめて来てやるー。レヴァイン、キミはここで待っていてくれ。いや、なに直に片付けてくるから安心して。うおー、誰だー、そこにいるのはー!』と言って薄暗い廊下の角へと消えると、急いで適当な衛兵をぶっちめ気絶させ、その首根っこを捕まえながら戻ってくると、レヴァインに突き出し『こいつが盗み聞きをしていた。キミが言う、女性特区だからだと安心して話を続けていたら取り返しの付かないことになっていたな』。そしてレヴァインが感謝と謝罪の言葉を述べ、最後に『わたくしの部屋の中でしたら間違いないかと』言い、隼人が満足げに『うむ。仕方ないな』――となるはずだったのだ。
 それがだ。開演間際でのお蔵入り。
「ほ、本当にいいの?」
 あまりに急転直下な逆転劇に、思わず隼人は聞き返していた。
「え、あの……だから少しだけ。本当に少しだけってことなら……」
 顔が赤くなるレヴァイン。既に隼人も見慣れたお決まりの光景だ。他の女性達と同じように、やはりレヴァインも男が苦手で、部屋に招き入れるのに相当の勇気と、怖さがあるのだろう。
「やはりキミも男性が苦手なんだろ? それなのに……キミの勇気に本当に感謝する。ありがとう。大丈夫、時間はさして取らないから安心してほしい」
 隼人の言葉にレヴァインは安堵の息を漏らした。
「そ、それでは……どうぞ」
 レヴァインに続いて部屋に続いて入る隼人は後ろ手で拳をグッグッと握りしめた。
 レヴァインが念を押した『少しの時間』。にも拘わらず隼人がレヴァインの部屋から再び姿を見せたのは日付も変わろうとする、時計の長針が二周した頃であった。
 部屋を出てきた隼人の体には、長時間居続けたせいか甘い花の香りがしっかりと染みつき、ご機嫌な様子で空になったカゴを宙に投げてはキャッチを繰り返しながら自分の部屋へと戻っていった。
 室内では一体何が起きていたのか。それは部屋にいた二人にしか分からないのであった。

 欠けた月がジュナルベイル城を照らす夜は終わりを迎え、そして迎え入れる日の光。光は闇色を薄め消し去り、朝霧に包まれた静寂の町を照らし始める。一日の始まりを告げる、人々達の目覚めを促す日の光。
 ――討伐当日の朝を迎えた――
 昨日とほぼ同じ時間に隼人の部屋へとやってきたナスターシャは、準備も朝食も終わっていた隼人を連れてすぐに部屋を出た。向かう先は王女リリスの待つ中央王間。
 国家間戦争とは違って大変小さなものではあるが、これから討伐出発前の出陣式が行われる。
「昨夜はぐっすりと眠れたか?」
 歩きながらナスターシャが隼人に話しかける。前日隼人に言われた通り、脚にはニーソがしっかりと履かれていた。心なしか、歩くたびに奏でて聞こえるヒールの音が力強い感じがしないでもない。
「ああ意外にな。緊張して寝れねぇかと思ってたけど、なんかいつの間にか寝てたな」
「そうか、それなら良かった」
 そう言ったナスターシャは、一秒、二秒、三秒と経ってからようやく隼人から視線を戻した。戻してからも隼人の様子を窺うようにチラチラと視線を送っては、わざとらしくニーソの方へと視線を落とす。そしてまたチラチラと、その表情はどこか『……ほら……ほら、ほら。何か私に言うことがあるんじゃないのか? ん?』といいたげ、いや、あからさまに訴えていた。
 ナスターシャが隼人に何を求めているのか。流石にこれに気付かぬほど隼人は鈍感な男ではなかった。どうしたものか。素直に言ってもいいものかと極力横を見ないように考えてる間、チラ見を繰り返すナスターシャ。引き下がる気など毛頭無いようだ。ちょっ……おまっ。隼人は下唇を噛むように堪える。得体の知れないチクチクチクチクチクチクチク感が隼人を擽る。くすぐったい、痒い。視線がものすごくむず痒い。チラチラチラチラチラチラが『ほら。ほら。ほら。ほら。ほら。ほら』と、ナスターシャの心の声に聞こえて来始めるともうダメ。限界だった。
 笑いを堪えきれなくなった隼人は吹き出すと、腹を抱えて声高に笑う。あまりに突然のことにナスターシャは元より、廊下を行き来する衛兵達の目が「何事」かと一斉に隼人へと集中した。
「お、おい?」と声をかけたナスターシャは、それからは唖然とした表情で隼人が笑い止むのを待っていた。笑い続ける隼人を横目にしながら、衛兵達が通り過ぎていく。
 笑い収まった隼人は、はあっ、と大きく息を吐いて痛むお腹を落ち着かせる。
 落ち着いてきた隼人にナスターシャが話しかける。
「い、一体いきなり……何事だ? ビックリするではないか」
 お前のせいだろ。と言おうとしたが、その言葉は飲み込んだ。
「ん……いや、なんか分からんけど、なんかツボった。わりぃわりぃ、もう大丈夫だから」
「……変なやつだ……まあ良い。それよりも急ごう、恐らく姫様のことだ。既に我々のことを待っているはずだ」
 今ので、ニーソの件がすっかり頭から消え失せたナスターシャは隼人を残して、一人歩の速度を上げ先へと進む。
「おい」すかさず呼び止める隼人。
「なんだ?」振り返るナスターシャ。
 言葉を待つナスターシャに隼人は短く簡単に。「すっげー似合ってるぞ」と褒めてやる――それだけで十分であった。
 一瞬の間の後、気付いたナスターシャはフワリ柔らかい笑みを作ると「そうか」と一言言い残し、歩き始めた。
 その背中を黙って見ている隼人は頭を掻いた。あー……まいったね。綺麗に可愛いって反則だろ。自分でも顔が赤くなってることがハッキリと分かった。
「おい! 何をしてるんだ早く来ないか!」
 また振り返り大声で急かすナスターシャに隼人は手を挙げて応えると、慌てて駆け寄り、二人並んで中央王間へと向かった。

 中央王間の扉の前へとやってきた隼人とナスターシャ。重厚で大きな扉の前に立つ衛兵はなぜか、信じられないといった表情でナスターシャを見ていた。ナスターシャもそれにはすぐに気付いていた。昨日、隼人に言われてニーソを履くようになってから、男性から向けられる視線に、どことなく変化を感じていたのだが。今日は特に強い違和感を覚えた。昨日まで向けられていた余所余所しく落ち着きがない視線ではなく。明らかに『驚いてる』といった感情を顔全体で表しているのだ。
 不思議に思うナスターシャを余所に衛兵が静かに扉を開く。
 衛兵が、邪魔にならぬよう扉の横へと移動し頭を下げた。
「――どうぞ。女王様が中でお待ちになっておられます」
 中央王間の扉が開かれた先。王間には既に多くの者達の姿があった。みな今回の討伐に関係する者達だ。王間の入り口、扉から一直線に延びた赤絨毯の先には、玉座に腰を落ち着かせて待つ王女リリスの姿があった。
 座るリリスの右側には『火』の副将軍ライラック・ワードナー、『巨』の副将軍――顔全体を覆う鉄製仮面を腰に抱えた黒髪短髪の男――ロナウ・アックスフォールが、左側には『風』の副将軍レヴァイン・ノヴァが立っていた。ガイナとアルベセウスの姿は無い。二人はまだ来ていないようだ。ナスターシャはそんなことよりも気になる事があった。王間に入った時から、『ソレ』が気になって仕方がなかった。
 レヴァインを筆頭に特別に編成された『風』の隊一三人、全てが長尺靴下、ニーソを着用しているのだ。薄青い制服衣装に黒色ニーソがなんともセクシーでよく目立っていた。赤絨毯を間に挟んで、入り口から向かって左側に『風』の女性陣。右側に『火』と『巨』の男性陣が並び立っているのだが、どことなく落ち着きのない様子が窺い見られる女性達。男性陣からの視線が気になるのだろう。扉の前に立つ男の自分を見たときの反応にナスターシャは何となく理解出来た。
 ナスターシャは後ろを振り返ると隼人をジッと見つめる。お前か、と。
 隼人は逃げるようにフイと顔を逸らす。「おい」と言っても隼人は黙ったまま。襟首を掴んで再度答えを促しても黙ったまま。埒があかない様子に、堪らず――
「ちょっ!? ちょっ、お、おいっ! こら、引っ張んな!」
 ナスターシャは隼人の首根っこを掴むとグイグイ引っ張るようにして、赤絨毯の上を歩きながら「ちょっと集合」と、『風』の隊に所属する者全てを呼び寄せる。レヴァインもリリスに頭を下げてから急いでナスターシャの元へと集まった。
 赤縦断の横にナスターシャと隼人を中心とした女性の輪が出来た。
「一体どうしたんでしょうか?」
 リリスは横に立つライラックとロナウに聞いた。
 身を竦ませるライラック。
「さあ……僕にもよく分からんのですが。まあ、痴話喧嘩か、何かとちゃいますか?」
 ロナウは首を振って応えるだけだった。そのロナウの肩にライラックは肘を乗っける。
「せやけど……なあ? ええ眺めやと思わん? ええ目の肥やしになるわぁ」
「? あなたが何を仰っているのか僕にはよく分かりません」
「またまたぁ。内心喜んでんのやろ? 分かってんねんで」
 ロナウが冷めた目でライラックを見る。
「分かってる? 何をですか? 優秀なあなたと違って、才の無い僕には女に現を抜かしてる暇などありませんから」
 そう言って肩に乗っかるライラックの肘を払って除けた。
「……ホンマ、そないなとこまでよう兄さんに似とるよな。少しくらい女に興味あるとこ見せとかな、しまいにはホモと思われるようなんで?」
「好きに思えばいいでしょう。それに僕は一言も女性が嫌いだとは言ってません。過程に置いて今は必要ではないと判断をしているだけです」
「……過程ね。まあ、頑張って兄さんを越えてやってくださいな」
「あなたに言われるまでもない……僕は必ず越えてみせる」
「無理だけはなさらずにしてくださいね? ガイナはガイナ。ロナウはロナウで、私は十分すぎるほど助けられていますから」
 ライラックとロナウの話を横で聞いていたリリス。労りの優しいお言葉を掛けられたロナウは謝意を口にし、頭を下げた。
 そして三人はまた隼人とナスターシャの方へと視線を戻した。

「で? これは一体どういうことなんだ? 説明してもらわないとな。お前だろ? お前が企てたことなんだろ?」
 周囲を女性に囲まれた、完全敵地に拉致された隼人は黙秘を続けるのは困難と思ったのだろう、重く閉ざした口を開く。
「……A○B四八だよ……」
「……エー○ービー? なんだそれは?」
 隼人は顎に手を添え暫し沈黙する。
「この世界で『歌』を歌う人のことは何て言うんだ?」
「『詩』? 詩人だが? それがどうした?」
「詩人か。……多分オレの言う『歌』とは根本的に違うみたいだな。ま、いいけど」
「何を一人でブツブツ言って一人で勝手に納得しているんだ。だからそのエー○ービーとやらは一体なんなのだ?」
「おっと、すまねすまね。その『詩人』の中でも選りすぐりの女性を四八人集めたのをA○B四八って言うんだよ。んでな……」
 ここから隼人のプチA○B講座が始まるのだが――
『A○B』は活動拠点の舞台となる街の略称だとか。派生ユニットが複数存在するとか。恋愛は御法度だとか。信者は一〇〇万人以上だとか。捲し立てるようにして早口で説明するが、この世界である人間達にはチンプンカンプンな内容で、一つも理解出来るものはなかった。隼人を囲んだナスターシャ達は、ただ黙って隼人の話が終わるのを待っていた。
「――な、なるほど……で? エー○ービーと言うのが詩人の集まりだというのは理解出来た。国民にもよく愛されてるのも分かった。しかし、それがなぜ……わ、私は別に構わないのだが……この者達みんながニーソを履く理由に結びつくんだ? しかも詩人ですらもないんだぞ?」
「え? だってA○Bニーソめっちゃ履いてるし」
「は?」
「だからニーソめっちゃ履いてるから」
「そ、それだけ? 詩人は? 今の無駄に長い説明は?」
「は? 『それだけ』じゃねーよ! 四八人だぞ! 四八人みんなニーソ履いてんだぞ! 壮観なんてもんじゃねーんだからな。歌? そんなもんオマケだオマケ。歌など真剣に聴いた試しがない。ニーソにしか目がいってないからな。分かるか? 所詮A○Bもオマケなんだよ! 主役じゃないんだよ! ニーソが主役なんだよ! A○Bなんて、所詮ニーソの引き立て役にしかならねーんだよ!」
「……昨夜もそうだし。隼人ってホント変態ね」
 黙って聞いていたラルファが溜め息混じりの言葉を口にした。
 開き直りとも取れる熱弁を震い、若干興奮気味の隼人。離れたところからパチ……パチ……パチと、ささやかな拍手の音が聞こえてきた。ライラックが拍手をしていた。隼人が何を言わんとしているのか理解出来た同類のライラックは隼人に深い感銘を受けたのだ。 ライラックの拍手を聞いた男性衛兵達は、勘違いを起こす。衛兵達は隼人が何を言っているのか要領を得ないまま、ライラックに釣られて一人また一人と手を叩き始めた――言いたいことはよく分からないが、副将軍が拍手をなさっているんだ。何か立派な発言をなされたのであろう、と――それはやがて鳴り止まんばかりの盛大な拍手へとなっていった。衛兵達は最初から立っていたのだが、まさに状況はスタンディングオベレーション。
 え? お、オレか? その拍手が自分に向けられたものだと気付いた途端、背筋が震え鳥肌が立った。
「……お、おい。コレは一体何事だ?」
 狼狽戸惑うナスターシャと『風』の女性陣を余所に、もの凄く気分を良くした隼人は俄然調子づく。隙を付いてナスターシャの横をすり抜けた隼人は、リリス達が居る場所。三段高い位置にある王壇へ駆け上がると、黒衣をひるがえし、衛兵達を上から見下ろす。自然と拍手はピタリと止んだ。何百という目が隼人に向けられる。言いようのない高揚感が隼人を支配する。王様になったような気分だった。真後ろにリリスという王女が存在するのも忘れて。
 またふざけたことを言うのではないかと、ナスターシャは嫌な予感がしてならない。
 そして一つ間を置いて隼人が口を開いた。
「――オレはここに宣言する! A○B四八に負けないニーソックス集団を作ることを! LHS四八を作ることをここに誓わせてもらう!」
 隼人の後ろからバチバチバチと激しく手を叩く音が聞こえた。よーゆうた! よーゆうた! と言ってるかのような、気持ちを込めた拍手をライラックがしていた。とりあえず横に座るリリスもライラックに倣って手を叩いた。女王がしている以上はと、ロナウも仕方なく拍手に加わった。そうなると、もう一瞬で先ほど以上の拍手が鳴り響いた。
 ナスターシャは静かにキレた。王壇から、衛兵達の拍手に手を振って応える隼人が気付いたときには、既にナスターシャがすぐ真横に立っていた。「ひぃっ」驚いて声にもならない声を上げた隼人にナスターシャはスコンと足を払うと馬乗りになり、殴りまわした。
「ちょっ! ふがっ! ……こ、こらっ! てめ! あがっ! やめっ……ひひいっ!」
 鬼や。そこに鬼がいた。隼人は手で覆うようにして顔を守った。ナスターシャはお構いなしに殴り続けた。的確にガードの隙間を突いてくる。右、左、右、左、時々アゴ。隼人の顔が面白いように揺れまくる。
「……た、助けてくれぇぇ……へぶっしゅ……」
 盛大だった拍手は、ナスターシャの拳が隼人の顔面に振り下ろされる度に、少し、また少しと元の静けさへと戻っていき、代わりに隼人を殴打する音だけが生々しく響き渡るようになっていた。みーぎ、ひだり、みーぎ、ひだり、ときどきアーゴ、ストーレートォ!

「わりぃな。少し遅くなっちまって」
 そう言ってバツが悪そうに王間に姿を見せたのはガイナと、アルベセウスの二人だ。
 王壇に上がった二人は所定の位置へと着く前に立ち止まった。リリスは困ったような表情を二人に返した。
「……ど、どした? 俺達が来るまでの間に何があった?」
 ガイナはナスターシャと、その横に正座する隼人に声をかけた。ナスターシャはフンと息を返すだけで、そして顔面が黄土色に変色し、パンパンに膨れあがるほどナスターシャに撲殺寸前まで殴打された隼人には、答えを返す気力など無かった。ただ目も虚ろに「すまぬ……すまぬ……すまぬ……」と、壊れた玩具のようにひたすら繰り返すだけであった。

 そして始まる出陣式。つい一刻前の騒ぎがウソのように静まり返った、微動も殆ど許さずに整列した衛兵達が見守る中で、出陣式は始まった。
 王壇。リリスの前には片膝を着いて頭を下げる『三神』に、それに倣って頭を下げる隼人。全く慣れないことで、隼人には気恥ずかしいものがあった。
 リリスは『三神』一人一人に、膝を付いて短く声をかけると、自分の左頬に相手の左頬をそっと合わせ、次に右頬に右頬を合わせると最後に額へ、そっと口付けていった。
 隼人の番へと回ってきた。頭を下げた隼人の視界に純白のロングドレスの裾が入ってくる。
 リリスが膝を付こうと腰を下げると同時にドレスがフワリと膨らみ、流れる空気に乗って甘い香りが隼人の鼻を擽った。
「――お顔をお上げになってください」
 促されて顔を上げた隼人のすぐそこにリリスの顔があった。
 隼人と目が合った瞬間にリリスはニコリと微笑むも、すぐに悲しい表情へと変わった。
「遠いところをお越しになられて早々、このような大任を押し付けるようなことになってしまい本当に申し訳ありません。そして引き受けてくれたことに深く心から感謝します」
「いや、まあ……出来る限りのことはするつもりだけど、過度の期待はやめてくれよ?」
「はい、大丈夫です。危険を感じたときはすぐにお逃げになってください」
「……自分で言っておいて何だが。なんかそうハッキリと言われると流石に悲しいものがあるな。それに逃げるとまでは思ってねーし……女が頑張ってるのに野郎のオレが逃げるわけにはいかんだろ」
 横のナスターシャが小さくウンウンと頷いた。リリスはナスターシャに微笑み返すと、また隼人へと視線を戻した。
「どうかナスターシャの力になってあげてください。お願いします」
 隼人に身をより近づけたリリスは隼人の両肩に手を添えるように優しく乗せると、眼前まで迫った。これには隼人も一瞬ドキっとした。瑞々しく可愛い小さな唇が言葉を紡ぐ。
「――汝、アカトキハヤトにワグナスの御加護があらんことを――」
 右左とリリスは隼人の頬に自分の頬を合わせると、隼人の額に可愛いキスをした。
「帰ってきたら、またランマルに会わせてくださいね」
 そう言ってリリスは少女らしい可憐な笑顔を隼人に見せると立ち上がり、元の場所へと戻っていった。
 そんな顔を見せられた隼人は、頑張るか。と思うことしかできなかった。

 慣れない演説、これからも慣れることがないであろう演説を終えたリリスに代わって、王壇の一番前に立ったアルベセウスが淡々とした口調で、王間に集まった衛兵達、指揮権を与えられた衛兵達に最終的な指示と確認を繰り返していた。
 王都ログナスを囲う城壁。北に位置する前門にはロナウが陣頭指揮とする、二つの大隊からなる連隊が配置とされ、南に位置する後門にはライラックが陣頭指揮とする、二つの大隊からなる連隊が配置とされる。後は五〇人規模の『火風巨』の合同小隊二チームを中隊とした部隊を、城壁の外部全方位至る所に配置。『風』の副将軍であるシークについては今回は城での待機となっている。『前線を突破した喰人』という不測の事態を想定とした陣形、編成となっているのだ。実際今まで喰人がログナスにまで攻め入ったことは一度もない。なぜなら、最前線に立つ将軍達が意地と誇りに賭けてそれを許さないからだ。
「――以上となっているが……良いか? これだけは忘れてくれるな。お前達が城を守ってくれているからこそ、私達三神は一切の思慮なく存分に戦えているということを。お前達の頑張りが無くしてこの国の未来は開かれぬということを」
 鼓舞する言葉で最後を閉めたアルベセウスは後ろを向くと玉座に座るリリスに一礼し、ガイナ、ナスターシャ、最後に隼人へと視線を移すと微笑を作り頷いた。
「さあ、行くとしようか――」
 王壇から降りる四人。
 一人どこからか声を上げた。
「ウエア! ラーズ! ドゥーレイズ! リーンハルス!」
 ――ウエア ラーズ ドゥーレイズ リーンハルス――
 衛兵達は堰を切ったように一斉に、『栄光と未来のリーンハルスは我らと共に』という『万歳』を意味する言葉を何度も口にした。赤絨毯を歩く四人の将軍に向けて。拳を振り上げ目一杯に声を張り上げて。リリスは四人の姿が王間から無くなるまで、その背中に拍手を送り続けていた。
 ――どうかご無事で。最後小さくそう呟いたリリス。膝上に下ろした手は小さく震えていた。

 ログナス城門前は隼人達を含む何千という数の人間で溢れかえっていた。
 集まった衛兵達は各人与えられた持ち場へと、散り散りとなって急ぎ早に移動を開始していく。隼人が空を仰げば、ペガサスに跨る衛兵達が右左前後ろと交差を繰り返しながら飛行していた。意外にペガサスは早く飛ぶことが出来るようだ。羽ばたいてるペガサスもいれば羽ばたくのを止め、空を滑るように……滑空飛行をするペガサスもいる。隼人はふと思った。ペガサスは馬なのか? それとも鳥なのか? 隼人はナスターシャに聞いてみた。しかし返ってきた答えは『天馬』で、なんか釈然としない隼人だった。
「兄さん、気を付けて」
 馬に跨ったロナウは兄である上官ガイナにそう一声かけると鉄仮面を被り駆けていった。ロナウに続くようにして大勢の衛兵達も移動を開始する。
「そんじゃオレも行くとしますか。ま、せいぜい頑張っておくんなはれや大将」
「お前もな」
 ライラックはアルベセウスの言葉に笑みを返すと、手をヒラヒラと振りながら緊張感皆無なままロナウとは逆の南門へと向かった。
 入れ替わるようにして、衛兵に手綱を引かれながら二頭の、普通の馬よりも二回りは大きい巨馬が姿を見せた。手綱を受け取ったガイナとアルベセウスは巨馬に飛び乗り跨ると隼人とナスターシャの傍までやってきた。
「そんじゃオレ達は先に出るぜ。こっちが片づき次第そっちの応援に回ってやっからな」
「ナスターシャよ、くれぐれも無理はするなよ。特にロゼが現れたときはまともにやり合おうとするな。私達が向かうまで逃げ通すことだけを考えるんだ、いいな」
「心配するな。こっちには優秀な紋章憑きがいるんだ。こっちはこっちで何とかやりきってみせるさ。なあ? ハヤト」
「ん? ぁあ……やれるだけのことはするつもりだけど、まあ期待はすんな」
「ハヤトよ、キミには本当に感謝している。さすがに今回の相手は私達紋章の力を持った者以外では厳しいのでな……」
「無事に終わったときには相応の我が儘を聞いてもらうとするよ」
「それは勿論だ。出来る限りの誠意を持って応えさせてもらうから安心してくれ」
 その言葉を最後に、ガイナとアルベセウスの二人は数人の衛兵を引き連れて城を出発した。目的地はマコロ平原。

 残った隼人とナスターシャにLHS四八(現在一三名。この先増えるのかは事情により未定)の女性達。強く風が舞ったと思ったら直にペガサスに跨ったシークが上空から降りてきた。一昨日の夜にシークが跨っていたペガサスも風格を漂わせてはいたが、それよりもより強い風格を纏った芦毛色をしたペガサスだ。馬体には長大なランスが邪魔にならない位置に取り付けられていた。
 シークがペガサスから降りる。
「お待たせしてしまって申し訳ありません。リリマーレンお連れいたしました」
 リリマーレンと呼ばれるペガサスはナスターシャの差し出した手に自ら首を擦りつける。
「良い子だ」
 ナスターシャがヒラリとリリマーレンに跨ると後ろに取り付けられた鞍をポンと叩いて隼人に乗るように促す。
「あ? いやオレ乱丸いるし」
「ランマルはダメだ」
「は? なんでよ」
「他のペガサスが怖がってしまうからな」
 隼人は一昨日の夜を思い出す。
「あー……確かに。それならまあ仕方ねーな、でも大丈夫なんだろうな? 振り落とされるのとかだけは勘弁してくれよ……っと」
 隼人は勢いを付けて飛び乗る。
「心配するな、私はそこまで荒い操縦はしない。では早速動くぞ? 少しばかり時間をくいすぎてる。鞍の取っ手をシッカリ掴んでおけよ」
「取っ手? ああ、これか」
 そう言って隼人は股の間にある取っ手を掴んだ。
「さあ行くぞ!」
 大きく声を上げたナスターシャが手綱を引くとリリマーレンは翼を羽ばたかせ、グングンと上昇し、大勢の衛兵達が地上から見送るなか飛び立っていった。
 ナスターシャと隼人の目的地はオージス平原。


 マコロ平原の地食発生地点に到着したガイナとアルベセウス。直径一〇米程の、沼のような漆黒の空間が地に存在していた。二人は馬から降りると付き添いの衛兵に手綱を渡し安全な位置まで下がるように指示を出した。急いでこの場を離れる衛兵達。
 アルベセウスはすでに異変を感じていた。施していた封縛が破かれていた。しかし、喰人が姿を現した形跡は全く見受けられない。それはつまり――
「舐められたもんだな」
「フッ、恐らく私が封縛を施していたのを地食の向こうから見ていたのだろう」
 アルベセウスが再び現れるのを確信して持っているのだ。そしてそれは今実現された。喰人の望んだとおりにアルベセウスはやってきたのだから。しかも二人となって。
「――準備は……――出来たのかね――」
 地食の奥から聞こえた男の声。漆黒の空間に幾重にも波紋が広がり、二つの光が漆黒の空間の中に小さく灯る。大地が鳴った。それは突き上げるかのような衝撃。一瞬景色がグルリと回転する。勿論錯覚でしかないのだが、それは超大なエネルギーを持った喰人が降臨することを示す。
「来るぞ!」
 ガイナとアルベセウスは離れて高い位置へと飛び退く。
「――ヴァンディエン リッヒ リン カークス――」
 ガイナは一つ目オーガの面を召喚すると顔に掛けた。
「これは中々手を焼きそうな相手やもしれんな」
 グールバロンの声にガイナは気を一層引き締める。
「上等じゃねぇか。アルベセウス! 一気にいくぜ。全開だ」
 アルベセウスは頷く。
「――マークス インビット ディヴァ ガイナ リブ リン カークス!」
 ガイナの付けたオーガの面が独眼光を激しく放つと、瞬く間に面とガイナの顔とが同化していく……ガイナの顔が、目が。パキリ、ペキリと不気味な音を立てて巨大な一つ目へと変化していく。
 そして地喰。大地が激しくうねり踊り、漆黒の空間が荒々しく波打ち、やがて……盛り上がり始める……一つ……二つと。
 黒い障気を噴出させながら、その姿、現す。漆黒のベールを身に纏った大小二つの完全なる人型喰人が降臨した。
 言葉を口にする喰人。
「――あー……ジェントルメンの諸君。準備は如何ほどかな? 私は待ちくたびれてね……さあ、どうなのかね?  久しく体を動かしていない私は暴れたくて暴れたくて体の震えを抑えることが出来なくなってきたんだがね……君たち二人は私を存分に楽しませてくれるんだろうね? んん? どうなんだ? 私を、満足させてくれるんだろうねぇ!」
 最後、一層声を張り上げた喰人の黒膜が弾けて消える。黄金色の瞳に青色肌の男性型喰人が姿を見せた。
 白髪……否、灰色髪をオールバックにし、への字型の口髭――カイゼル(皇帝)髭を生やした喰人の装いはまるで上流階級貴族紳士。
 そしてもう一方も声を発する。
「伯爵、うるさいです――」
 まだ声変わりもしていない――リリスのような――幼い声。小さい体を覆っていた黒膜が胸元の一点に吸い込まれるようにして消える。黄金色の瞳に青色肌の女性型喰人が姿を見せる。
 肌の色よりも濃い、紫がかった青色の髪が淡く光輝き、可愛くフリルの付いたカチューシャを乗せた女性型喰人。
 黒いワンピースにフリルの付いた純白のエプロンが組み合うエプロンドレス。その装いはまるで伯爵にご奉仕し付き従うメイドそのものであった。
 ……二人かよ。しかも――数多くの修羅場をこなし、潜り抜けてきたガイナ。直感的に、やばい域に達してる相手だと感じた。脳裏に『ロゼ』の二文字が浮かぶ。
 舌打つガイナの肉体が激しく震え、背、肩、肘と、奇妙に衣服を突き破ることなく鋭い角が生える。ガイナの足が地に深くめり込む。
 刹那、レガースを同化させた足が禍々しく形を変えていく。
 刹那、ガントレットを同化させた腕が禍々しく形を変えていく。
 最後、黒衣をも完全に同化させたガイナの体は『人』としての形は失っていた。
 召喚魂リンカークスによって、オーガモードへと切り替わったガイナの体積が優に二倍を超えた大きさになった。馴染ませるかのように、慣らすかのように、独眼を左右に上下に動かし、そして喰人二体を捉える。リンカークスの魂と同調し不安定に揺れる精神を集中して落ち着けさせる。二体の喰人を目に、脳裏に、リンカークスの魂に焼き付けさせていく。
「……じゃあ、おっ始め――っ」
 喋ってる途中、メイド風喰人の目が一瞬光ったと思ったときには、もう遅かった。ガイナの腹部をメイド風喰人が貫いていた。

「……つまんないな」瞬殺にメイド風喰人は落胆の声をポツリと呟いた。
「余裕ぶっこいてんじゃねーぞ?」
「え?」まさか。
 背後から聞こえたガイナの声。振り向いた喰人の顔にガイナの巨大な拳がめり込む。耳を劈く破裂音が響き渡ると『何か』が木っ端に弾け散った。
 幼く小さい喰人の体が『消えた?』と思わせるほどの早さで吹っ飛び、自然の岩壁に打ち付けられる。音を立てて崩れる岩壁。崩れ落ちる土砂に、喰人の小さな体が飲まれた。
「ほぅ……彼は超回復を使えるのかね」
 伯爵紳士を装った喰人が誰ともなく口にした『超回復』。その言葉の意味を示すかのように、ガイナの腹部に大きく空いた傷穴が見る見ると塞がっていく。
 以前、ガイナと隼人が戦った時のことを覚えているだろうか。
 隼人はガイナの攻撃で酷い傷を負っていたにも拘わらず、それから数時間後には何事もなかったかのように臨時の会議の席に着いていたのだ。
 そう、紋章憑きは常人では到底考えられない治癒能力を持っているのだ。しかし当然、回復が追いつかない程のダメージを立て続けに喰らえば死んでしまうし。肝心の心臓をやられてしまえば即死になる。
 そして伯爵喰人が口にした『超回復』とは。
 紋章憑きが持つ治癒能力と回復速度が何十倍にも強化されたような、とんでも無い能力なのだ。アルベセウスにもナスターシャにも無い、太古の巨人が持っていた異常生体機能を組み入れることが出来る『召喚魂』が扱えるガイナにしか出来ない芸当である。副作用さえなければ最高の能力になるのだが……ガイナが女性を好まぬ理由が『召喚魂』にはあったのだ。
「あの状態になってしまったガイナを倒すのは容易ではないぞ」
 アルベセウスはほくそ笑む。
「なに心配には及ばぬよ」
 土砂の山を突き破って出てきたメイド風喰人。
 よろめきながらも再びガイナの前に立ったメイド風喰人。首から上、顔が無かった。喰人と言えど見た目は少女。可愛らしい小さな顔はガイナの一撃で粉砕されてしまっていた。
「うちのガール、ロロナも――」
 伯爵にロロナと呼ばれる喰人。首元から骨、血管、皮膚組織と、凄まじい早さで再生甦っていく。歯の再生、眼球の再生、髪の毛が生え同じ長さにまで伸び終える。瞬く間に元通りの顔に戻った。
「――超回復の持ち主だからね」
 ロロナは小走りで、地面に落ちたカチューシャを拾いに行くとそれを頭にチョコンと乗せ留め、両手を前で揃えガイナにお辞儀をした。メイドの完成。
 ズクン――ガイナの中で何かが疼いた。相手が喰人だからと、今回はもしかしたら? とガイナは淡い期待を抱いていたのだが、そんなに甘くはなかったか。どうやら巨人とやらは見境無しのようだ。そうこう考えてる内にまた疼いた。いよいよ召喚魂の副作用がガイナの体を蝕み始めた。
「アルベセウス! わりぃけどそっちはお前一人でどうにかしてくれ。オレはコイツを連れてこっから離れたとこで『やる』からよ」
「今回はやけに早い発症だな。まあコッチのことは気にするな、これくらいの相手私一人で十分だ」
「多分久しぶりに使ったもんだから抑制力が弱まってんだわ。マジわりぃな」
 アルベセウスとの短い会話のやりとりを終えたガイナはロロナに付いてこいとアゴで指示を出すと先に飛び去る。ロロナもそれに従い付いていった。
 残ったアルベセウスと伯爵喰人。一陣の風が砂を巻き上げ二人を包み込む。
 伯爵は腕を組んだ状態から左腕を起こすと、自慢の口髭を指先で形を整えるかのように弄くる。
「……私を相手にするのは一人で十分、か。キミも中々言うじゃあないか」
 髭を弄り終え伯爵の組んでいた腕がゆっくりと解かれると、その両手が黒炎に包まれる。歪に揺らめき燃え盛る黒炎。
「でもねぇ。私は下等な人間如きに舐められるのだけは我慢ならんのだよ」
「それは奇遇だな。私も貴様達のような悪魔風情にこの国を好き勝手されるのは我慢ならないんでね」
 組んでいた腕を解いたアルベセウスが両腰に下げた魔導書の留め具を外すと、二冊の魔導書はまるで生き物のように宙を浮かび彷徨い始めた。

「腐り塵るがよいっ!」
 突き出す両手。二股の黒炎が弧状になってアルベセウスに襲いかかる。
「ピアズィ ドロイズェン!」
 アルベセウスは古代言語で『頁十三』を口にする。
 閉じた魔導書が開き攻撃系火系魔法『ヴォルドルェイザ』が無動作無詠唱で発動される。その間僅か一秒――アルベセウスは本来魔法を発動させるのに必要な一連の動作に詠唱を独自に研究開発を重ねた末、詠唱文字を魔導書に書き記すことによって百もの魔法をストック。詠唱破棄での魔法の発動を成功させた、世界でも数少ない一人である――地面に浮かびあがった真紅の魔法陣から立ち上った炎の螺旋柱は伯爵の放った黒炎を巻き込みながらうねり天高く昇り、轟然と爆発した。二種の異なる火の粉が飛び散り降り注ぐ。
「けっ、相変わらず糞汚ねぇ火擬きだな」
 火の神イーヴェルニングが伯爵の黒炎を『もどき』と一蹴する。
 よく見ると黒い火の粉が落ち、付着した大地が斑に黒く変色していく。腐臭が鼻を劈く。大地を腐らせていってるのだ。燃やして灰にする炎と違い、燃やして腐敗(灰)させる黒炎。炎のダメージと違い黒炎のダメージは細胞組織をも腐敗破壊し、紋章憑きの持つ治癒能力機能の低下を引き起こす。
「良い炎を扱うじゃないか」
 巨体の持ち主である伯爵が一気に距離を詰めてきた。
 アルベセウスは後ろに飛び退く。しかし前進と後退。あっさりとまた距離を詰められる。さっきよりも増して、身が強張るほどの重圧感がアルベセウスを襲う。
「ピアズィ ヌインズェン!」
 飛び退きざまに『頁十九』を口にする。攻撃系火系魔法『ヴォルガノーネ』の発動。アルベセウスの前に魔法陣が現れると火砲の如き炎弾が撃ち放たれる。ほぼ零距離。烈火の閃光が弾け二人を中心に生まれた爆風の衝撃波が辺り一帯の自然を吹き飛ばし消し去った。
 朱に染まる大地。伯爵の体が豪火に包まれる。だがそれで終わりを迎えるほど伯爵は楽な相手ではない。炎の中で大きく見開いた目、笑い歪む口元。
 アルベセウスが大きく距離を取ろうと跳ぶ。だがすんでのところでアルベセウスの足は伯爵の伸ばした左手に掴まる。強引に引き戻される。身構え立て直す暇など無い。
 伯爵が胸の前で腕を捻り右拳を固める。膨れあがる闘気に大気が震える。
 アルベセウスは咄嗟に口にする「ピアズィ ズィクスントフィアヴィッヒ!」『頁四六』補助系火系融合魔法『ヴォルベストパンツァー』。突如発火したアルベセウスの体が炎に包まれる。
「何をしたところで私のこの一撃は防げんよっ!」
 一閃豪拳。空気を貫き裂き、伯爵の拳がアルベセウスの腹を打ち抜く。黒炎の槍が天を貫く。『ヴォルベストパンツァー』によって生成着装した火の甲冑が砕け散る。
 アルベセウスは空中でクルリと体勢を起こし地面に着地、片膝を付いた。ぎりぎりだった。魔法の発動が一瞬でも遅れていれば間違いなく伯爵の拳はアルベセウスの腹部を貫いていただろう。それでもアバラの数本は持っていかれたが、これだけで済んだことに良しとするべきか。アルベセウスは口端から伝い落ちる血を拭い笑った。強いな。
「何が可笑しいのかね」
 なっ! 気付かぬうちに伯爵がアルベセウスの背後に立っていた。アルベセウスは頭を掴まれ軽々と持ち上げられる。
「がはっ!」アルベセウスの背中に激痛が走る。
 伯爵の拳打が背中に打ち込まれていた。
「言ってみたまえ! 何が可笑しいと言うのだね! んん?」
 伯爵は続けざまに二発三発四発と容赦なく打ち込む。アルベセウスの体が吊された砂袋のように激しく揺れる。
「おいおい、大丈夫かよ」
 一方的に為すがままのアルベセウスに、堪らずイーヴェが話しかける。
「なに……心配は……うぐっ! ……い、いらぬ……フッ」
 アルベセウスは不敵に笑った。そして伯爵が拳を止めた。
「キミは一々と感に障る仕草を見せる。余程自分に自信があるということなのかね? この様な不利な状況に陥っているというのにね!」
 止めた拳を再度振るう。アルベセウスの口から乾いた声が漏れた。
「キミも分かっているとは思うが……私は本気で拳を握っていないのだよ? もし私が本気で拳を握っていれば、先ほど見舞った一撃のようにキミは無事では済まないのだよ?」
 アルベセウスの肩が大きく震える。最早当て付けにしか見えない。
 アルベセウスはまたも笑っていた。
「ならば本気になればいい……いや、本気になることを勧める――ピアズィ ドロイズェン!」
 光り捲れる魔導書。伯爵の足下に魔法陣が浮かび上がると、うねる炎柱が勢いよく立ち上った。伯爵は咄嗟にアルベセウスの頭から手を離すと後ろへと飛び退く。手が離れたのと同時にアルベセウスも伯爵とは逆の方へと飛び退いた。
 再び互いに距離を取り合った二人。先に動いたのはアルベセウスだった。
 アルベセウスは跳躍し、より伯爵との距離を取ると口を開いた。
「貴様は確かに強い。しかし、それでもその『強さ』は私の想定とするところ。分かるか? 私の相手をするには貴様では余りに非力。力不足ということだ」
「……言うじゃあないか。いいだろう。キミがそこまで言うのであれば、私はこれから本気でいかせてもらうとしよう」
「それが賢明な判断だ……と言いたいところだが、もう遅い。貴様が『ロゼ』でないと分かった以上、無意味に戦いを長引かせる必要もないのでな、一気に終わらせるとしよう」
 その言葉に対して伯爵が抱く感情は、猛り余る怒りか? 違う。
「確かに私は『ロゼ』ではない。しかし、だからといって私を舐めぬことだ。本気になった私を軽く見ていると痛い目を見ることになるぞ」
 並大抵のことでは揺れ動かぬ絶対の自信を持った余裕は、屑程も崩れることはなかった。
 伯爵は両の腕を左右に開いて構えると拳を作る。伯爵が初めて構えてみせた。発火。青黒く神妖な色をした、腐臭を放つ炎を纏った伯爵。燃え盛る黒炎。肌が凍てつくような、奇妙な痛みを覚える熱波がアルベセウスを襲う。並の戦士であればこれだけで押し潰されてしまうような膨大で暴力的な魔力を全身から噴出させる。破壊と殺戮の喰人、本領を見せた瞬間。
 伯爵の口の端が、どうだ。と言わんばかりに緩み上がり、唇の隙間からは青黒い障気が漏れる。
「相当な魔力だな……しかしそれも想定の内。所詮は喰人の域を超えるに至っていない」
「抜かしよる。そこまで言うのであれば、キミの本気とやらは私を満足させてくれるのだろうね?」
「勿論――ピアズィ フィアヴィッヒ――」
『頁四〇』、付加系(アタッチメント)特殊魔法『エカゥ』
 アルベセウスの首にグルリと浮かび上がるリボン状の魔法陣。
 アルベセウスが口を開く。
「――満足するどころか、貴様は後悔することになるだろう」
 その言葉が反響して何重にも重なって聞こえる。
 その魔法のもたらす効果が何であるかを一瞬で理解した伯爵が目を細め笑う。面白い。徹底して、この私に対して魔法で挑むということか――やはり地上は良いものだ。伯爵は久しく感じてなかった興奮を覚えた。
 幾ばくながらの興奮を堪能した伯爵の表情が落ち着き、瞳が山羊の目のように横に細長くなる。と、遠くで重く固く大きな、激しく衝突し合う音がここまで聞こえてきた。どうやらガイナとロロナの戦いも始まったようだった。
「ふふふっ、どうやら向こうは向こうで存分に楽しんでるようだね。私達もそろそろ始めることとしようか。本気の戦いとやらを」
「――ピアズィ アィゼン」
『頁一八』、攻撃系火系魔法『ヴォルレーゲン』
 魔法陣から生み出されるのは柄から刀身まで全てが火で成形された炎の剣。反響して聞こえる言葉全てに魔導書は認識して応える。次々と召喚される炎の剣は計一五本。全ての剣は切っ先を伯爵へと向けて宙に浮かぶ。
「貴様等喰人相手に一切の慈悲などかけぬ」
「願ってもないことだ。遠慮などせずに存分に振るってくれたまえ」
 雲一つ無い晴天の下、不釣り合いに荒れた風が二人を包む。アルベセウスの赤衣が激しく靡く。アルベセウスは伯爵の力量を見極めた上での、繰り返す強気の言動ではあったが、それは逆も又然り。伯爵も抜かりなくアルベセウスの力量を計り見極めている。先程の短い手合わせでどちらが精度で勝って、実力を読み取れたのか。ここでの誤りは即敗北を、死を意味すると言っても過言ではない。
 風がピタリと止んだ。それが開始の合図になる。
 二人は同時に動く。
「ぬあっはぁぁ!」
「ふっ!」
 地面が抉られ捲れ上がるほどに、地を蹴り一気に間合いを詰めてくる伯爵。
 瞬時に跳び後退るアルベセウス。
 インスタイルの伯爵にアウトスタイルのアルベセウス。
 アルベセウスは肝を冷やす。不快な汗が額に滲み出る。率直に言って、伯爵が動く速度は狂気じみていた。精神一到。神経を磨り減らしてでも、その一点に集中しなければ見失うほど。スピードにおいては伯爵が遙かに圧倒する。
 伯爵の優位。アルベセウスが伯爵の動きを目で追った時には既に背後を取られていた。振り抜く拳には幾重の残像が見える。
 しかし――轟音、爆炎に包まれ吹き飛んだのは――伯爵の方だった。
 空中で体勢を整え地に降りた伯爵を容赦なく炎の剣が赤い閃光となって襲う。
「ふんぬっ!」
 襲い来る閃光を拳で二分に裂き分断し散らす。
 アルベセウスの優位。赤い閃光は止まらない。伯爵を囲うようにして浮かぶ炎の剣が次々と伯爵を襲う。一撃二撃三撃と拳で殴り弾き返す伯爵。
 四撃、五撃、六撃、七撃、八撃、九撃目と拳で迎え弾く形で被弾を逃れていた伯爵であったが――十撃目が遂に伯爵の背中に直撃した。たたらを踏み隙を与えた伯爵に、残っていた四本の炎の剣が一斉に放射される。
 四方からの直撃に、干渉し合う力の逃げ場は宙。伯爵の体は爆風と共に宙に舞い上がる。
「……小、癪な……――なっ!?」
 空中で身を起こした伯爵は瞠目する。
 新たに召喚された炎の剣。その数六〇本の剣は伯爵を中心にして球状にして連なる。
 これには狼狽隠しきれない伯爵。
 伯爵の取った行動は――身を亀のように丸めての防御だった。その行動に、アルベセウスはほくそ笑んだ。閃光と化した炎の剣が容赦なく伯爵を襲う。全方位からの同時被弾に、先程のような力の逃げ場は無い。落下することも許されずただ圧されながら、伯爵は堪えてやり過ごすことしか出来なかった。丸める体。腕の隙間からアルベセウスを睨む。しかし、その目がまた瞠目する。
 剣で作られた球体領域に封じ込められることを余儀なくされた伯爵。無情にもその外側に二層、三層、四層と尋常でない数の炎の剣が球状に連なって召喚されていく。二層目一二〇本、三層目二四〇本、四層目……四八〇本。空が燃え盛る。小さいながらも、紛れもない太陽がそこにはあった。この瞬間、アルベセウスは自らの勝利を確信した。
 発動されたのは『頁六〇』。単純に六〇発の『ヴォルレーゲン』を同時に発動するだけ。だが今回は桁が違う。先に発動した『エカウ』の反響効果も相まって驚愕の計九〇〇本。
 いつ誰が名付けたのか、人はこれを――グーヴェンギーニフ オウ ゾンネ――太陽監獄と呼んだ。
 アルベセウスは何も言わず笑うと伯爵に背を向けて歩き始めた。
 これ見よがしなアルベセウスの態度に憤怒する伯爵。が、もはや伯爵にはどうすることも出来なかった。灼熱の猛威領域。絶え間なく伯爵の体へ打ち込まれる火の刃弾。まるでいたぶり殺すかのようにジワリジワリと燃え朽ちていく伯爵の体。
「ん……ぐぬぅ……こんな、こんな……こんなはずでは……なか……っ」
 あの時、逃げていれば……亀になる伯爵はそう思うが、もう遅い。やがて抵抗力を失った伯爵の体はもがれ燃え尽き灰へと帰してゆく。

「――ふぅ」
 戦闘領域から少し離れたアルベセウスは身近な木の根本へと腰を下ろした。
 空を眺めるアルベセウスに緩やかな風が吹き付ける。汗を掻いた肌には丁度心地良かった。
 ここから眺める離れた空では今も太陽監獄の爆発が続いていた。
「どうだったよ?」
 イーヴェルニングが話しかけてきた。
「何がだ」
「正直、冷や汗掻いてただろ」
「…………まあな。ヤツが留まらずに逃げていれば展開は変わっていただろうな。近距離戦闘はどうもな……性に合わん」
 アルベセウスは木の幹に背を深く預けた。
「向こうは。ガイナの方は良いのか?」
「いつもより早くリンカークスの発作がきているようだったからな、あの様子では喰人相手に済ませるつもりだろう。私はそれが『終わった』頃を見計らって行くとするさ……それに私の魔力も殆ど底をついた……」
 そう言うとアルベセウスはゆっくりと目を閉じた。
 空が一際明るくなった。太陽監獄が最後の爆発を迎えた。凄まじい衝撃が大気と大地を振るわせ、盛大に四散した不純物の混じった火の粉が、アルベセウスの居るところにまで滝のように降り注いだ。
「きたねぇ花火だ」
 イーヴェルニングがポツリと呟いた。その声は眠りに就いたアルベセウスには届いていなかった。

 場所をガイナとロロナの戦いの場へと移し、ほんの少し時間も戻す。
 マコロ平原。平原と言うだけあって戦う場所には困らない。ガイナが選んだ場所は広範囲にわたって草原が広がる地帯。視界を遮るものは何もない。
 グールバロンは一人思った。天気も快晴。太陽の暖かい光が燦々と降り注ぎ、心地良い風が草の香を運ぶ、なんと行楽日和なことか……目の前に喰人さえいなければの。
 ガイナと対峙するロロナという名の喰人。もう見た目は女の子でしかない。特色ある肌の色がなければ、誰もこの女の子を喰人と疑わないだろう。
 余計な先入観に感化されつつあるガイナ。今し方、このメイドの格好をした女の子の顔面を粉砕破壊したのも忘れたのか、ガイナはこれからこの喰人の身に与える悲劇を考えると少しの罪悪感が生まれそうになっていた。
 容姿と年齢が直結するものではないとは理解している。ましてや、喰人だ。見た目はこんなでも実際の歳は、ん百歳とか……なんだろう、とは思うのだが。
「やる前に一つ聞いておくが、お前……幾つだ?」
 姿形はオーガと呼ばれる高さ三米を優に超える化け物に変形しているが、声は元のガイナのままで不釣り合いなことこの上なかった。まるで道化芸を見ているようだ。
「? ロロナですか? ロロナは○○歳ですけど、それが何か?」
「見たまんまかよ……」
 姫様と同じときたか……ガイナは聞いたことを後悔した。が、今更どうすることも出来ない。『やる』ことは決まっているのだ。リンカークスの副作用である発作が完全に始まれば理性では抑えきれない。支配されるのだ、ある欲求に。ガイナはその欲求を解消するために、毎回城に遊女を呼んでは『済ませて』いたのだが、今回は城に戻るまで発作は待ってくれそうにない。発作はすでに始まりつつあった。
 だからガイナには『やる』必要があるのだ。
 オーガが持つ、オスがメスを服従、支配、奴隷とするための性的な欲求を鎮めるために喰人を『やる』……喰人を『殺る』前に『犯る』必要があった。
「おろっ?」
 景色が傾く。違った。ガイナの体勢が傾き崩れたのだ。ガイナは尻餅を付いて倒れた。
 そのガイナの目に入ったのは膝から下がスパッと切断され、ご丁寧に輪切りに調理された自分の足だった。
「何をやってるか」グールバロンの嘆いた声が聞こえた。
「確か、戦いは始まってますよね?」
 ガイナは後ろを振り向いた。さっきまで向かい合って立っていたはずのロロナがそこにいた。どこから取り出したのか、手にはお茶を乗せて運ぶためのティーソーサーを持ったロロナ。そのソーサーの縁は鋭利な刃になっており、ロロナはソーサーの真ん中に空いた小さな穴に指を通してクルクルと回す。
「あれ? もしかしてまだ始まってませんでしたか?」
「……いんや、とっくに始まってっから。オレがボーッとしてただけだ」
 ガイナは手を付くと立ち上がる。切断された足は早くも復元されていた。
「ですよね」
 笑うロロナが跳びかかりソーサーを振り下ろす。ガイナは余裕で肘から突き出た角で受け止めると流れるようにいなす。体勢が入れ替わるようにしてロロナの背後を取ったガイナは間髪を入れずにロロナの小さなお尻を蹴り上げた。砲台から発射される砲弾のようにロロナは空の彼方へと飛んでいった。
「おー、軽いからよく飛ぶなぁ」
 軽口をガイナは叩くが、当然これで終わるとは一つも思っていない。
 その通りすぐにもの凄いスピードでこちらへと戻ってきた。
 ロロナは目尻に涙を浮かべ、お尻をさする。
「か、か弱い女の子のお尻を蹴るなんてどういう教育受けて育ったんですか、あなた!」
「一度顔面ぶっ壊されてんだろが、今更だろ。それにこれは殺し合いだろーが!」
 軽く助走を付けたガイナは大きな体で跳び蹴りを披露する。しかしそれを難無く両手で受け止めたロロナはガイナの足を掴み、逆に地面に叩きつける。大きく陥没する地面。ガイナの呼吸が一瞬止まり大きな一つ目が激しくブレる。
「そう! でし! た! これ! は! 殺! し! 合い! でし! た!」
 攻撃の手を緩めないロロナは右に左とガイナの体を何度も地面に叩きつける。大地を太鼓にしたド迫力な演奏。逆さ振り子の状態のガイナの口からは血が吐瀉され撒き散らし、両手は力無く伸びきる。既にガイナの意識が飛んでいるのが分かった。
 ラスト。ロロナはガイナの足を掴んだまま宙へ跳ぶと、高い位置から渾身の力を込めてガイナを叩きつけた。
 仰向けにぐったりと倒れるガイナの目が真っ赤に染まる。ピクリとも動かない。
 息を切らしたロロナが倒れるガイナの頭の上まで来る。
「強くもないのに粋がるから……そのような醜態を晒すことになるんですよ? 本当、無様ですね」
 するとここでロロナは驚くべき信じがたい行動を取った。
「……そんな無様なあなたには……」
 何を思ったのか、ロロナはおもむろにスカートをたくし上げる。何とその下には下着を着けておらず局部が露出した状態であった。
 頬を赤くしたロロナ。スカートを握った手にグッと力が入り、下腹部にも力が入る。
「……んっ……出る……っ」艶を帯びた声がロロナの口から小さく漏れると――
 閉じた割れ目から勢いよくおしっこが放出された。急な放物線を描いたおしっこはガイナの顔へと降り注ぐ。
「たくさん……飲んでくださいね……」
 恍惚な表情に変わったロロナはゾワゾワと身震いを起こす。腰の角度を調整し、ガイナの口の中におしっこを注ぎ込む。口に収まりきらなかったおしっこが溢れて零れる。瞬く間にガイナの顔はロロナのおしっこにまみれてベチョベチョになってしまった。
 やがて勢いがなくなったおしっこはロロナの太股を伝う。残尿出し切ったロロナがまた身震いを起こした。何ともスッキリとした幸せそうな表情だ。この時ガイナの鼻がピクリと動いたが、悦楽の余韻に浸るロロナは気付いていない。
 またガイナの鼻が動く。おしっこ特有の鼻を突く匂いがガイナの鼻孔を刺激していたのだ。ここで、傍観していたグールバロンが痺れを切らしたか、やれやれといった感じでガイナの脳をチクリと刺激する。瞬時にガイナの視界が戻る。真っ先に飛び込んでくるロロナの晒された局部。このガキ、戦いの最中に一体何をやってるんだ? と驚くガイナは思わず喉を鳴らす。口内にはロロナの新鮮なおしっこが溜まっているとは知らないガイナは、
「っ!? がっはっ!」
 いきなりむせた。ロロナのおしっこが一気に喉を通ったものだから気管に入ったのだ。
「げほっ! げほ……っ、ごはっ、げほっ!」
「あら、気が付いたんですか」
 ロロナはたくし上げたスカートを下ろした。
「……げほっげほっ……て、てめぇ……っんっ……ん……オレに、何しやがった?」
「何って、ロロナのおっしこを飲ませました」
「は?」
「お味は如何でしたか? もちろん美味しかったでしょ?」
 ロロナに言われて、ガイナは口腔に残ったおしっこの味を確かめる。
「……確かになかなか良い味だな」
 ロロナの、侮蔑も含めての言葉だったのだがガイナから返ってきた言葉はロロナの予想としないものだった。
「あら、あなたもしかして変態さんだったんですか?」
「まあそれは否定できねーだろうな。とは言ってもオレがじゃねーぞ。召喚魂がそうさせるんだよ。召喚魂のおかげで今では小便飲むくらい何とも思わなくなっちまったからな。野郎の小便じゃねーからな、女の小便だからな。あ、それと召喚魂ってのは今のオレの状態のことな」
「へぇ……そうなんですか……そうなんだ……」
 ロロナは上からジッとガイナの顔を見る。その目は、先程ガイナを『無様』と一蹴罵っていた時に見せた蔑んだ目ではなく、爛々とした好気に満ちた目をしていた。俄に状況が変わりつつある。そんな空気がしてきてガイナは困惑した。
「……ねぇ?」
「なんだ?」
「もしかしたら……私とあなたって結構気が合うんじゃないでしょうか?」
「オレと? お前が? そりゃまたどうして」
「……だ、だって、あなた……私のおしっこ平気で飲めるじゃない……好きなんでしょ? だから……」
「あー……なるほど、お前そういう性癖持ってんのか。お前は飲ませる変態で、オレは飲む変態ってことか」
 ガイナは呆れ笑った。
「……確かに似た変態同士、気が合うかもしんねーな」
 ガイナのその一言で柔和な空気が生まれる。ガイナが意図して作り出したとかではなく会話の流れで自然と生まれた空気であった。
「ね! そうでしょ? だから……もし良かったら私と――」
 ロロナの口からその先の言葉は紡がれてこなかった。
 ガイナが完全な不意打ちを、ロロナに仕掛けたのだ。
 ガイナは巨人とは思えぬ凄まじい勢いで体を回転させロロナの足を薙ぎ払う。
 音を立てて折れた小さな両足を地に残したままロロナの体が何回転も宙を回る。すかさず体を起こしたガイナは回転するロロナを目掛けて平手を振り下ろした。ロロナの小さな体が地面にめり込む。
「ぁ……ぁ……っ」目の焦点を失ったロロナの口から微かな声が漏れる。
 そこにガイナは容赦なく拳を振り下ろす。何度も何度も何度も何度も――肉塊が拳に付こうが拳が血で染まろうが――何度も何度も何度も何度も何度も振り下ろした。
 ヌチィ――ロロナの顔面もろとも地面に突き刺さった拳を引き抜くと粘性の強い血が糸を引いた。ロロナの顔はおろか、体は原形を留めていなかった。超回復が始まらない。それもそのはず。心臓あってこその超回復、心臓が破壊されてしまえば超回復の機能は停止する。当たり前のことであった。
「……言ったろ。これは殺し合いだって……バカみたいな隙、見せんじゃねーよ……」
 これは本心で言った言葉ではなかった。不意打ちはガイナの本意とするところではなかったのだ。悲しいかな。ロロナが隙を見せたのを、今だけガイナの体に流れるオーガの血が見逃すのを許さなかったのだ。勝手に体が反応していた。
 勝ったというのに胸に残る達成感は微塵もなく、只々やる瀬ない気持ちだけがしこりのように残った。
「どうした……よもや情に絆されたか?」
 グールバロンがガイナに声を掛けてきた。
「……なワケねーだろ」
「そうか、なら良い。それより、発作は大丈夫なのか?」
「いや、それがもう……結構ヤバイ……」
 目も虚ろになったガイナ。召喚魂の術式が解かれ元の黒衣を着たガイナへと戻った。
「どうするのだ? 喰人を殺してしまった今、解消する術がないぞ」
「……そんなこと、分かって……っ、らぁな」
 ガイナは膝に手を付いた。異常なまでの性的な興奮が襲い、血液が茹だり体が異常熱を発する。したたり落ちる汗。ガイナは呼吸不全を起こし始める。朦朧とする意識の中、オーガが『犯せ』と連呼する。
 ガイナの腰が落ち、膝を付く。
 ガイナは自問する――犯るしかないのか。死体を相手に。死体を相手に犯れるのか? そもそも死体を犯ったところで発作は収まってくれるのか? と。
 ガイナは自答する――犯るしかないだろ。でないとこの身が持たぬ死んでしまう。このまま何もしなければ確実に死んでしまう。とりあえず犯るしかねーだろ、と。
「ガイナ!」
 突然グールバロンが叫んだ。ガイナが顔をしかめた。
「うっ……せぇな……分かってるよ。死体で済ませろって……言いてぇんだろ……」
「違う! ……おらぬぞ。喰人の姿が消えておる」
「……は? こんな時に、冗談言って……っ、言ってんじゃ……」
 息をするのも絶え絶えに、重くなった体を何とか動かし確認したガイナの言葉が止まる。
 ロロナの死体は無かった。生きていた?
「ど、どこに、行きやが……った……」
「ガイナ!」
 またグールバロンが叫んだ。だからうるせぇって。そう口にしようとしたガイナだったが、息を漏らすだけに留まった。背後から、喉元に銀盤の刃が突き付けられていた。持ち主は当然ロロナだ。超回復で元通りに復元された元気なロロナの姿がそこにあった。
「……なんだ……生きてたのか……」
「どうやら生きてました。ロロナもさすがに死んだと思ってましたけど。意外にタフなようです、ロロナ」
「そうか……」
 仕留めしきれてなかったガイナが感じたのは悔しさではなく、なぜか安堵感だった。
「……それにしても、あなたって本当に最低な人間ですね。ロロナまだ喋ってる途中だったのに。あなた本当に人間なんですか? 本当は人間の皮を被った喰人とかじゃないんですか? ……って、あれ? ど、どうしたんですか、なんか顔色がもの凄く悪くなってるんですけど? それに息も荒いです」
 どうしてこの喰人はここまで簡単に隙を作るのか。
「っ! ――きゃっ」
 ガイナは銀盤を持ったロロナの手首を素早く掴むと引き倒した。
 ガイナの下で仰向いて横になるロロナは吐息を漏らした。
「……また……不意打ちです」
 しかし、そのロロナの言葉に刺々しさは無い。目に映るガイナの苦悶の表情ばかりが気になっていた。
「一体どうしてそんなにも苦しんでるんですか?」
「わりぃけど……今から、っ……お前を犯す」
「それ……全く答えになっていませんよ? って言いますか……勃って、ますよ? もしかして……本気、ですか?」
 ひたすら犯したい。今すぐにでも犯したい衝動に駆られていたガイナだったが、最後の気力を振り絞って抑制し、苦しんでいる原因をロロナに説明した。最後の方になると声は掠れ、殆ど声になっていなかった。
「そうなんですか……いいですよ? そんなに苦しいのならロロナの体を使ってもらっても――」
 目も虚ろなガイナはロロナの言った言葉がちゃんと耳に入っているのか。ガイナはただ黙ったまま。その顔は気持ちが悪いほどまで筋が浮き上がる。
 それはとうに限界を越えてしまったことを示しているのであろう。ガイナの顔はまるっきり別人へと面変わりしていた。ロロナは構わず言葉を続ける。
「――ですけど、ロロナはメイドさんなんです。メイドさんはご主人様にしかご奉仕してはいけないという決まりごとがあるんです。ですから……分かりますよね? あなたが、ロロナのご主人様になってくれるのなら……うふふ、ロロナが心を込めてたっぷりとご奉仕してさしあげます」
 ガイナはしばらくロロナの顔を黙ってジッと見つめていた。
 よく見ると微かに口が動いていた。何かを必死に声にしようとしていた。だがオーガの色欲の衝動に蝕まれたガイナの身体、体中の至る所が機能不全を起こしていた。
 声の出ないもどかしさに、ガイナの顔には苦しみ以外の切迫感の色が滲み出る。頬を伝って落ちた汗の滴が何度もロロナの頬を濡らす。ロロナはそれを指で掬い拭うと小さな舌を出して舐める。
 目を細めて笑うロロナ。仕草雰囲気艶めかしさ。おおよそ人間の子供が醸し出せる色気ではなかった。ロロナは両手を広げて前に出した。ロロナは既にガイナが声を失い喋ることもままならないことを分かっていた。
「さあ、どうしますか? ロロナのご主人様になっていただけますか?」
 ガイナは、ロロナの出した条件を口で伝えるのを諦めた。強張った表情が緩んだ。
 ガイナは広げた腕に吸い込まれるようにロロナへ覆い被さり、その小さな体を強く痛いほど抱きしめた。腕に抱かれたロロナは満面の笑みを浮かべた。
「……了解したと捉えますからね……ロロナのご主人様」
「むぅ……」
 この喰人がガイナの命運を左右するのは明白な事実。グールバロンは成り行きを黙って見守るしかなかった。しかし……喰人とはこのような生き物であったか? わだかまる思いがあった。

 ロロナ。本名はロロナ・ファルケンメイドリッヒ。彼女は人間の敵、喰人である。
 事後余韻に浸るガイナ。足を組んで座るガイナの上には胸に体を預けるような格好で、顔を上気させたロロナが座っていた。
 ロロナのおかげで色欲の衝動も少し落ち着き、随分と顔色も良くなったガイナの口から溜め息が漏れた。気付いたロロナが覗き見るようにして顔を上げた。目があった。
「ご主人様、まだしんどいのですか?」
 心配そうな瞳のロロナ。本気でガイナのことを心配してくれていた。その目がイヤでガイナは目を背けたが、ロロナはガイナの黒衣の胸辺りを掴むと顔を接近させる。
「しんどい? しんどくない? どっちですか?」
「あ、あぁ……大丈夫だ。お前のおかげで助かった」
 ここでいきなりロロナが頬を膨らませた。
「ロロナです」
「ん?」
「ロロナは『お前』じゃないです。ロロナにはロロナという、ちゃんとした名前があります。次からはきちんと名前で呼んでくださいね?」
「そ、そうか。それは悪かったな。次からは可能な限り名前で呼ばせてもらう」
「可能な限りじゃないです! 絶対名前で呼んでくれないとダメです! でないとロロナ怒るから!」
「い、いや……オレ人に対して名前で呼ぶのが苦手なんだよ。特に女が」
「他の人を『お前』と呼ぼうがロロナには関係ありません。でもロロナのことだけは名前で呼ぶようにしてくれないとダメです。じゃないと……ロロナ絶対許さないから……」
 そう言うとロロナは顔を背けてしまったのだった。
 それを見ていたグールバロンが口を挟む。
「それぐらい応えてやらんか。この喰人がいなければお主は既に死んでいるのだぞ? それにだ。また直に第二、第三の発作が襲ってくるぞ? 城まで持つか? 持たぬだろ?」
「それは分かってんよ。分かってんだけどよ……」
「ぐちぐちと言うな。諦めろ……お主は詰んだんだ」
 苦渋の表情を作ったガイナはそれから数十秒後、やむなしとロロナのことを名前で呼んであげるのだった。
 まあ、一度ロロナの名前を口にしてしまえば慣れるのは早かった。
 そして会話の流れで、ガイナは聞いてみたかったことを口にする。
「――あのよ。聞きたいんだけど、ロロナは喰人だよな?」
「はい、ロロナは喰人ですよ? それがどうかしたんですか?」
「どうかしたかって言うかなんつーか、今までオレ達が相手してきた喰人と違うんだよな。アルベセウスが引き受けた喰人もそうだけど、無駄によく喋るし……何よりオレが一番違和感を覚えたのが、ロロナからは『殺し』に対する執着する気持ちが殆ど感じられなかったってことだ。オレが相手してきた喰人は、とりあえず挨拶変わりに人間を殺すようなヤツばっかだったからな」
「多分それは、ロロナが純粋培養で作られた喰人じゃないからだと思います、ロロナは伯爵に作られた、ある意味特殊な喰人ですから」
「純粋培養? ロロナが特殊?」
 初めて耳にする言葉にガイナが興味を抱くのは当然だった。
「えーとですね。簡単に言いますと、純粋培養生産の喰人は最初から人間に対する『負』の感情が埋め込まれてます。基本的に上位に立つ喰人も、殆どは純粋培養から生まれた喰人ですから、それはもう人間側からしてみればとんでもなく性質の悪い喰人となってしまうことでしょうね。恐らくご主人様が今まで相手になさってきた喰人の殆どは性質の悪い者達だったんだと思います。災難でしたねご主人様」
 そう言ってロロナは口元に手をやり「うふふ」と笑った。
「ロロナには、その……人間に対しての『負』の感情ってものは入ってないのか?」
「成長するに連れて芽生えた『負』の感情は持っていますが、少なくとも第三者の手によって植え付けられた『負』の感情は持っていません」
 ここでガイナに素朴な疑問が浮かんだ。
「その、伯爵だっけか。ロロナを作り出した伯爵は、なんでロロナに『負』の感情を植え付けなかったんだ? と、答えるその前に……悪いけどそろそろ退いてもらっても良いか? 足が痺れて適わん」
「いやです」
「……オレご主人様じゃねーのか?」
「えっと、それで伯爵のお話ですけど。伯爵はものすごく奇特なお方なんです」
「無視すんなよ、ったく。……で? 奇特?」
「はい、奇特です。伯爵は人間を殺しません」
「殺さないって。喰人がか?」
 ガイナはあからさまに顔をしかめた。
「あ、ちょっと言い方に間違いがありますね。正確には、伯爵は戦い上の成り行きでしか人間を殺めたことはありません。なんでも『殺し』にも美学があるとか、どうとか。ロロナには全然分かりませんけど……という様なお方です伯爵は。自分のお作りになったロロナや、その他のメイド達には伯爵と同じような生き方をしてほしいのではないでしょうか。あくまでこれはロロナの勝手な憶測でしかないのですけど。子は親を見て育つと言いますし」
 そう言うとロロナは振り向き、どうにも釈然としない表情を作ったガイナを見た。
「ご主人様、ロロナは良い子に育ってますか?」
「……んなもん分かるわけねーだろ、出会って間もないってのによ。まぁ、一つだけ言えるのは、ロロナは『ど』が付くほど『変態』ってことくらいだな」
「言いますね。でもそれはご主人様もです」
「……違いねぇ」
 二人どちらともなく笑う声が漏れた。

「――おっと、そういや向こうの心配はしなくてもいいのか? アルベセウスはかなり強いぜ?」
「伯爵ですか? 伯爵のことは心配しなくても大丈夫です。だって伯爵、あのお方は――」
 ロロナの口から紡がれ聞かされた事実にガイナは驚いた。

「……んっ……」
 アルベセウスが目を覚ます。イーヴェルニングに意識を刺激されての目覚めだったからか、あまり目覚めの良いものではなかった。
 アルベセウスは垂れて目に掛かる髪をかき上げる。
「どうしたイーヴェ。何かあった……」
 アルベセウスは言葉を飲んだ。強烈な異変を感じ取ったからだ。重く息を詰まらせる重圧が脳天から突き刺さるかのように襲い、アルベセウスにツバを飲み込ませる。
 アルベセウスは突き刺さる重圧の先を追い見上げる。そこには――
「……生きていたのか」
 短い言葉に緊張を含ませるアルベセウス。その視界が捉えたのは伯爵の姿だった。
 アルベセウスの放った太陽監獄をまともに喰らったというのに、伯爵の体は全くの無傷の状態であった。
 笑みを浮かべる伯爵は先程まで無かった翼を羽ばたかせゆっくりと地上に、アルベセウスの前に降り立つ。
 アルベセウスは膝に手を付き立ち上がる。
「……どういう事だ……」
「ん? 何がだね?」
「とぼけるな。貴様は私の炎で燃え散ったはず」
「あぁ、そのことかね」
 クスリと笑う伯爵。
「すまないね。少しばかり遊ばせてもらったよ」
「遊び、だと?」
 伯爵の愚弄の言葉にアルベセウスは言葉に怒気を滲ませる。魔導書が宙に浮く。底を突いた魔力は殆ど回復していないが、臨戦態勢に入る。
 しかしそれを伯爵は制する。
「やめたまえ。残念だが今のキミの力では私を倒すことは出来んよ。安心したまえ、私はキミを殺すようなことはしない。そもそも今回私がこの世界にやってきた理由は人間を殺すのが目的ではない」
 当然、伯爵の言葉を真に受けるアルベセウスではない。警戒の色を強めながら伯爵の言葉の意図を探る。
 そんなアルベセウスを余所に、伯爵は続けて口を開く。
「おっと、そういえばまだ私は名前を名乗っていなかったな。私の名はリベラルド・アッガーシュバイン――喰人を統べることを許された者――『ロゼ』だ」
 アルベセウスの体が一瞬で強張った。



~現在ここまでです~
[ 2011/08/17 14:21 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

紋章憑き~第五章【喰人】~

  第五章【喰人】

 時刻は夜の食事も終えた七時過ぎ。
 限られた者達だけが歩くことを許された廊下に、軽やかに走る足の音が響く。食後の全力走、横っ腹が痛くなり始めた頃に目的の部屋に到着した。扉を豪快に開く。
「遅れてしまい申し訳ありません!」
 慌てた様子で円卓の置かれた部屋に入ってきた人物は、国を支配するにはあまりにも可愛すぎる王国の女王リリスだった。
 日が暮れ、明かりの灯された部屋には既にアルベセウス、ガイナ、ナスターシャというお決まりの面々がいつもの席に座り、そのナスターシャの席から少し横に離れた席に、仏頂面をした隼人が円卓に肘を付いて座っていた。いや、よく見ると隼人だけではなく、ナスターシャの顔もどこか覇気が無いようにも見える。
 リリスが謝るも、ガイナとアルベセウスが笑って問題ないと返す。リリスも笑顔で返すが、あれ? と思った。
 いつもなら先の二人よりも、ナスターシャが一番に何かしら声を掛けてくれるのに、それがない。リリスは自分の席に着くなり、初めてお目に掛かる『竜の紋章憑き』である隼人よりもナスターシャの様子がいつもと違うことが気になった。アルベセウスから前もって聞かされていたのは、とても喜ばしいことだった筈。それなのに、どうして?
「あの……ナスターシャ? どうしたの? どこかお体の具合がよろしくないの?」
 当然、それはそれは心お優しいリリスはナスターシャのことが心配で心配で声を掛ける。
「あ、いえ、大丈夫です」
 笑って返すが、やはりその笑顔は引きつる。
 当然、それはそれは心お優しいリリスがそんな小さな反応の違いを見過ごすわけもなく、尚も食い下がる。
「そのような顔で大丈夫と言われて、はい分かりましたと言えると思う? お願いナスターシャ、本当にどうしたのか教えて? 私あなたの力になりたいから」
 あぁ……姫様は何とお優しいことか。そのお心遣いがとてもとても嬉しく思う反面に『やめて』とナスターシャを苦しめる。隼人は肘を付いたまま黙ってその様子を眺めてた。
 ナスターシャの気が滅入ってる理由。それは侍女達への『公然卑猥口吻口外禁止』の根回しが間に合わなかったからであった。釘を刺しに行った時にはもう既に、騒動に興味津々な隊の女性達が湯殿から出てきた侍女達を囲むように群がり、根掘り葉掘り聞かれた後だった。救いは、隊の女性達は男性との接触が極端に少ないおかげで、事の広まりは隊の女性達までに抑えられているということか。今は。
「いえ、本当に大丈夫ですから。心配なさらなくとも大丈夫、姫様がわざわざ心配するようなことでもないのです」
 今度は同じ失敗を繰り返さぬように頑張って笑顔を作った。
「まあ! 私にナスターシャの心配はするなと言うの? 私に、困ってる人を平気で黙って見過ごす人間にでも育って欲しいの? そ、それともナスターシャは私なんかに心配されるのは迷惑? 鬱陶しい? ウザい? ……そう、ウザい……ウザいのね。私はウザいのね」
「!」傍観していたがこれにはビックリするアルベセウス。
「!」同じくビックリするガイナ。
 隼人だけは一瞬何事と瞳をキョロッと動かしてガイナとアルベセウスを見るも、普通に傍観を続けていた。
「ち、違います! 私がいつその様なことを言いましたか! て言うか、姫様! 『ウザい』などと低俗なお言葉どこでお覚えになったんですか? 姫様がそのようなお言葉をお使いになってはいけません!」
 思いも寄らぬ即席説教を聞かされたリリスはガイナを見た。それだけで十分だった。リリスに余計すぎる言葉遣いを学習させた諸悪の根源は、何たることかすぐそこ身内にあったようだ。アルベセウスとナスターシャはさして驚くような素振りも見せず、逆に、やはりと思う気持ちの方が大きかった。
 三人の視線を一斉に浴び、なになに? 一体何なんだよ? とガイナは自分を指差した。
「へっ? なに、お、オレ?」
 リリスはコクンと可愛く頷く。
「ガイナはいつもイヤなことや面倒なことがあると決まって『うぜぇ』とか、『ウザいんだよ』と口にしてましたから、てっきり私は……」
「い、いや姫様、ちょっと待ちなさい待ちなさい。そ、それはだな――」
 ガイナが続けようとした言葉をナスターシャは手を差し出して制する。それが意味するのは、『私が説明する』だ。人に対して説くことが得意でないガイナは黙って従った。
 説明始める前に、ナスターシャはコホンと咳払いする。
「――いいですか、姫様。それはガイナだから許される言葉遣いなのです。低俗の塊である、ガイナ! であるから許されるんですよ? 間違ってでも王族である姫様が使ってもいい言葉ではないのです。今回、姫様が間違って使ってしまったことについては……身近に、素養のよろしくないガイナがいると分かっておきながら放置していた私達にも落ち度があります故に、見逃します。が、二度目は許しませんので肝に銘じておきますように。分かりましたか? 姫様」
 リリスはシュンと落ち込んだ様子で、ナスターシャの説明に頷いた。
「……おい」
 そこまで言うか。珍しく本気で凹んだ様子のガイナであった。隼人はそんなガイナを横目で見ながらナスターシャを見ていた。凛とした表情で説明するナスターシャを見ていた隼人は顎に手を添え、これまでにない程真剣な表情で考え事をしていた。
 縁の細い眼鏡を掛けて、赤いスーツに着替えてハイヒールを履かせると……女教師……か。女教師物……か。
 タイトルは……『新人巨乳女教師ナスターシャ・セレンディーテ~先生の体エロくて堪りません! 授業に集中できません! 股間のチャック封鎖できません!』で、どうかな。
 ……うん、良いな。悪くないな。因みに最後の『股間のチャック封鎖できません!』のところは織○裕二風にするように。ここ重要だから。
 ……どうでもどうでもどうでもいいことを真剣に考えていた。
「……で。それでナスターシャの抱えてる心配事ってなんなの?」
 これではぐらかすことが出来たかとナスターシャは思ったのだが、なかなかどうして諦めの悪いリリスは尚も食い下がるのをやめなかった。
「い、いや……だからそれはですね……ぅぅう……ううぅ……わ、分かりました教えます」
「本当ですか!」聞いた途端にリリスはぱぁっと明るい表情になる。
「た、ただし、今はダメです。ガイナとアルベセウスが聞いていますので、また日を改めて姫様以外に人がいないときにでも相談させていただきます。それでいいですか?」
 ナスターシャの出した条件に納得し喜ぶリリスと対照的に、聞けず仕舞いのガイナとアルベセウスは顔には出さなかったが心の中で残念がった。
「――さて、少し話が逸れたが、そろそろ話を進めようか。時間も時間だ、明日の姫様の仕事に支障をきたすことのないよう、出来るだけ議論にならないようにお願いする」
 興味があまり湧かない隼人は置いておいて。ガイナとナスターシャが黙ることで、アルベセウスはそれを了承ととり話を進める。
「まずは……キミだ」
 アルベセウスは真っ直ぐに隼人を見た。円卓に肘を付いたままの隼人は動じることもなくその視線を受け止めた。が、隼人のその態度にガイナが早速噛みついた。
「おい。さっきから姫様を前にしてるってのに、てめぇのその舐めた態度は何だ? 肘、下ろせ」
 明らかにいつもと違う、威圧感を纏った雰囲気にリリスは身を震わせた。
「ガイナ。姫様の前だ」
 アルベセウスが言う。ガイナは舌打つ。ナスターシャは先が思いやられると言わんばかりに首を左右に振ると嘆息を漏らす。またアルベセウスが口を開く。
「悪いが、私もガイナと同じ気持ちだ。王を前にしてのキミのその態度は褒められたものではないな。出来ることなら、その掛けた肘を下ろしてもらえないか」
 穏やかな物腰で言うアルベセウスだが、言葉の一つ一つには得も知れぬ圧力が紛れる。
 少しの間をおいて隼人が口を開いた。
「もし、オレが出来ないって言ったら?」
「なに、問題ない。その時は私が力ずくで下ろさせるまでだ」
 隼人を下に見るかのような挑発的な物言いに隼人が眉をピクリと動かす。
「ふぅん――じゃあ、出来ねぇってことで」
 挑発には挑発を。返ってきた言葉に今度はアルベセウスが眉をピクリと動かす。
 ただ、あわわ……あわわ……と狼狽することしかできないリリス。
「フッ……私をガイナと同じと思うなよ」
 その発言に今度はガイナが眉をピクリと動かすと、
「あ? てめぇ、何サラッと調子扱いたこと言ってやがんだ」
 隼人だけではなく、今度はアルベセウスにまで食って掛かった。
 な、なんで今度はガイナがアルベセウスに? と、リリスは不安な表情でナスターシャを見た。理由の分かるナスターシャは苦笑いを浮かべた。
 実は――王国で一番強い男は誰か。そのことを国内の誰に聞いても、決まって口を揃えたように返ってくる答えは『アルベセウス』なのだが、実を言うと未だにガイナとアルベセウスの両雄が真剣にやりあった試しはなかった。二人が真剣にやり合うことになれば、確実にどちらもただでは済まない。下手をすれば命に関わる恐れもあるのだ。『三神』にとって、なにより『国』。二人はそれが分かっているから、やり合おうとはしないのだ。なのに、なぜか今では最強の称号はアルベセウスに。当然ガイナは面白くもなく納得もできるわけがない。先刻の、アルベセウスの何気なく言い放った発言にガイナは敏感に反応してしまったが。そのような、それなりのワケがあるのだ。
 のっけからの険悪なムード。姫様の手前このまま放っておく訳にもいかず、ナスターシャが仕方なく口を開く。
「お前達、いい加減にしてもらおうか。つまらぬ事を言い争うためにこの場に集まったのではないのだぞ。この男の態度もそうだが、私から言わせてもらえば姫様を不安がらせるお前達二人も同類ではないのか? 違うか?」
 言われて、ガイナはばつが悪そうにそっぽを向き、アルベセウスはさして気にした素振りを見せず、静かにナスターシャの言葉に耳を傾ける。
 次にナスターシャは横の隼人へと目を向けた。やはり隼人は円卓に肘を付いたままだ。
「そして、お前だが。お前はどこの国の生まれだ? お前の国にも当然礼節というものがあると思うのだが? お前の国では王に謁見する時に、そのような態度は許されるのか? 今一度考えてみてくれ。お前の国では『それ』が普通に許されるのか許されないのか。もし、考えても『それ』が許されるものだとお前が思うのであれば、その肘は下ろさなくてもいい。それがお前の国では普通のことなんだろうからな」
 そんなことはわかっている。自分がどれだけバカな態度を取っているのか、考えるまでもない。隼人の母国日本で、国の象徴である天皇陛下を相手に、もし隼人がそんな態度を取ろうものなら間違いなく日本国中非難囂々雨霰ものだ。
「どうなんだ?」
 無言のまま、隼人は渋々と肘を下ろした。
 それを見、それでいい。と言った感じで、ナスターシャは「うむ」と頷いた。
 ようやく正常な状況が整ったところで、ナスターシャがアルベセウスに再度の進行を促す。
「分かった――ではもう一度最初から始める。……それじゃあまずは、だが。聞いたところでは、キミの名前はアカトキハヤトと言うようだが、間違いないか?」
 黙る隼人。
「肯定と受け取っておこう。だが、今から続ける質問にはしっかりと答えてもらう、いいな?」
「……い、いいですね?」
 アルベセウスの問いに、またも無言を貫こうとした隼人を見たリリスが可愛らしい声でアルベセウスの言葉を復唱する。
「……ああ」
 これには、隼人も無視することは出来なかった。
「――キミは、『竜』と呼ばれる憑き神の『紋章憑き』のようだが、なぜ突然この国へ来たのだ? 何か目的があってやってきたのか?」
「目的なんてねーよ。ラルファが言ったから来ただけ。詳しいことはラルファが目ぇ覚ましたときにでも聞いてくれ」
「なるほど。では次だが、キミはどこにも属してないようだが、どこの国の出身なんだ?」
「……これなぁ、どこって言われてもなぁ……まぁ、信じる信じないはアンタらが好きに判断してくれよ? 生まれは日本は東京。聞いての通り、この世界の人間じゃねぇわオレ」
 隼人の突飛な発言に、皆一様に食い付くような反応を見せた。
「この世界とはどういう意味なのだ? ――まさか、キミは『喰人』なのか?」
 一瞬、隼人の脳裏には超人気RPGエ○エ○シリーズのイケメン主人公が浮かぶが、即座に消し去った。
「くらうど? んだそれ? 何のこと言ってるのか知らねぇけど、まぁ、そんなんじゃねーよ。日本人だ日本人」
「ニッポン、ジン? ……恐らく民族のことを指しているんだろうとは思うが……初めて聞く言葉だな、うむ。本当にキミは『喰人』ではないのだな?」
「しつこい。だから何なんだよ、その『喰人』ってのは」
「ん、いや、『喰人』については、最後に皆に報告したいことがあるのでな、その時にでも話そう。そうか…………キミが『喰人』でないというのが本当だとすれば、キミの言う『他の世界から来た』人間という説明は俄に信じられなくなったな」
「だから別に無理して信じなくてもいいって、それでオレが困るわけでもないし。アンタらも別に困ることはないだろ? な? はい、ってことでこの話はここでおしまい」
 一方的な隼人の言い分に、沈黙するアルベセウス。
 釈然としないアルベセウスだったが、時間のことを考えるとやむを得ず、次の話へと進めるしかなかった。
 アルベセウスはナスターシャを一瞥する。察知したナスターシャの表情が強張る。一気に緊張が襲ってきた。対してリリスは目を眩いばかりにキラキラさせ、今か今かと待ちきれない様子だ。だってこれが一番の目的で来たんだから。目一杯走ってきたんだから。早く早く! と、アルベセウスに向けた無邪気で好気なその目が強く促していた。
「では、次に移るが――アカトキハヤト、キミは隣の女性、ナスターシャの唇を奪ったそうだが、それは確固たる覚悟があっての行動と取っても良いのか?」
「……は? 覚悟って……何のだよ」
「結婚のことに決まってるじゃないか」
「は? け、結婚? 誰が? 誰と?」
「? おかしなことを言う。キミとナスターシャの二人に決まっているだろ。キミはしたのだろ? 口吻を」
 アルベセウスの言葉に、隼人はチラリ横を向く。そこには隼人に強い? と言うか、まるで心を射抜くような鋭い眼光をピカン! ピッシャー! と放射しまくりなナスターシャが。必然に目が合う。言わずもがな、隼人に向けられたその目の意味は「し・た・よ・な?」と強烈に訴える他に、理由が見つからない。隼人は心の中で「はい、すんません」と詫び、すごすごと逃げるように視線をアルベセウスに戻した。
 うん、なんか、ものすごい怖かった。
「い、いや、うん、まあ、確かに……したのは、したけど。なんでそれがいきなり結婚って話になるんだ? ワケ分からん」
 ナスターシャは絶句し耳を疑う。
「……なるほどな」自分なりに納得出来たアルベセウスはナスターシャを見た。
 ミュアブレンダの言っていた通りに隣に座るこの男は、何も知らないままに私の唇を奪ったというワケか……。もしかしたらの淡い望みも完全に絶たれたナスターシャは「……はは……」と乾いた笑いを出すのが精一杯で、あまりの憂鬱に円卓に両肘を付いて頭を抱えた。
 それを見たリリスは、何がどうなっているのか分からないといった感じでアルベセウスに説明を求めた。頷いたアルベセウスが話を進める。
 端的にではあるが要所要所を分かりやすく説明するアルベセウス。それはリリスだけにではなく、隼人にも向けた説明でもあった。
 リリスのみならず未だ状況が飲み込めない隼人はアルベセウスの説明を聞くに連れて驚きの表情になっていった。
 説明を終えたアルベセウスはそのまま続けるように隼人に話しかける。
「――恐らく、キミはナスターシャに好意を抱いた上で口吻を働いたわけではない。ミュアブレンダにそそのかされて取った行為なのだろう。が、どうだろう? 今回の事故とも受け取れる行為、キミがどうしてもと言うのであれば『掟』に従う義務を発生しないようにすることも出来なくはない。のだが、実を言うとうちのナスターシャはキミとの結婚に肯定的なんだ。考える余地というものを作ることは出来ないだろうか?」
 頭を抱えるようにして頭を垂れるナスターシャの肩がピクリと動く。隼人がアルベセウスの問いにどのような答えを出すのか、興味が働かぬワケがなかった。
 隼人は心底参った。
 確かに『好意』はなかったしミュアブレンダにもそそのかされた。しかし、『そそのかされる』にまで至ったのは、ミュアブレンダが言ったある一言があったからなのだ。
『あなたのものに出来ますよ』
 まさか、それがイコール結婚に結びつくなどとは思いも考えもつかなかった隼人だが、ミュアブレンダの発した言葉に食い付いたのは事実。隼人は自問自答する。ナスターシャを本当に自分のものにしたかったのか? 人を自分のものにするって、どういう状況だ? それって嫌いな人間に対しても出来ることか? 嫌いな人には出来ない、よな? ならなぜキスしたのか。ミュアブレンダの誘いを断るのは出来たはず。高嶺の花……いい女……ボインボイン……ボインボイン……ボインボイン……。
『あなたのものに出来ますよ』
 これに食い付いた事実。これって――『好意』あったから……か?
 暫し悩んだ隼人は、自分なりの結論に至った。
「どうだ? 結論は出せそうか?」見計らったようにアルベセウスが返答を促してきた。
「ん……まあ、結論っつーか……今の段階で言わせてもらうと『先送り』ってことでいいか?」
 これが隼人の出した結論で、つまりはアルベセウスの要望を聞き入れるということだ。
「それは考える余地を作ると言うことで良いのだな?」
「言い方変えりゃあそう言うこと、だな。今、パッと考えたんだけどよ、貰えるもんなら喜んで貰おうかな、と思った。多分って言うか間違いなく、こんな『可愛い子』とは一生目に掛かることはないからな」
 一瞬、隼人を除いた全ての者達が「ん?」と思った。誰が『可愛い』って?
「ほう、なら考えるまでも――」
「だーけーど。さっきも言ったけど、オレこの世界の人間じゃないからよ。分かるだろ?」
「帰るべき世界がある。……が、どうも私には未だに信じがたい発言でな」
「何度も言うけど、信じなくてもいいから。ただ、オレが今言ったことだけ覚えておいてくれたらいいよ。それがあるから、オレは易々と決められないのだよ」
「なら先送りなどせずに今この場で断ってもいいと思うのだが。そのような理由が存在するのなら、どう足掻いてもナスターシャとキミが一緒になることなど出来ないのでは?」
 隼人は指を立て、チッチッチと動かす。
「甘いな。やはり見たまんま、アンタには柔軟さってものが足りないようだな。万が一ってものがあるだろ? この世に絶対はないだろ? オレがこの世界をメチャクチャ気に入るようなことがあれば、もしかしたら?」
「ふむ、確かに一理あるな」
「ま、限りなくゼロに近いんだけどな。でもそこは、ほら、アンタの頑張り次第だからな?」
 笑みを携えた隼人はそう言って横のナスターシャへと話を振った。いきなり振られたナスターシャは体をビクッと驚かせ、隼人の方を向いた。
「が、頑張るって……何を?」
「もち接待っしょ」
「は? 接待? 私がか?」
「あったり前だろ? え? なに? もしかしてアンタ何も苦労しないでイイと思ってんの? 何もしないで、オレがこの世界に残ってくれると思ってんの? は? オレを舐めてる? アンタ何様ですか?」
 相手が信じようが信じまいが、『この世界の人間ではない』という後ろ盾を持つ隼人は俄然強気だ。
「い、いや……そ、それは……だな」
 高圧的に言い放つ隼人に、ナスターシャはたじろぐ。
 それをジッと見ているリリス。た、楽しい。具体的に何が『楽しい』かと問われれば答えに詰まるのだが、何か、楽しかった。そしてあまりにもこの国のことを理解してなさ過ぎに、その上『三神』を前にしても萎縮するどころか対等以上の物言いで話す隼人に、リリスは先程の隼人の発言があながち嘘だとは思えなくなっていた。逆にガイナは一人蚊帳の外にいるようでつまらない。大半の興味が削がれたガイナの神経は緩みきり、しまいにはあからさまに大きな欠伸をする始末。さっさと切り上げて次の話に進んでもらいたかった。
「あ、あの、いいですか?」
 声の主は申し訳なさそうに挙手したリリスだった。
 アルベセウスは「どうぞ」と微笑む。許可を得たリリスは隼人へと視線を移す。
「えっと……アカ、トキさんと呼べばよろしいのでしょうか?」
「え? あ、ああ……隼人でいいよ。そっちのが慣れてるし」
「それじゃあ、お言葉に甘えまして――ハヤトさんにお聞きしたいのですが、『接待』とは具体的にどのようなことを?」
「どのようなことって……そこは『する』方が考える重要なとこじゃない? オレが指定したことを相手がそのままやっても、それは『接待』とは言わないでしょ?」
「あ、そう言えば確かにそうですね。なに私はバカなことを聞こうとしてたのかしら」
「接待する目的は決まってるんだからさ。オレに『是が非でもこの世界に残りたい!』って思わせるようにもっていけばいいんだって」
「そ、そんなことあり得るものか! お、おま、おま、お前は私と結婚したくないから、最初から不可能と分かりきってることを言って私に諦めさせる気なんだろ! イ、イ、イヤか! そんなに私と一緒になるのがイヤか!」
 突然、形相を変えたナスターシャが声を張り上げて不満を口にする。
 本気でウトウトし始めていたガイナは一気に眠気が吹っ飛んだ。
「何もそんな回りくどいことをせずに、イヤならイヤと! 嫌いなら嫌いとハッキリと言えばいいだろ!」
「ちょ、ちょっと、ナスターシャ少し落ち着いて」
 慌ててリリスが言葉でなだめる。
「はあ? なに勝手に勘ぐってんだよ。そんなこと少しも思ってねーよ」
「ウソを言うな!」
「ウソじゃねーよ」
「なら、しろ」
 隼人は唖然とする。
「『しろ』じゃねーだろ……あんたオレの話の一体何を聞いてたんだ?」
「あのような与太話、信じられるわけがないだろ。そもそも『信じなくていい』とはお前が言った言葉だろ」
「あー……確かに言ったけど、ちっ……さすがに面倒くせーなこれは」
「面倒くさい……だと? 面倒くさいとはなんだ! これは私の一生が掛かった大事なことなんだぞ! 言うに事欠いて……それを面倒くさいだと? 貴様はとことんまでに私を愚弄するか!」
 険しい表情からパワーアップし、鬼の形相となったナスターシャが隼人に怒声を浴びせる。
「……わ、分かった分かった。分かったから少し黙ってくれ」
「何が分かったのだ!」
「無理。イヤとか嫌いとか抜きにして、とりあえず結婚は無理。しない。出来ない」
「それを受け入れるのは無理だ」
 またまた、こんな時に何をご冗談を。
「はっ? 今アンタ言ったよな? ハッキリ言えって。だからオレはハッキリ言ってやったんだろ」
「ハッキリ言えとは言ったが、それで私が納得するかは別問題だ」
 隼人は言葉が出ない。頭が痛くなってきた。
 ここまで理性を欠落させたナスターシャを見るのは初めてで、リリスとアルベセウスは何て言ったらよいのか言葉に悩む。ガイナは『なんか面白くなってきたかー!』と興味が再燃し始めた。
「いやいや! 納得しないとダメだろそこは」
「は? お前は私に『掟』を破れと言うのか! 私に死ねと言うのか!」
「誰もそんなこと言わねーし! てか『掟』は、ほら、そこの金髪の人が何とか出来るって言ってただろ! だから大丈夫だろ!」
「それはならん。『掟』は我が隊代々に伝わる絶対のモノ。部外者が容易くどうこう出来るモノではないのだ!」
「出来るっていってるじゃねーか!」
「出来ない!」
「出来る!」
「出来ない!」
 鼻息荒い押し問答の末、同時に二人はアルベセウスを睨むように見た。
「あんたさっき出来るって言ったよな?」
「長い歴史上に置いて一度たりとも、『掟』に例外が認められた記録など存在しないのだぞ?」
 二人同時の問いに、アルベセウスは一呼吸置いてから話し始めた。
「ナスターシャ。こればかりは仕方ないのではないか? 過去に例外が存在しないのと同じく、この男が言う『他世界』からこの世界に来た人間も、過去にも今にも、この男しか存在していないのだ」
 隼人はウンウンと何度も頷く。
「隊の『掟』はこの世界に生きる人間に作用するのがしかるべきではないだろうか? そして今回の例外を悪例としないためにも新たに一文を加えることを進める。それが後に生きる者達への、お前のするべき役目ではないか?」
「な? そう言うことみたいだからさ、今回は」
「……分かった」
 腑に落ち無いといった表情ではあったが、アルベセウスの言葉に従ったナスターシャに、多少の抵抗を予想していた隼人は若干の拍子抜けはしたものの安堵の息を漏らした。が、キッと隼人を睨むように見たナスターシャがとんでもない言葉を付け加える。
「――しかし、結婚が叶わぬと言うのなら……私は私の意思で自らの命を絶つ」
「は?」
 これには場にいる全ての人間が驚いた。
「いきなり何を言い出すの! ふざけたことを言うのはやめてちょうだい!」
 大きく叫んだのはリリスだ。明らかに怒りを含んだその声色に、ガイナとアルベセウスも、リリスが怒って当然だと言わんばかりに呆れ混じった表情でナスターシャを見ていた。
「姫様、私は決してふざけてるわけではありません。紛れもない本心で言ったまでです」
 サラッと言うナスターシャに、リリスは一瞬目眩がしそうになる。ナスターシャの瞳が、今までに何度も見てきた、死地に赴く兵士達の『覚悟を決めた』目と重なって見えたのだ。
 ――マズッた。隼人は心の中でそう呟いた。
 オレはとんでもなく厄介な、手を出してはいけない部類の女に関わってしまったのかもしれない。隼人は今更ながら後悔の念に駆られた。
「し、死ぬとか卑怯じゃねーか。あ、アンタ! そんなの脅しと一緒だろーが!」
「黙れ」
 睨み付け、まるで別人のように低く言い放ったナスターシャの一言に、本気で萎縮した隼人は素直に従い黙るしかなかった。
 ナスターシャはイスから立ち上がると隼人に近寄る。
 見下ろすナスターシャに、見上げる隼人。
 ナスターシャは手を伸ばすと隼人の胸倉を掴み、強引に立ち上がらせた隼人の顔を眼前に持ってくる。されるがままに従った隼人はナスターシャの気迫に押され、唾を飲み込みこんだ。
「……お、おまえが私のことをどう思っているのかは分からんが、私は絶対にお前を逃がすつもりはない。アルベセウスの言うことはもっともなことで、理解し、飲むことが当然なのだろう、が。ダメなんだ……それではダメなんだ……私は」
 最後の方、切羽詰まったように言うナスターシャに、リリスとアルベセウスの二人は感付いた。
「……おまえが……お前が悪いのだ……。お前が私の唇を奪ったりなんかするから……あのシーンがずっと頭に浮かんでは消えてくれないんだ……私は悪くない……お前が悪いんじゃないか……お前が、お前が……」ナスターシャの頬が朱に色付いていく。
 これよ! これ! 次の展開に期待せずにはいられないリリスは、思わず頬が緩んでしまう。そんなリリスをガイナはジーっと見ていたが、何が楽しいのかサッパリだ。期待していた殴り合いにはなりそうになく、つまらん、の一言。案の定に欠伸が漏れた。
「お前が……私を……私がお前を好きになるようにさせたんだろ……」
 そう言ってナスターシャは隼人を押すようにして、掴んだ胸倉から手を放した。その勢いで隼人はよろつきながら尻もちを付くようにしてイスに腰を落ち着かせた。
 面と向かって告白された隼人はナスターシャの視線から逃げるように目を逸らし、ただ黙るしかなかった。告白されること自体に悪い気はしない。が、かといって素直に喜ぶ気にもなれなかった。
 期待する答えが返ってくるなどとは微塵も思ってないナスターシャは一方的に話を続ける。
「……責任を持って『嫌い』にさせてくれ……」最初にそう言ったナスターシャは逆提案を上げてきた。ナスターシャが今取れる最大の譲歩案であった。
 少しややこしい言い回しに、おつむがあまりよろしくないガイナと隼人は理解するのに多少の時間を要したが、簡単に言えば、こうだ。
 隼人が始めに言った提案は受け入れる。しかしその逆のことも隼人にも要求する。
 つまりはナスターシャが、隼人をナスターシャが好きになるようにし向けることが出来るか。隼人が、ナスターシャを隼人が嫌いになるようにし向けることが出来るかだ。
 もっとかみ砕いた説明をすると、隼人がナスターシャに惚れたら、ナスターシャの勝ち。ナスターシャが隼人を嫌いになれば、隼人の勝ち。たったそれだけの話。
 ナスターシャが隼人を嫌いになることが出来れば、自害に走ることなく、すんなりとアルベセウスの上げた『特例』も受け入れることが出来ると言う。当然、どっちつかずな曖昧な態度で終わることは許されない。もし『曖昧』が延々と続くようであれば、その時は勝負放棄と見なし、隼人は『掟』に準じナスターシャと結婚しなければならない。
 なんとか理解出来た隼人の顔は不満を隠そうとしない。隼人に、この世界に残るという意識がほんの少しでもあったのかそれは分からないのだが、その言葉を利用し、接待と称した『あられもないご行為』で、あんな乳こんな乳そんな乳を心ゆくまま堪能させてもらおうという計画であったのだ。ナスターシャの純粋な気持ちを、邪な気持ちで利用しようとした最低な人間、それは隼人。
 スケベ、策に溺れた。
 色々と抗議を行いたい隼人であったが、自殺するとか口走ったナスターシャにそれをぶつけて良いものか悩んでいた。ちょっとしたことでも敏感に反応し、癇癪を起こされたりするんじゃないかとついつい思ってしまう。
 そんな隼人の心の声を読み取ったのか、ナスターシャは釘を刺しに来た。
「この提案、断れば……分かっているだろうな?」
 死ぬんだろ? そう言われてしまっては隼人にはどうすることも出来ない。「あぁ……もう!」と、この先どうとでもなれと、隼人は半ば投げやり気味に受け入れた。
 一応の終わりにナスターシャはホッとした息を吐き自分の席に戻った。座る直前、笑みを携えたリリスが「頑張って」と声をかけてきた。照れ恥ずかしそうに、「頑張ります」そう言ったナスターシャの顔は、幸せを予感させるものが溢れていた。
 臨時に開かれた会議が始まってから一時間を経過。窓の外に広がる城下町の灯の明かりもポツポツと消え始めていた。
 リリスにとってのメインイベントが終了し、リリスは出そうな欠伸をかみ殺す。いつもなら、リリスが夢の世界に旅立っている時間帯に入っていた。
「次で終わりますので、もう少し我慢を」
 微笑み言うアルベセウスに、「大丈夫です」と目に見えて大丈夫でないリリスが会議の進行を促した。頷いたアルベセウスが口を開く。
「それでは、次の――最後になるが。今日皆にこのような時間に集まってもらった一番の理由は、他でもない――今から始める話にある」
 アルベセウスの言葉に、場の空気が一変する。眠そうにしていたリリスまでもが凛とした表情に切り替わった。
 一層真剣さを増した表情のアルベセウスが本題へと入った。
「――今日、『地食』を確認した。場所はツェンダーテンの町から、東の方角に一五キル米ほど離れた、地図で言うと丁度マコロ平原辺りか」
 それはあまりに嬉しくない報告だったのか。普通だった部屋の空気が、重苦しい空気へと一変した。
「ツェンダーテンか、近いな。規模は?」
 ナスターシャの言葉にアルベセウスが苦笑いを浮かべた。
「それは皮肉か? 私が確認するだけで、何もせずに戻ってきたのだぞ」
「そのようなつもりで聞いたのではないのだがな。ふむ……小規模か。よりにもよってこんな時に」
「……『こちら』と繋がるのは?」
 眠気がスッと消えた、不安そうな目のリリスが聞いてきた。
「応急に封を施してはきましたが、それも持って精々四日だと」
「そうですか……」
 迫るリミットに、リリスはもう一段深く気落ちした。
「発生しちまったもんはしょうがねぇだろ。いつも通りにアルベセウスは城に残って、オレとナスターシャでどうにかするしかねぇんだろ?」
「いや、今回は私も出る。私とガイナでツェンダーテンの『方』に向かう」
 アルベセウスの言葉に隼人以外の人間が過敏に反応する。感が良くない人間でも、察知するには十分だった。
「おいおい……『方』って、おまえ」
 ポジティブ思考の強いガイナであったが、これには辟易とするほかなかった。
「そうだ。『地食』は一つではなく二つ発生している。確認から戻った者による報告によると、場所はここから街道に沿って南に五〇キル米ほど離れた所にあるオージス平原。活動が活発なため、『地食』の規模は正確に測れてはいないが、『小』に進行する恐れがあるようだ。現在、直属の衛兵が数人現場に残って封縛にあたってはいるが、こちらもマコロ平原の『地食』と同じに、押さえ込めるリミットは四日と言う」
「なるほど。ということは、こちらを私に任せると言うことだな?」
「ナスターシャ一人を向かわせるのですか!? そんなの危険すぎます!」
 一人声を荒げるリリスに、ナスターシャは心配は無用とばかりに口元を綻ばせて見せた。
「姫様、私は決して一人ではありません。信頼出来る強い仲間が沢山おりますから。私を心配してくれる姫様のお気持ちは大変嬉しいことですが、どうか私の隊の人間達をもっと信頼してやってください」
「ナスターシャ……ですが」
 そうは言われても、今回は相手が相手だ。一度張り付いた不安は容易く剥がれてはくれなかった。
「――そのことについてなんだが」
 アルベセウスが隼人に視線を向けた。追って全ての視線が隼人に集中する。
 飛び交う専門用語についていけず完全に部外者を決め込んでいた隼人は、不意に視線を向けられ戸惑う。
「な、なんだよ」
「今日初めて言葉を交わしたキミに、この様なことをお願いするのはどうかと思うが……」
 確信に近い悪い予感がした。
「『喰人』を倒すために、我々にキミの力を貸してくれないだろうか?」
「……は? 力を貸してほしいって? なんで? ……何のためによ?」
 具体的な話の要領を得ない隼人は、拒否することよりも先に次第の説明を求めた。
「これは失礼をした。そう言えばキミはこの世界の人間ではなく『喰人』についても何も知らぬようだったな」
「『喰人』を倒すためとも聞こえたけど……『喰人』ってのは悪い奴か何かか?」
「『悪い奴』などと、そんな可愛いモノではない。『悪魔』そのものだ。奴らはまるでゲームを楽しんでいるかのように殺生を繰り返し、その殺めた人間の『生』を喰らうのだ」
 真剣な顔で話すアルベセウスに隼人は静かに唾を飲みこんだ。アルベセウスは間を空けず話を続ける。
『喰人』とは――『地食』と呼ばれる、この世界と地下世界を繋ぐ現象によって地上に現れる人型の怪物のことで、『地食』の発生規模によって、地上に現れる『喰人』の強さが異なり、規模が小さい程に現れる『喰人』の戦闘能力は高いらしい。
 ツェンダーテン東部に発生した『地食』は『小』。現れる『喰人』の戦闘能力は上位紋章憑きに匹敵するレベルとアルベセウスは言う。そして極稀に上位紋章憑きを遙かに凌ぐ『希少喰人(ロゼ・クラウド)』が現れることもあるようで、今回アルベセウスが『地食』の確認をし『小』と分かるや何もせずに戻ってきた理由が、それらしい。
 過去に一度だけ『希少喰人』がリーンハルスに現れたことがあり、その時は『三神』が束になることで辛くも勝利を収めることが出来たという。
「……そんな奴相手にオレなんかが加わったところで、正直焼け石に水だと思うぜ? 隠しても仕方ねーから言うけど、オレ、『竜神』の力ってのまだ全然使いこなせてねーからな。ま、ぶっちゃけて言うとオレの今の取り柄はひたすらに頑丈なところだけだわな」
 最後の言葉を言うとき、少しだけ隼人は情けない気持ちになった。自分には『最強』と成りうる為の超人的な力が宿っているのは分かっている。しかし悲しいかな、ひと月前までただの兄ちゃんであった隼人が、自らの持つその強大な力に自らが付いていけてないのだ。ガイナとの一線で特にそれを痛感していた。明らかに『慣れ』というものが不足していた。
 そんな隼人の気持ちをよそに、突然『女の子』が話に加わってきた。隼人の頭の中に。ここにいる全ての人間の頭の中に直接。
「いいじゃない。やってやりましょうよ」
「……何者だ?」
 知らぬ声に対して怪訝な声を上げたナスターシャと違って、知った声に隼人は安堵した。声の主は、隼人の憑き神であるラルファエンクルスであった。
「ラルファか? もう大丈夫なのか?」
「んー、まだ少し頭が痛いわね。だから悪いけどまたすぐに落ちさせてもらうわ」
「そうか。あんまり無理すんなよ」
「あら、優しい。何か良くないモノでも口にした?」
「うっせーよ、オレは基本的に女には優しいつってんだろよ。……てか、今『いい』とか言ってたけど一体何が『いい』んだよ?」
 この時、何かを言いたげな顔をしたアルベセウスが話を遮るようにして咳払った。
「あ、悪い悪い。コイツはラルファって言って、もう察してるとは思うけどコイツがオレの『神様』ってやつだ。ほら、ラルファ自己紹介しろ」
「……今、私の方が下に見られた気がすっごくしたんだけど……気のせいかしら?」
「ん? ……気のせいだろ『神様』」
「なんか釈然としないんだけど……まあいいわ。――えっと、そうね自己紹介だったわね。私が隼人の憑き神で最強の『神』、『竜神』ラルファエンクルスよ」
 これにガイナが鼻で笑った。
「はっ、何が『最強』だか。オレの一撃で意識吹っ飛んだ奴の言うことかよ」
 カッチーンときたラルファだったが、自らに『冷静に落ち着いて冷静に落ち着いて……』と呪文のように言い聞かせて辛くも冷静さを保つことが出来た。何とも沸点の低い『神』であった。
「はいはい。『アレ』を知らないってホンっト、いいわね。あなた……私の意識がある状態であのまま隼人と戦い続けてたら、間違いなく『アレ』によってあの世に逝ってたわよ?」
「あぁ?」
 その発言に、到底看過出来ないと言わんばかりにガイナの表情が不快を露わにする。
 これは別に強がりでも何でもない。確固たる自信からくる発言だった。隼人にはもう一つ『アレ』が憑いているのだ。隼人のまだ未熟な力を補うには十分すぎる程の、圧倒的な『アレ』な存在が。
 こ、こいつ――隼人は薄々感付いた。
「おい。アレアレって、『アレ』はお前のもんじゃねーだろが。てか名前で呼べ、名前で」
「うっさいわね。私は隼人の『神』なのよ、隼人の物を私がどうしようが私の勝手でしょ。私の物は私の物、隼人の物も私の物よ」
「……お前はジ○イアンか」
「ほう……どうやら彼には、まだ我々に話していないことがあるようだな」
「別に隠してるつもりはねーけどよ。で? どうすんだ? いいのか?」
 隼人はアルベセウスの問いに正直に答えると、話をラルファへと振った。
「まどろっこしいのは抜きよ、呼んで」
 必然的に、場にある興味の色を濃くした八つの瞳が隼人に向けられる。
 やれやれといった感じで肩を動かした隼人は立ち上がると、何も言わずに部屋にある一番大きな窓に向かって歩き始めた。
「な、何をしている」
 窓に手をかけ勝手に開いた隼人に、慌てて声をかけるナスターシャ。
 隼人は横目でナスターシャを一瞥し、次にアルベセウスを見た。
「ちょっと外に出るから、つき合え」
 そう言って跳ねた隼人は、窓のひさしに手を掛けるとクルリと器用に逆上がり夜の外へと飛び出す。
 面白いことになりそうだ。と興味に胸躍るアルベセウスが続いて外へと飛び出し、次にナスターシャ。最後にガイナが「姫様こっちだ」と、リリスを抱き抱えて隼人を追って飛び出していった。
 城の一番高い、尖塔の屋根上に先に到達した隼人が四人を迎える。相当な高さにリリスはギュッとガイナにしがみつくのに必死だ。
 下から吹き上げる強い風が隼人の銀髪を靡かせ、鼻先を擽る。
 場の誰かが口を開くよりも先に、若年男性の声が直接脳へと語りかけてきた。
「よう、ラルファ。久しぶりじゃねーか、元気してたかよ」
 ご存じ、火神イーヴェルニングだ。
「あら、イーヴェ。久しぶりね。居たんならさっさと出てきなさいよ」
「あ? 出たくても出られなかったんだよ。さっきお前らが居たあの部屋、オレら『憑き神』が干渉出来ないよう、ちょっとした印が施されてんだよ」
「そうなの? でもどうしてそんなことを?」
「あそこは私的な時間を過ごせる、唯一の部屋なんですよ。憑かれる人達も、私達に四六時中憑かれていては『やりたいこと』もできませんから」
 問いには、イーヴェルニングではなく、新たに割り込んできたミュアブレンダが答えると、最後に久しぶりの再会の挨拶を互いに交わした。
 ナスターシャとガイナ、そしてリリスまでもが、ミュアブレンダの話を聞くや否や、なぜかこぞってアルベセウスに視線を向けた。アルベセウスはその視線がいたたまれないのか「んっんんっ」と喉を鳴らすと、その視線から逃げた。
「ああ……なるほどね」
 声に出して納得したラルファ。黙ってはいるが納得した様子の隼人。しかし、さすがのエロリスト隼人も『公開プレイ』だけは許すことはできないようで、アルベセウスに少なからず同情していた。
「そ、そんなことよりもだ。こんな所で一体何をしようというのだ? わざわざこんな所に呼んだんだ、それなりのものを期待するぞ?」
「まあ……期待してもいいんじゃね? 最初ラルファが驚いたくらいだからな。な?」
「……余計なこと言わない」
 ただ一人。ミュアブレンダだけが、おおよそ気付いた。
「もしかして、『ランマル』ですか?」
「お、当たり。正解。よし、そんじゃ今から乱丸呼ぶけど……。いいか? お前ら絶対に手ぇ出すなよ、乱丸はオレの『ペット』だからな」
 そう言って隼人は周りの否応聞くことなく、人差し指と親指で輪っかを作り、それを口にくわえた。指笛だ。
 隼人が吹くと、高く鋭い笛の音が夜の空に、夜の町に響き渡る。
 吹き終わり、一瞬の静寂が訪れる。
 静寂の中、僅かな異変をいち早く察知したのがアルベセウスだった。大気が異様な震え方をしていた。だが、それを口にするよりも――瞬間、来た。
 一発の轟音と共に刹那の速度で降臨した漆黒の巨竜。あまりの速度とその重量で、爆風かの如く巻き狂う暴風が吹き荒れる。
 吹き飛ばされることなく耐えきったアルベセウス、ナスターシャ、ガイナと、ガイナに抱き守られたリリス。そしてイーヴェルニング、グールバロン、ミュアブレンダ。初めて見る『化け物』を前にして言葉を無くしていた。
 それでも、気丈を取り戻したアルベセウスが口を開く。
「……これは? まさかキミのか?」
「ああ。すげーだろ」
 隼人が右手を肩の辺りまで上げると、乱丸がその手に顔を擦り寄せてきた。いつものように隼人が乱丸の喉元を撫でてやると、乱丸は気持ちよさそうに大きな目を細める。さっきまで乱丸を恐怖の目でしか見ていなかったリリスであったが、それを見てリリスが「……わぁ」と感心したような小さな声を上げた。
「お?」ガイナが声を上げた。
 とてもキュートな容姿に似合わずに肝が据わっているというか、それとも人一倍に好奇心が旺盛なのか、ガイナに抱かれた腕の間からリリスが恐る恐ると手を伸ばしていた。
 気付いた乱丸が、伸ばされた小さな手を凝視する。手の奥に見えるリリスの目と、乱丸の青く大きな目が合うのだが、リリスは臆して怯むよりも、逆に「ぉ、ぉぃで……」と声を掛ける。乱丸の耳がピクリと動く。人語を喋ることはできないが理解できる乱丸は暫くして、その巨大な顔をリリスへと近づけていった。
 ガイナは警戒した。ほんの少しでもリリスに危害を加えたら、否、加えるような行動を見せれば即座に渾身の右ストレートを、その顔面にぶち込むつもりだ。
 しかし、どうやらそれは杞憂に終わった。
 何事も起こることなく、リリスの手は乱丸の立派な鼻先に触れることができた。
「……硬くない」
 乱丸の尖った鼻先に触れた感想だった。乱丸の肌は金属のように黒光っていたから、てっきりキンキンに硬いものだと想像していたのだが、意外に柔らかい。知ってるところ、ペガサスの皮膚の硬さとそれほど変わらなかった。
「柔らかいだろ? それは、えっと……」
「リリスです!」
「おう、ありがと。それでな、乱丸の皮膚が柔らかいのはな? リリスに気を許してるからなんだわ」
「そうなんですか? え? それでは、いつもは?」
「硬いよ。特に、マジになったときなんかは半端ねーぞぉ」
「ほう、それは是非見てみたい……ところだが、残念ながらソレはまた次の機会にでもお願いしなければならないようだ」
 アルベセウスがそう言い終えるのと殆ど同時に、城から、そして続いて町の至る所から大きな鐘の音がけたたましく鳴り響いた。少なくなっていた町の灯りが再び灯されていくと、それは瞬く間に町全体に波及していった。
 ……まあ、こうなるわな。内心苦笑した隼人の視界一面、囲むようにして、おびただしい数のペガサスナイトの姿が。そのペガサスは普通のペガサスよりも一回りも二回りも大きく、なかなかの威風を放つ。鞍上の背にはもう一人、ペアという形で深紅の衛兵レッドマジシャンが跨っていた。
『風』の軍隊の一つを任される、シーク・ティターニア副将軍は乱丸を前にして震える我が身を抑えることができなかった。
「き、奇っ怪な。なんですか、この禍々しい化け物は! くっ! お、落ち着きなさい!」
 突然暴れ始めたペガサスに、シークは危うく振り落とされるところだった。同乗するライラック・ワードナーに至っては『火』の副将軍らしからぬ情けない声を上げ、シークの腰にしがみついていた。
 形容異質で巨大な胴体から感じる強大な威圧感に耐えられずに、ペガサスが気狂いを起こしたかのように激しく入れ込むのを、鞍上のシークは手綱を目一杯に引いてコントロールするのに必死だ。そしてそれはこの一頭で留まるわけもなく、見ると殆どのペガサスが異常な興奮状態に陥り、その巨躯を暴れさせていた。
「何という体たらくか……」ナスターシャは左手で顔を押さえると頭を振った。
「ははっ、お前らんとこの奴らおもしれぇな、おい」
 この場に『巨』に属する隊の人間が居ないのをいいことに、ガイナは余裕で楽しんでいた。
「――ナスターシャ様?」
 誰からともなく聞こえた、ナスターシャの名を呼ぶ声に反応して見せたシークとライラックの二人は慌ててナスターシャの姿を探す。
 居た。尖塔の屋根にはナスターシャの姿だけではなく『三神』全ての姿、そして女王であるリリスの姿までもが。なぜこのような場所に女王が。と詮索するよりも、相対して立つ隼人を視界に捉え、そして乱丸。ライラックの脳が瞬時にはじき出した答えが――やはり、敵かっ! だった。
 次の瞬間、ライラックが決死の覚悟でペガサスの背から乱丸へと向かって勢いよく跳び降りる。
 乱丸が下げていた頭を起こす。
「ライラック!」シークが名前を呼ぶが、下からはアルベセウスが制止を促していたが、その声はライラックには届かない。
 レッドマジシャンは武器を一切持たない。
 あるのは一つ『火』の魔法詠唱。
 ライラックは空中で素早く右拳を引いて構える。
「――レイ ザガン バレム――」
 攻撃系火系魔法――『ヴォルゲイン』
 周囲一帯が真っ赤に色付き、その染めていた『赤』はライラックの引いた右腕に瞬く間に集約されていった。出来上がる真っ赤に輝く球体。
「やっぱコイツが扱う炎、悪くねぇな。良い質だぜコレ」
 イーヴェルニングは感服した。
 アルベセウスは嘆息は吐いたもののライラックの突発で危険な行動を止めようとはしない。少しでも乱丸の力量を計る良い機会と判断したからだ。考えはガイナとナスターシャも一緒なようで、ナスターシャはライラックが放たんとしている『ヴォルゲイン』に備えて、胸元で印を結ぶ。
「――イア ラウム――」風の加護を求める言葉を述べたナスターシャを中心に、青白い光が屋根にいる全ての者達を包む。隼人を除いて。
 隼人は「ちょ、ちょい!」と慌てて光の中へと駆けていった。間髪――
「――ヴォルゲイン――! 喰らわんかぁぁぁぁぁいっ!」
 乱丸の頭上から、狙いを頭部へと定め合わせたライラックは、引いた拳を勢いよく突き出した。放たれた炎弾は一発。が、放たれた炎弾は新たに数百の炎弾を一気に生みだすと、一斉に乱丸へと降り注ぐ。灼熱の集中豪炎弾。
 乱丸は爆音と共に炎弾の雨をまともに浴び続け、魔法で作り出された炎は持続性に特化し、消えることなく皮膚にまとわりつくように燃え続け――やがて乱丸は豪火に包まれた。
 打ち終わり、落下するしかなかったライラックを、強引にペガサスを操って先に回ったシークが辛うじてペガサスの背で受け止めた。
「無茶をしすぎです! 死ぬ気ですか!」
 声を大にして言うシークの目にはうっすらと光るものがあった。
「そ、そない怒りなや。大将が見とるんやけ、少しは気張ったらんとあかんやろ?」
「だからといって、それで死んでしまっては元も子もありません。……残される私のことも少しくらい考えてください」
 前を向いてるシークの表情はライラックからは見えなかったが、声の質が明らかに落ち、気分を害しているのがライラックにはすぐに分かった。
 ライラックは背後からシークを抱き、耳に近い距離で、
「こらこら、拗ねへん拗ねへんの。悲しい思いさせた分、ちゃんとベッドでぎょうさん甘えさせたるから、それで許したってな?」
 囁くように言い、最後耳にフッと息を吹きかけると甘噛んだ。
「ぁん……そ、そんなつもりで、ぁ……ダメ……言ったんじゃありません……ん…………お……お、降ります!」
 耳から離れてくれない。執拗にして優しく、性感帯である耳を責めてくるライラックに、シークは耐えきれなくなる前にと、ナスターシャ達の待つ屋根上へと急降下していった。
「おわっ! ちょ、き、急に下がりなや!」
 屋根へと降り立ったシークはペガサスから降りると、赤くなった顔を隠すようにして足早にナスターシャ達の元へと駆けていった。
「あー……怖かった……」
 続いて降りたライラックは燃え盛り続ける乱丸へ一度視線を向けてから、シークの後ろを追った。
 先に『三神』の元へ立ったシークがリリスに向かって頭を下げる。
「――ナスターシャ様、これは一体……」
 次にやってきたライラックがリリスに向かって頭を下げる。
「――なんや、ごっつぅ大きいからビビッたけど、何のことはない、コイツとんでも無い見かけ倒しで拍子抜けしましたわ」
「俺様のリーサルウェポン舐めんな」
「へ? えっと……キミ、誰?」
「お前が今燃やした『竜』の飼い主だよ。てか、なんでバリバリに関西弁喋ってんだよ」
「え? 何? カンサイ、ベン? なんやカンサイベンって? いや、そんなん今はええわ。それよか、今キミ『飼い主』って言わんかったか? え? 飼い主って『コレ』の?」
 ライラックは燃える乱丸を指差した。
「う、ウソやん! こんな飼い『ネコ』ならぬ、飼い『化け物』おるなんて、初めて聞いたで! ホンマ冗談きっついでキミ」
「……お前、大阪人だろ」
 間を空けず、直にアルベセウスから詳しい説明を受けるのだが、聞いた二人は驚きを隠せない。
「ホンマの話やったんか……すごいなキミ。っと、そうなると……この『竜』ってのは悪いヤツやないっちゅーことやな……えらいことしてもーたな、焼いてもーたわ、オレ」
「多分大丈夫だろ――乱丸ー! 平気かー!?」
 隼人の声に反応した乱丸は、待ってましたと言わんばかりに畳んだ翼を広げると、回転を伴った上昇をみせ、体全体にまとわりついた炎を一気に散らし飛ばした。
 アルベセウスは予想通りといったように「ふむ」と頷く。
 乱丸の体は何層にも重なる表皮を、それも薄く一枚を炭化するだけで無傷のまま。その炭も脆く、軽い風に剥がされ散り散りと流されていった。
 夜空に滞空する乱丸を見上げるアルベセウス。その横に並び立ったライラックも同じように見上げた。盛大な溜め息が出た。
「――かなりの強度だな」
「大将。強度も何も……こんなん……自分、自信無くなりますわ。さっきの結構ホンマもんの一撃やったんやで? ……めっちゃ元気やん」
「そう言うな。今回は相手が悪すぎたと言うことだ」
「……まぁ、敵やなくて良かったですわ。もし、こんなんが敵におったら、大将、うちじゃあちょっと厳しかったと思いますわ」
 ライラックは不敵に笑うとアルベセウスの胸をトンと叩いた。
「ま、紋章持ってる大将の頑張り次第やけどね」
 ライラックの言葉に対してアルベセウスは意味深な笑みを返した。
「何を言うか。そうなったときは『お前』もだろ?」
「何言うてんの。あんまり『人間』に無茶させたらアカンで」
「相変わらずタヌキを演じるやつだ」
「そないなこと言いなや。ホンマの話やし。――っと、いらん話し過ぎたわ。どうやら大事にもならん感じやし……そろそろ自分ら戻りますわ。シーク、いこか」
 ライラックに一声掛けられたシークはリリス、三人の将軍と頭を下げると愛馬の元へと向かった。遅れてライラックがリリス達に一礼し、去り際に隼人に話しかけてきた。
「キミ、味方になれとは言わんけど、くれぐれもウチの敵になるようなことは考えんとってや? これはな……キミの為を思って言ってるってのもあるんやからね?」
 柔和な表情で言うライラックだが、隼人は得も知れない寒気を感じた。そんな隼人を残してライラックはシークの元へと走っていった。
 見送られたライラック達は城内に戻るのではなく、町へと降りていく。騒ぎの沈静化を図りに向かったのだ。隼人は察する。見えるところにこんな化け物が居続けたのでは収まる騒ぎも収まらない。隼人は乱丸に向かって、引くよう命令する。
 乱丸はまだまだ物足りないのだろう。来たときとは打って変わってダラダラとした態度で不満をアピールしながら空の彼方へと消えた。
「それでは一旦、中へと戻ろう。姫様の体に長時間の寒風は堪える」
 言ったのはアルベセウスだ。従って、皆が軽い身のこなしで城の中へと戻る中、隼人は気になっていた。ライラックという人物が何者なのか。当たるも外れるも五分五分という隼人の直感ではあるが。もしかしたら、あいつがこの国で一番強いんじゃないのか? とさえ思っていた。しかし、圧倒的に情報が不足している今、あれやこれと自己で詮索し、憶測で判断するのは無意味に他ならない。直に隼人は考えるのをやめた。
 部屋に戻ってからは、実に話はスムーズに進んでいった。
 隼人の『最強』となるためのプロセスの一つになるということで、『喰人』討伐への荷担はあっさりと決定。勿論、ラルファの一存で。
 その他にも。この国への力添えが続く限りは、隼人の生活に必要な衣食住の全て、不便をきたすことがないように最大限の誠意を持って用意してくれるとのこと。俗に言うVIP待遇だ。
 待遇とは違って、一つの制約も課せられた。
 今、皆が集まっているこの部屋だ。この部屋に限っては、次からは他の憑き神と同様にラルファの意思は遮断させてもらうとのこと。ラルファは不満を口にしたが、『人権保護』を発狂気味に連呼する隼人にラルファが根負けをした格好で決まった。言うまでもなく、アルベセウスも隼人を擁護していた。
 こんなところで臨時の会議は終了し、話の肝であった討伐への出発は明後日となった。
 メンバーはナスターシャを筆頭に、隼人、『風』の副将軍であるレヴァイン・ノヴァ、その指揮下にある軍団を特別に編成した小隊、約一〇名。レヴァインと小隊は、あくまでもサポートという位置付けで、来るべき『喰人』との一戦はナスターシャと隼人の二人が受け持つ。『人間』如きがどうにか出来るレベルではないのだ。上位階位の『喰人』は。
 こうして隼人の長かった一日が終わるのだが、やや時間を戻し、場所も変えさせてもらおうか。

 時間は臨時に会議が開かれる二時間程前。
 場所は西の地。

 ずずぅん――という轟音が鳴り響き、尋常でない砂埃が吹き舞い上がる。
 ケイヒルは手に持った剣を横に払うように振り、刀身に付着した血を払い飛ばした。
 だが、その剣は血が取れたことによって、輝きを取り戻すことなく、逆に血特有のどす黒さが増していた。血錆だ。血錆の剣は、よく見ると刃はところどころ大小に欠け、到底剣の役割を果たしてくれそうにない。
「……とりあえず――」
 ケイヒルは肩に掛けた鞘を手に取り血錆の剣を収めると再び肩に掛け、小さな山とも言えるくらいの荒くささくれだった高い丘を、全くものともせず軽快に跳ねるように駆け上る。
 丘の上に立ったケイヒル。僅かに目元に掛かる隼人と似たような銀髪を、ふもとから吹き上げる風が靡かせた。
「……――弱いなぁ。実に弱い。ヴェルゼモーゼス、キミもそう思うだろ?」
「不完全な喰人など、所詮この程度だ。時間の無駄にしかならぬわ」
 激しく憤ったヴェルゼモーゼスの声がケイヒルの頭に響く。
 ケイヒルは苦笑う。
「そう言うなよ、ヴェルゼモーゼス。僕はそれなりに楽しめたんだけどな。それに、あながち無駄だったとは言えないだろ?」
「ふん、確かにな」
「『ロゼ』……来るみたいだね」
 ケイヒルはその場でしゃがむと、さっきまで自分がいた場所に視線を移した。
 そこには大地が無かった。あるのは『黒』。その『黒』は怪しく蠢き、徐々に徐々にと大地を喰らい『黒』の支配を広げていくのだが、活動の限界が近かったのか『黒』の侵食は鈍り始め、やがて停止した。これが『地食』と呼ばれる現象の内の一つだ。
 そして『地食』をゲートに、世界に現れる化け物――通称『喰人』。
 多手、多足、多頭、多角、多口、と様々な奇形生物の形(なり)をしたケイヒルの四、五倍はある巨大な怪物が『地食』周辺一帯、至る所に倒れていた。
 血にまみれた大地。嘔吐を催す程の強烈な血臭。普通の人間なら卒倒しそうな凄惨な現場に、ケイヒルは満悦な笑みを浮かべていた。
「きっと、こいつらと違ってものすごく強いんだろうね。どうだろう、勝てるかな? 僕自身、今まで結構な数を『喰らって』きたから、案外イケそうな気がしてるんだけど」
「いや、今回は様子を見るぞ」
「どうしてさ? ヴェルゼモーゼスともあろうものが、戦う前から逃げるのかい?」
 予想外の返答に、ケイヒルは驚いた。
「戯けが。誰が逃げると言ったか。口の利き方に気をつけろ」
「おっと、これは失礼したね」
「ふん……安心しろ。お前が戦うことに変わりはないわ」
「それじゃあ、どうして」
「出現する場所が場所だ」
「ああ……なんだ、そう言うことかい」
「何も無駄に入り乱れる必要などない。残った方とお前がやればいい」
「でも、ヴェルゼモーゼスはそれでいいのかい?」
「なにがだ?」
「『ロゼ』が生き残ったら、僕たちが目的にしてる『力』を失うってことじゃないのかい?」
「その時は『ロゼ』を喰らえばいいだけだ。『ロゼ』一人、それだけの力を秘めているからな」
「へぇ、そうなんだ。でも残念だな、それを聞くと尚更戦いたくなってきたよ、僕は。……それに」
 ケイヒルは立ち上がると南へと目を向けた。かなり日が傾き、遠くに広がる景色は暗く、よく見えない。だが、ケイヒルは感じていた。
「……そこには、僕を不快にさせたヤツも居るようだしね」
「どっちでもよかろう。残った方が、より優れた力を持ってるということだ」
「……まあね」
 短い言葉で、一旦会話を切ったケイヒルは視線を元に戻した。瞬間、大地が小刻みに震える。
「さっきので最後だと思ったんだけど、どうやらまだ残ってたみたいだね」
 向けた視線の先。
『地食』に侵された漆黒の大地が、五つ又矛の形に大きく歪に盛り上がる。上がる。上がる。上がる。それは、張られた膜を内側から強く押している。そんな感じに似ていた。当然、膜には強度がある。限界を超えれば……
 バチンと大きな音を立てて『黒』が弾けた。一カ所、二カ所、三カ所、四カ所、五カ所、六カ所と次々と。
 姿を現したのは太く屈強な腕。皮膚に浮かび上がる無数の血管は異常なまでにぼこぼこと忙しなくと脈打っていた。
『地食』を突き破って出た腕はフラフラと彷徨い、侵されていない大地の感触を見つけるや、手を掛け一気に飛び這い上がる。破れた『地食』はまるで黒い水飛沫のように豪快に飛び散った。
 大地に音を立てて姿を見せた三体の『喰人』。
 一体は頭から下腹部にかけて口が並ぶ、目無しの化け物。下品に涎を滴り落とす。
 一体は腕が四本生えた化け物。前と後頭部に大きな目が付き、眼球が異様に動きまくっていた。
 一体は足が蜘蛛のように生えた化け物。首に骨が通っていないのか、三六〇度不気味に動いていた。
 現れた喰人が早速、異変に気付いた。
「コレは一体、ドウいうこと、ダ?」
 おびただしい数の同胞の無惨な姿を目に捉えた喰人は瞬時に感付き、肌の色が戦闘色である紫に変わる。しかし喰人達は同時に恐怖も覚えていた。
「ダレだ……どこニ隠れてイル! 姿ヲ見せロ!」
 喰人達は必死になって辺りを見渡す。
「――別に隠れてなんかいないんだけどね」
 自分の背よりも高いところから聞こえた声に、喰人達は一斉に上を見た。
 丘の上に立つケイヒルの笑う姿を捉えた瞬間。蜘蛛足の喰人が絶叫を上げながら跳躍しケイヒルを襲う。単純に圧死を狙った攻撃だ。地響きと共に丘の頂上が粉砕されるが、既にそこにはケイヒルの姿はない。より上の空へと跳んで回避していた。
 しかし回避した先、ケイヒルの眼前には、読んでいた目無しの喰人が現れる。
「これはなかなか!」
 そう一言発したケイヒルに、縦一列に並んだ口から、赤い波動弾が一斉放射される。
 言った言葉とは裏腹に、ケイヒルの顔から笑みが消えることはない。咄嗟に体を丸めたケイヒル。その身が黒い『障気』を揺らめき纏ったところ、喰人の放ったレッドラインバーストが直撃する。大爆発。夕闇の空が一時煌々とした赤に染まる。
 じきに爆発も収まり夕闇が戻ってきた空から、喰人、そして波動弾を浴びたケイヒルが落ちてくる。ケイヒルは全くの無傷だった。ケイヒルは地上に降りるなり、服に付いた埃を払う。やはりその顔には笑みが浮かんでいた。
 轟音とともに砂が舞い上がる。後ろを一瞥したケイヒルは、また服に付いた砂埃を払った。ケイヒルの背後に蜘蛛足の喰人が降り立ったのだ。三体の喰人は上から睨むようにケイヒルを見るだけで動かない。どう行動すればいいのか分からないのだ。為す手立てが思い浮かばない。強者と弱者の構図が出来上がっていた。
「残念。攻め方は悪くなかったけど、攻撃力が不足してるから何をやっても無意味だよね。今のがもしロゼだったら僕死んでたんじゃないかな?」
 楽しそうに話すケイヒルは鞘を手に取り、剣を抜く。ケイヒルの纏っていた黒い『障気』が剣へと移る。
「マ、待て! き、貴様ハ一体何者ナノだ」蜘蛛足喰人が必死の形相で問う。
「僕かい?」振り向くケイヒル。握った血錆の剣が……黒銀の輝きを取り戻していた。
「そ、そうだ」畏怖を感じた喰人達は後退る。
「どうせ今から死ぬんだから聞いても意味ないよ?」
 刹那、ケイヒルの一撃が蜘蛛足喰人の胸に、鍔(ツバ)いっぱいまで深く突き刺さる。
 一瞬の出来事に、理解するのにコンマを要した蜘蛛足喰人は遅れて胸に目をやる。
「ほらね」
「キ、貴様ァ!」
「――ズィータ――」ケイヒルは呟いた。
 剣を握る手の甲。古の文字が綴り書かれた――『魔』の紋章が血色に輝くと、一瞬にして剣を握ったケイヒルごと蜘蛛足喰人の体を貫く。
 白目になった蜘蛛足喰人は頭から前のめりになるような格好で倒れた。
「ひイィっ!」
「お。オいッ! ドこに行ク!」
 惨劇を目の当たりにした? 目無しの喰人が逃げた。背中に聞こえる四手の喰人の声を無視して逃げる逃げる。ズン……ズンと大きな足音が響く。
 ケイヒルは身を捻り空中で回転すると、逃げる喰人の背中を目がけて剣を投げ、呟く。
「――ルド リッヒ ヴァリッチ――」
 ケイヒルの手元から離れた剣は爆発的な加速を見せると、黒光線となり、逃げる喰人の体を背中から貫通した。貫通した黒光線は鋭角に方向を変えケイヒルの元へと、これまたすごい速度で戻ってきたが、ケイヒルはそれを慣れた手つきで掴み取った。正確には剣の方から、差し出された手に収まった感じだ。
 咆哮のような断末魔の絶叫が響き渡る。止まぬ絶叫を背にしたケイヒルが四手の喰人へと視線を向ける。
「どうせ死ぬんだからさ、逃げずにかかってきなよ」
 四手の喰人はケイヒルの持つ剣に目がいった。
「そ、ソノ剣はなんダ」
「? この剣? さあ、僕にもよく分からないんだけど。聞く一説によると『神具』って呼ばれるものみたいだね。まあ、見たとおりすごい武器だとは思うよ」
 絶叫が止み、次に轟音が響き渡った。蜘蛛足の喰人は今絶命した。
「フ、ふん。結局はそンな武器ニ頼らナケれば貴様ハ弱いのだロ」
「何だって?」『弱い』という言葉に、敏感に反応したケイヒルの表情が一瞬陰る。
「何度だッテ言っテやろウ! 所詮貴様ハ作ラれた強さニ酔っテルだけダ! 我ワレは違う! 己ノ力のみで戦う勇敢な種族なのだ! 我は今ココで朽ちるだロウ。しかし! 直にあのオ方ガ降臨サれる! あのお方ガ! あノお方が! ワズワルド様が我ワレの仇をきっと取ってくレよう!」
「ワズワルド? もしかしてロゼのことかい?」
「ソうだ! ロゼだ! 貴様が如何なる武器ニ頼ろうガ、あれ如きの力など、ロゼの前でハ、ワズワルド様の前では貴様ナド取るに足らん存在なのダ!」
 長く熱の籠もった弁を聞き終わったケイヒルの肩が震える。愉快すぎた。
「……あれ如きだって? もしかして、お前はあれが僕の本気だと思ったのかい?」
「ど、ドういうことダ」
 限界を超えたケイヒルは高らかに笑った。
「ナ、何ガそんナに可笑しイ」
 そんな言葉を無視して笑うケイヒルの頭に妙案が一つ閃いた。
「……いいことを思いついたよ。確かめよう」
「確かめル? ……一体何ヲだ」
「お前が崇めるワズワルド様と『弱い』僕。どっちが強いのかをね。お前、知ってるんだろ? ワズワルド様の、それはそれは素晴らしい強さをさ」
「い、イヤ……そ、それは、チ、ちょっと待テ!」
「またつまらぬことを」ヴェルゼモーゼスが深く嘆息を吐いた。
「光栄に思いなよ? 僕が本当の力を見せるのは滅多にないんだからさ。まあ、でも『弱い』僕が見せる本気なんてたかがしれてると思うけどね」
 必要以上に『弱い』というフレーズを口にするケイヒル。表情には出さないが、結構むかついていた。なぜ自分より遥かに弱いヤツに『弱い』ヤツ呼ばわりされないとならんのか、と。ケイヒルは血錆の剣を横に構える。
「……馬鹿が。僕に舐めた口を利いたことを後悔するがいいさ! ――ユァ ルゥ ドゥ ヴィエンリッヒ デス ヴォーゲン――ヴェル ゼ モーゼス――」
『魔』の紋章が裂音上げて真紅に輝く。
 体から吹き上がる『障気』が黒柱となり天を貫いた。
 これから何が起こるのか。純粋に恐怖で震える喰人が見上げる中、ケイヒルを中心に立ち上る黒柱は、大地を覆うように半球形に開いていく。少しずつ徐々に緩やかに。空ごと、広大な大地を飲み込まんと広がる『黒』。
 ケイヒルの作り出す『夜界』が徐々に、徐々に、徐々に、徐々に、徐々に、徐々に……出来上がった。
『夜界』に飲まれたケイヒルに喰人。喰人は今頃になって逃げ出す。絶対にろくな死に方をしない。朽ちる覚悟は冷めていた。
 逃げる喰人を見向きもしないケイヒルは冷たく口にする……解放の言葉を、死の宣告を。

 ――リーズ レベクター マイン リッヒ――ツヴェルディフ デス ヴァルキューレ――

『夜界』の外、本物の夜空の元に喰人の絶叫が響き渡った――悪魔、と。
[ 2011/08/17 13:58 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

紋章憑き~第四章【風の紋章憑き・ナスターシャ】~

  第四章【風の紋章憑き・ナスターシャ】

 リーンハルス城、城壁上部。格子が付けられた横に幅広い開口部。中から外へと、良い香りのした白い湯煙がもやもやと立ち上る。
 優に百人は入ることが出来そうな位な大湯殿。
 基本的に城の外部内部の造りはレンガ造りなのに対して、湯殿の造りはかなり手の込んだものになっていた。
 大理石らしきものを加工したモザイク調の床に、壁には神殿柱が使われ、大湯殿の中央部分に湯殿のメインである大浴槽があった。
 世界広しと言えど、ここまで立派な造形をした湯殿は、大多数の美女を擁するリーンハルスであるからこそであろう。
 さて、そんな大湯殿を現在、『風の紋章憑き』のナスターシャが独占で使用中であった。
 平和だ。入浴用の薄手のシルク生地に身をくるんだナスターシャは、湯船に漬かり至福の時を過ごしていた。ナスターシャに勝る程とは言わないにしても、誰もが美女と認める程の女性をずらりと周りに侍らせる。
 この女性達、今は侍女としてナスターシャに仕えているが、湯殿から出れば忽ち『風の紋章憑き』の衛兵にへと早変わりする。
「――随分と外が騒がしくなってきたな」
「あ、はい。どうやら不審な者が現れたとかで先程ガイナ様が向かわれたので、そのせいかと」
「ほう、ガイナの出る幕を用意するほどの者か?」
「いえ、いつものことかと」
「……そうか」と湯船から上がったナスターシャは、身に纏ったシルク生地を取り、一糸纏わぬ姿になった。
 裸のナスターシャを侍女達が囲むと、失礼しますと言い、慣れた手つきでナスターシャの体を洗い始めた。
 まあ、しかし、洗うとは言っても専用用具などは無く、『手』なのだが。これが、少し見ようによっては卑猥に見えてしまうから大変困ったものだ。
 侍女達は湯桶にお湯を汲んでは手ですくい、肌に塗り込むようにナスターシャの体を清めていく。
「……あいつの何でもかんでも首を突っ込む性格は直りそうもないな?」
「はい。でも、そこがガイナ様の素敵なところなんです」
 ナスターシャの問い掛けに、ナスターシャの左腕を洗う侍女は同調するも、ほんの少しだけ不機嫌そうに、ガイナを擁護した。
「これは失礼した。そう言えば、おまえはガイナのことを好いていたな」
「……はい」
「あいつは他に類を見ない程の愚鈍で鈍感な男だからな。そしてお前はお前で少し消極的なところがあるからな……。こればかりは、お前が勇気を出して積極的にいかないとな。お前達もそう思うだろ?」
 これに、右腕、右脚、左脚を洗う侍女は、はい、と答えるのだが、声のトーンが明らかに沈んでいた。
「積極的に、ですか? でも……私どうすればいいのか全く……」
「簡単なことではないか」
「え?」
「我らの掟を逆に利用すれば良いだけのことだ。先に既成事実を作ってしまえばガイナも何も言えん」
「掟を……利用ですか?」
「そう、ガイナの唇を奪えば良いだけだ」
 さも当然とばかりに言う。
「そ、そんな……唇なんて……」
 恥ずかしさでポッと顔を赤らめた侍女とは対照的に、怒りに近い感情に顔を赤らめた侍女達が一斉に声を張り上げる。
「ず、ずるいっ!」
「そんなの卑怯だと思います!」
「だめぇ!」
「な、なんだいきなり大声を出して!」
「ナスターシャ様は一人だけ贔屓になさるおつもりですか!?」
 右腕を洗う侍女が言う。
「は? 贔屓? いや、私は別に誰かを特別贔屓するつもりは……ん? もしかして、お前達?」
「私もガイナ様が好きです」右腕を洗う侍女が言う。
「わ、私もです……」右脚を洗う侍女が言う。
「大好きです!」左脚を洗う侍女が言う。
 真顔で顔を真っ赤にした侍女達を、ナスターシャはキョトンとした表情で見る。
「……ぷっ、あっはははははは――」
 ジワジワと込み上げてくるものを抑えきれなくなり、吹き出すと大きく笑った。
 唖然とする侍女達。
「――そ、そうか! そうかそうか! あは……あははっ……ガ、ガイナの奴、けしからんな」
「……笑いすぎです」
 ぶすっとした顔で言うも、誰一人とてナスターシャの体を洗う手は休めない。
「悪い悪い。まさかお前ら全員がガイナを好いてるとは思ってもいなかったのでな。いやいや、それにしてもガイナがこれほどまでに人気があるとは意外だったな」
「そうですか? ガイナ様、恐らくアルベセウス様よりも人気ありますよ?」と右腕を洗う侍女が言う。
「……本当か?」
 ナスターシャは初めて知る意外な事実に驚いた。
「はい、本当です」
 ここでナスターシャの体を洗い終える。
 仕上げへと、各々が桶を手にし、お湯を汲むとナスターシャの体へ、そーっと掛け流す。
「アルベセウス様がお嫌いとか、人気が無いとかではないんですよ? それ以上にガイナ様の人気がすごいんです」
「アルベセウス様もそれはもう大変素敵なお方です。けど、少し冷たい感じがして」
「あー……、確かにな。あいつはなぁ……人との付き合いをあまり得意とせんからな。まあ、これは性格的なものだから仕方ないだろう」
「私もガイナ派ですね。ガイナでしたらあなたの『相手』として私も許せます」
 ナスターシャの憑き神である『風神ミュアブレンダ』が割って入る。
 女性は色恋話が好きと言うが、どうやら神であるミュアブレンダも例外ではないようだ。
「……ふ、何を言うか馬鹿馬鹿しい」
 え? と侍女達が聞き返す。
「ん? ああ、どうやらミュアブレンダもガイナの方が好みらしいぞ」
「ですよねー!」
 侍女達は自分の立場も忘れて、はしゃぐ。
 それを見たナスターシャは「そうだな……」と考えた。
「よし、少しばかり私が力を貸してやろう」
 何か策が閃いたナスターシャはニコリと笑う。
「本当ですか!?」
 侍女達は嬉々として、ナスターシャの言葉に食い付いた。
「少しだけだぞ? 最後の肝心な所はお前達が自分の力で頑張るしかないぞ?」
 頑張ります、と拳を作る侍女。『肝心な所』の意味を理解し萎縮するも覚悟を決める侍女。四者四様それぞれ違った反応を見せるが、辿り着く答えは同じのようで、ナスターシャは、うむ、と頷き返した。
「では、その策とやらを教えてやろう――」

 そう言ったとき――
 湯殿の内壁が発破をかけたように激しく割れ砕け散った。
「何事だ――!?」と声を上げたナスターシャが真っ先に振り返ったところに、ガイナによってぶっ飛ばされた隼人が突っ込んでくる。
「くっ!」その物体が何なのか、理解するよりも早く体が動く。
 しなやかに体を極限まで仰け反らせ、隼人との衝突を回避する。刹那、ナスターシャが口を開く――「ズィータ(貫け)」――口内で青色の光が弾ける。舌に刻まれた『風の紋章』獅子に似たような生き物に大きな翼を携えた、キメイラのエンブレムが力を解放する。
 ナスターシャの口から解き放たれた強烈な渦状風波の一撃が隼人の脇腹に打ち込まれる。
「っ! あ、あわっわ……あうあっ!」
「ナ、ナスターシャ様っ!」
 しかし、ナスターシャの体勢に少し無理があったようだ。解きはなった一撃の反動に自らが堪えきれずに背中から床に倒れると、そのまま後頭部を床に打ち付けてしまう。
「あがあぁぁっっ!」
 隼人の体が天井高くまで打ち上げられる。
 突き刺さる痛みに表情を歪めるが、それでも竜の皮膚の硬度は相当のものか。鋭利鋭いスクリューブロウは着ている衣服を巻き込み剥ぎ取るだけで、体を貫通することなく弾け散った。
 意識朦朧とする中、受け身を取ることも儘ならぬ隼人は頭から落ち、顔面で衝撃をまともに受けることとなった。頭からは血が流れ、濡れた床に滲み広がる。
 ……厄日かよ。
 今日何度目かの顔へのダメージに、何をするのも考えるのが嫌になった隼人は、仰向けに寝転がったままに瞬きするのも忘れ、天井の黒ずんだ染みを意味無くただ見つめていた。
 これはもはや運だな。どんだけオレ不幸なんだ、と。
 クソ重たくなった思考も少しずつ軽くなってくると、当に視界に捉えていたモノが今更認識し始めた。
 一、二、三、四。顔を引きつらせた四人の女性が隼人を囲むように立っていた。しかも皆が素っ裸で。そのどれもが豊胸。隼人の生まれ育った国では、まずお目に掛かることは稀であろう。少なくとも、これほどの乳を隼人は生まれてこのかた一度も見たことはない。あ、アカン。これはアカン。なぜか西の方言が頭の中で木霊する。
 詳しい状況は分からないが、隼人が場違いな立場だということは明白であった。
 とりあえず。目を瞑ろうか。隼人はスケベではあっても良し悪しの判断が出来る礼儀あるスケベなのだ。
 大きく息を吸って吐いて――
「ごめん! すぐ出ますんで!」
 むにゅ。
 慌ててその場から離れようと体を捻り起こした隼人の手が、異様に柔らかい何かにめり込んだ。
 ……な、何だこれは。超新素材の床か何かですか? 滅茶苦茶柔らかくて、それでいて張りもある。やばい。この感触すごく気持ちいい。
 隼人の背中の紋章を目にしたが故に周りの女性は唇を震わせる。そして何よりも……あの、あの、あの国民的英雄の一人であるナスターシャが――
 恍惚とした表情の隼人。誰がどう見ても変質者のそれであった。
 恐らく、隼人は気付いているであろう。埋める指先の先に何が存在しているのか。所詮、スケベに礼儀などあるわけもない。雄の持つ本能に抗えるわけもない。
 閉じた瞳が、ダメだと思いつつも怖々しく開いていくと、眠っているのか気を失っているのか定かではないが、隼人の下に見知らぬ女性がいた。ナスターシャであった。濡れた髪は乱れ、頬に張り付き艶めかしく見える。
 心なしかナスターシャの頬はほんのり朱に色付き、ささやかに開いた唇からは微かに熱を帯びた吐息が漏れる。それは隼人が指を動かすたびに繰り返されていた。
「……ぁ……っ……ぁあ……」
 ダメ。ダメダメダメダメダメダメ。と、理性は訴えるが本能はそうさせてはくれない。隼人は大きく唾を飲んだ。あ、圧倒的じゃないか。それは乳に限定したものではない。染み一つない肌は病的に白く、それは決して大袈裟でもなく正に『透き通る肌』。『透き通るような白い肌』ではなく、今隼人の目には紛れもなく、その肌が透き通って見えているのだ。
「――もし? 聞こえますか?」
 隼人の思考にラルファとは明らかに違う、女性の低く澄んだ声が割り込んできた。
「……もし? 聞こえませんか?」
 ナスターシャに魅入ってしまっていた隼人は女性の一度目の問い掛けを無意識に聞き逃すが、二度目の問い掛けでピクリと体を動かせる。
「えあ? だ、誰だ?」
「ああ……やはり、あなたは紋章憑きのようですね。その背中の紋章、私の記憶にないもので少し疑心に思っておりましたが、こうして私の声が聞こえてるということで不安も晴れました。――申し遅れましたが私、そこで気を失っておりますナスターシャ・セレンディーテの憑き神、風のミュアブレンダと申します」
 落ち着き丁寧な物腰を感じさせるミュアブレンダの声に、
「あ、こ、これはどうもご丁寧に。オレは赤時隼人って言います」
 隼人はナスターシャの胸に置いた手はそのままに姿無きミュアブレンダに小さく頭を下げた。
 あまりに堂々と独り言を始めた隼人を目にした四人の女性は、その行動が紋章憑きに特有されるものであると重々と理解しており、隼人の背中の紋章を目にしつつも、まだ半信半疑であった思いも、それにより認めざるを得なかった。
「ところでつかぬ事をお聞きしますが。アカトキさんの憑き神とは? 先程から接触を試みてはいるのですが、一向に反応が返ってこようとはしませんので」
「! そうだラルファだ。……あいつのことすっかり忘れてた。おいラルファ? 聞こえてるんだろラルファ。……ラルファ? ……おいラルファ? ラルファ!」
 周りの女性達が大きく体をビクつかせる程、かなりの声でラルファの名前を連呼するが返事が返ってくることはなかった。
「ラルファ? ガイナが表で紋章憑きとやりあっていると聞きましたが――」
「オレ、ですね」
「流れからいって当然ですね。で、そのラルファとは……もしかしてラルファエンクルスのことを仰っているのでしょうか?」
「そうですよ。そうなんですが……なんか、居なくなってる? みたいで。おーいラルファ~……」
「そうですか。ラルファもようやく、この地に降り立つための紋章憑きを見つけ出すことができたのですね……良かった……本当に良かった」
「……マジで居なくなってるな……う~ん」
 慣れたと言うか、意識の大半を乳よりもラルファの方へ持っていかれた隼人はナスターシャの胸から手を離すと、どうしたものかと頭を掻いた。それを見た侍女の一人が隙有りと思いつつも、怖ず怖ずと自分の体を隼人に晒すのもいとわずに体を屈め、ナスターシャの美しい裸体にシルク生地の布を掛けてあげた。羞恥の表情を作る侍女と目があった隼人は極力見ないように視線を逸らす。相手が嫌がることはしない。流石、紳士なスケベである。
「……いえ、これは居なくなってると言うよりも……アカトキさん、もしかしたら表でガイナにカタストロフィーを使用されたのでは?」
「カタストロフィー? でっかいハンマーのことですよね。もしかしたら何も……おもいっきり腕に喰らいましたよ……んで、ここまでぶっ飛ばされたんですから……くそ」
 攻撃を受けたであろう腕は広く青紫色に変色しており、解すようにさすり揉む。思い出しているのか、聞き取るのが難しいくらいの小さな声でブツブツとガイナに毒突く。
「やはりそうでしたか……いえ、ちょっと待ってください……なら……どうやってアカトキさんはナスターシャの放った一撃を弾いたのでしょうか?」
「そんなことオレに言われましても。え? あのハンマーって何か特殊ってヤツなの?」
「あ、これは申し訳ありませんでした。それでは簡単にご説明させていただきます。ガイナの持つカタストロフィーは攻撃を加える対象である紋章憑きのみならず、思考の奥に存在する憑き神をも対象としているのです。紋章憑きであるアカトキさんはカタストロフィーの一撃を防ぎきれたようですが……なんの予備知識も無いラルファは構える間もなく、その一撃をまともに受けてしまったかと思います。アカトキさんの負ったダメージと違い、精神系統に支障を負わせるといった点で、これにより死んでしまうとまではいかないにしても、それでも意識の混濁欠落が生じ、最低半日近くはラルファの意識は戻ってこないかと……」
「ふぅん……そうなんだ。うん、まあ……それを聞いて少しホッと出来ましたよ。何せ、こんなこと今まで無かったから――もしホントに居なくなってたらオレどうすんのって話ですよ――」
「いえいえ。話はまだ終わっていませんよ」
「え? まだ何かあるんですか?」
「あります。むしろ、私にはこれから話す内容の方が重要ですから」
 ミュアブレンダは、一度コホンと軽く咳払いをすると話を進めた。
「いいですか? 紋章憑きとは、憑き神の意思を受け継ぐことによって、決して人が手にすることが出来ない程の強大な力を手にするのです。つまり、その源である憑き神の意思が届かない状況が出来てしまえば、そこで紋章憑きはただの人へと戻ってしまうのです。ですので、今意識の無いラルファの紋章憑きであるアカトキさんには『竜神』と謳われたラルファの力は一切受け継がれておらず、ただの人の状態なんです」
「……はぁ」
「それなのに、なぜただの人である状態のアカトキさんが紋章憑きであるナスターシャの一撃を、ああもあっさりと弾くことが出来たのですか? 決して自惚れるわけではありませんが、あの一撃を喰らってはガイナでさえただでは済まないのですから。これは一体どういうことなのでしょうか?」
「ど、どういうことと聞かれても……ねえ? オレ何もしてないし? ……ちょっと答えようがないですね……あ」
「何か分かりましたか?」
「いや、分かったというか……多分、乱丸が関係してるんじゃないかな」
「ランマル? それはなんですか?」
「あ、でも、多分の話ですよ? 今思いついたばかりで確証も何もないですから」
「ええ、それで構いません。是非続けてください」
「それじゃあ話しますけど――オレ、ラルファの他に乱丸って名前の竜がいるんです。ラルファ自身が認めてるから言っちゃうけど、ラルファより力のある竜みたいですよ、乱丸」
「……それは本当のことで? 私達……神と呼ばれる者達の、その上をいくモノがいると言うのですか? ……にしては、そのランマルというモノの反応が全く感じられないのですが?」
「あ、ああ……乱丸なら今頃はどっかそこら辺りの空を散歩してると思いますよ」
 ミュアブレンダは我が耳を疑った。まさか具現化しているというのか。
 乱丸と呼ばれるモノがこの世界で与えられている立ち位置は不明だが、少なくとも『神』と謳われる者達を越える存在など、長い歴史と共に生きてきたミュアブレンダでさえ知らない。
『神』である者達が、この地上世界で力を振るうには面倒なことに紋章憑きを立てなければならぬのだ。しかも、それとてやはり完全とは言い難い。何せその『神』の力を扱うのは神自身ではなく紋章憑きなのだ。『神』の意思と紋章憑きの意思が完全に同調することなど、まず無い。そのため、『神』の持つパフォーマンスをフルに発揮することは出来ないのだ。解決するにはもはや意思の融合しかない。つまりは不可能なのだ。
 ――それが、だ。その乱丸とやらは己の持つ力を隼人に与えるだけではなく、自身もがこの世界に存在するという。
 そして。
 ひとまず、乱丸が『神』のカテゴリーに位置するのかどうかの問題は置いておくとして、乱丸の持つ力は『神』をも越えると言う。しかも、その力を量るための対象となった『神』は、生半可な力量の持ち主ではない圧倒的戦闘力を誇るとされた『竜神』なのだ。ミュアブレンダは例えようもない戦慄を覚えた。

『この広大な世界には、神々の数だけ『支配者』となりうる『紋章憑き』が存在する』

 もし、もしもだ、隼人の口にしたことが事実であるとすれば、長き歴史に渡る世界の定説が大きく覆ることになる。イレギュラー――未知の『外来支配者』が存在してしまうことになってしまう。
「ふふ……」
 隼人がこれをどう捉えたか定かではないが、自嘲気味に笑うミュアブレンダであった。
 が、「……そうですね。これは逆に好機と捉えるのも……いいのでは……」何やらボソボソと一人つぶやき始める。
「……都合の良いことにナスターシャも……」
「え?」
「……この国の未来繁栄の礎となることでしょうし……」
「……」話は終わったのか? だとすれば長居するのも悪いと、隼人は腰を上げた。ミュアブレンダとの会話で何とか意識を逸らしてはいたが、今の隼人の置かれている立場は先程から何ら変わらず、とても危ういと言うことだけは忘れてはならない。
「あ……あの……」
 恐る恐ると侍女の一人が声を掛けてきたのだが、当然ポンなわけで隼人は目のやり場に大いに困った。見ないように逸らした先にもポン。男にとっては正に夢の世界、そして正に生き地獄。おあずけを喰らった犬状態。『見て楽しむ』の限度を遙かに超えていた。
 その上に、湯殿に立ち込める甘い香りが曲者で。もう完全な女性空間が出来上がっているのだ。アロマの香りだと想像してもらおうか。
 隼人の暮らしていた現代日本には、アロマの香りを用いた身体と心を落ち着かせるリラクゼーションがある。これまで隼人自身、アロマの香りを嗅ぐ機会は何回かはあったが、それも精々キャンドル一本で鼻腔をささやかに擽る程度のもので、これほどまでに濃密に甘い香りに包まれたことは無かった。四方八方でアロマオイルが焚かれている環境と言おうか。1時間いや三十分と、この湯殿に閉じこもれば間違いなく身体の肉深くにまで香りが染みついてしまうだろう。そして湯殿内はホワワと火照るような温度である。
 それら相乗作用が隼人にもたらすのは『癒し』などではなく『癒(ら)しい』、これまでしたこともない性的興奮であった。
 それでも隼人は頑張った。
 性的欲求に我慢できるのが人であり、我慢できないのが畜生なのだ。
 オレは人だ人だと、ここで襲えば犯罪者、お前は畜生に成り下がるんだぞ。と自分に言い聞かせひたすらに耐える。
 ホント紳士は辛いぜ。オレが紳士だから良いものを……ここにいるのがオレだから良いものを……お、お、お前ら普通だと襲われてるんだからな! と、既に股間はフルバーニングの隼人は心で泣いた。大いに泣いた。号泣。
「みゅ、ミュアブレンダ様は……なんて仰って」
「え? あー……んー……色々? ……それより、なんか色々と悪かったね」
 ポンから逸らす意味でも視線を上へ泳がせて内容を思い返すが、笑って曖昧に返す。
 それを見た侍女達は一様に、アレ? 悪い人なんだよね? と、小さな違和感を覚えた。
 正直、『風の紋章憑き』の衛兵が皆が皆こんな感じでは、衛兵としてどうなんだと思ってしまうのだが。今回はミュアブレンダがワンクッション入ったために、隼人に対しての嫌悪感、恐怖心、敵対心など負のイメージは弱くなっていたという理由も無きにしもあらず。……かと言って国防上に置いてそんな理由がまかり通るわけがないのだが。
「あのさ……ところで、それ、隠せないのかな。ちょっと目のやり場に困る。出来るなら隠して欲しい……いや、どうぞ見てくれって言うのなら喜んで見るけどさ」
 極力意識をしないように頑張っていた侍女達であったが、隼人の一声によって羞恥の感情が再び大津波の如く押し寄せてきた。
 侍女四人は、恐らく湯殿の入り口であろう方向へ、ベタタタタタと水飛沫を上げながら慌てて駆けていく。
「……ぷ、ぷりっぷりやないか」
 張りも形も申し分ない艶やかな四つのお尻を眺めて、大層ご満悦な隼人であったが、やはり物足りぬ隼人であった。
 ところで――
 隼人は視線を床へと落とす。邪魔者? と言う言葉が適切かはこの際どうでもいい。侍女達の存在が消えてる今、隼人は思う存分にナスターシャへと目を向けることが出来た。
 既に身体にシルク生地が掛けられているおかげで、そこへの興味は削がれ、必然的に興味は顔へと向けられるのだが、その美しさは隼人が今まで出会ったどの女性よりも美しく、比べるなんて烏滸がましく、比べられる方は堪ったものではない、てんで勝負にならないと、隼人は呆れ気味に溜め息を吐いた。出会えたことに感謝すると共に、これから隼人が付き合うであろう、まだ見ぬ未来の彼女候補達に対して、ナスターシャと比較してしまうんだろうな、と後悔もした。
 あー、あれだ。こう言うのを“高嶺の花”って言うんだろ? 隼人は卑屈に笑った。
「そうでもありませんよ?」
「え? あ、いたの」
 気の滅入った隼人は、言葉遣いを直すのが億劫になったのか忘れたのか、ついついいつもの口調で返してしまう。
「そうでもないって、何がですか?」
「ナスターシャのことです」
「この人? この人の一体何がそうでもないんですか?」
「あら、私の思い違いなのでしょうか? ナスターシャの顔をジッと見つめていましたから、もしかしたらと思ったのですが」
「いやいやいやいや、確かに見てたけど、そんな気はないですから」
「本当ですか? ただ――顔は、まあ悪くはないですけど、生まれも育ちも低級下層の境遇で素養もあまりよろしくなく、そのため最上貴族であるナスターシャに強い引け目を感じ、自分の今のズタボロに汚く見窄らしい格好とを見比べると、とてもとてもナスターシャと自分は釣り合いが取れるわけもない。ああ……この胸に芽生えたナスターシャへの思いはこのまま、整地もされず荒れ果てた雑草生い茂る土に、腐りかけた丸太を一本ドスンと刺しただけの墓の下へ持っていこう――とアカトキさんは泣く泣く引いているのでは?」
「……あんた、それはいささか言い過ぎだと思いますぞ」
 凹む隼人をよそに、ミュアブレンダは話を続ける。
「出来ますよ。あなたのものに」
「出来るって、何が?」
「ナスターシャをあなたのものにすることが出来ます」
「……は?」
「まどろっこしい説明も何ですから……では、とりあえずですが――ナスターシャと口吻を交わしてください」
「……は?」
 何が? 何が『とりあえず』なの? キス? キスってとりあえずでしていいものなのか? 普通にキスは嬉しい。が、唐突に言われて何の不審も抱かないというのも無理がある話だ。突飛な良い話には何かしら裏があるもの。赤時隼人、なかなか侮れないスケベなのかもしれない。しかし股間はフルバーニング。
「は? ではありません。したくないんですか? このナスターシャとキス、したくないのですか? ナスターシャを自分のものにしたくはないのですか? 絶世ですよ? そんなナスターシャを、アカトキさんはものに出来るチャンスを今得ているのですよ? 何を躊躇する必要などあるのですか?」
「躊躇なんてしてないし! 直ぐにでも出来るし! ――ただ意味が分からないんですって、なんでいきなりキスになるんですか」
「だから『とりあえず』と言っているでしょう。とりあえず、キスをしてナスターシャを目覚めさせてくれないと話が進まないのです」
 少し苛つくミュアブレンダは、『とりあえず』嘘を吐いた。
「……もっと意味が分からなくなった気がするんですが」
 キスで目覚める? 童話の世界じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい。そんなファンタジーみたいな話あるか――と口にしようと思った時、一言のフレーズが頭を過ぎった。
 ……そういや、ここってファンタジーじゃね?
 そう思うと、後はもの凄いスピードで自分に都合の良い方へ良い方へと考えを進めていった。
 某人気宮○駿作品ラ○ュタ主演パ○ーよろしく、
『ファンタジーは本当にあったんだ!』
 今は亡き某映画評論家水○晴○の名ゼリフよろしく、
『ファンタジーってほんっと良いですね!』
 たとえミュアブレンダの言ったことが嘘にしても、オレ悪くないでしょ? ちゃんとした口実出来てるし。
 たとえ裏が存在しようも、やらずに後悔よりも、やって後悔したいじゃないか。
 やらなくて失敗したことは何も得るものがない。敢えて得るものが有るとすれば、行動を起こさない起こせない――意気地のない心くらいなものか。見方によっては慎重だとも捉えられるのだが。
 オレはそんなつまらぬ人生歩みたくない。歩みとぉないぞ! お前の座右の銘はなんだ? 言ってみろ。死なばもろとも猪突猛進、だろ? なら……行くしかないよな。やるしかないよな? やるさ。ああ、やってやるとも! 自問自答を繰り返す隼人は覚悟を決めた。
「……ホントにしちゃっていいんですか?」
 隼人は唾を飲んだ。
「問題有りません。これは『人助け』なのですから」
 そうだ。だよな! 人助けだ。要は人命救助。これはキスじゃないんだよ、分かるか? 人工呼吸なのだよ。マウス! トゥ! マウス! なのだよ! ――と、まあ、キスに必死な隼人であった。
 マウス! トゥ! マウス!
 隼人はしゃがみ、両の膝を付くと、もう一度二度と唾を飲み込んだ。
 いよいよキスかと思われたとき、ある問題が隼人を悩ませた。
 この姿勢のままでキスするのも、何か間抜けっぽくないか? もうちょっと、こう……ロマンチックさが欲しいな。と、直ぐに隼人は動く。
 隼人は身を屈めると、ナスターシャの背中、膝裏へ手を差し入れ、そーっとナスターシャの身体を持ち上げ、そのまま床へ腰を下ろした。座った状態でのお姫様抱っこというか、それにほぼ近い体勢を作った隼人は、よしよしと達成感充実に満足げな表情を浮かべた。
 腕に掛かるナスターシャの重みが、生肌の感触が、現実を実感させる。
 隼人の腕に抱かれるナスターシャ。
 意識なく、俯くナスターシャ。隼人はその顎に左手を添えると上を向かせた。
 自然に下ろした瞼はまるで隼人からの口吻を待っているようにも見えた。
 極上のシチュエーションに隼人は酔い飲み込まれる。
 止まらない……止められない……。
 隼人は吸い寄せられる……ナスターシャに……。
 唇に……。
 ……その唇に隼人は唇を重ねた……。
 湯殿用の白いローブを纏って戻ってきた侍女達は絶句した。
『三神』が一人。風のナスターシャ・セレンディーテが、その美しき裸体を異性に抱かれ、何と言うことか、唇を奪われているではないか。しかも相手が全くの見ず知らずである隼人という。あまりの急展開に思考が滅茶苦茶になる。
 ナスターシャの背中へ回した腕に力がこもる。
 唇の感触を探るような、そんな優しいキスから始まった。
 閉じた唇がささやかに開き、寝息が隼人の口腔へと移される。
 もの凄く甘美な味がした。ような気がした。
 隼人は唇を僅かにずらし、ナスターシャの下唇を啄むように甘噛む。
 唇を離すと、鼻先触れる距離のままに、眠り続けるナスターシャを見つめ、また唇を塞いだ。今度は強く押し付ける。
 隼人の舌が――ナスターシャの唇を強引に割って開き、差し込まれる。
 進入して直ぐにナスターシャの舌に触れる。少し長めの隼人の舌がナスターシャの舌を絡め取る。ナスターシャの舌に刻まれた紋章が、何とも言えない独特で気持ちの良い感触を与える。
「……っん」
 ナスターシャの瞼が震え、喉がコクリと鳴る。
 別の所からも唾を飲み込む音が聞こえた。ミュアブレンダだ。
「……こ、これは……口……吻?」
 言葉に詰まるミュアブレンダは、また唾を飲んだ。
 私は――そう、確かに口吻をするように促しはした。それは認めよう。そして望んだとおりに互いの唇は重なり合ったわけだが……これは口吻と呼べるのか? 舌が、舌が入っているではないか。え? もしかしてナスターシャの口の中で舌と舌が触れ合っているというの? ポツリと艶混じった声で呟く「……すごぃ……」
 唇の隙間から見える、艶めかしく動く舌の動きに魅入ってしまったミュアブレンダは何度も、コクリ、コクリと喉を鳴らす。心の音が異常なまでに膨れあがるまで興奮していた。
 ――そしてこちらも。
「……や、やだ。な、なにか……このキス……」
「……うん、すごくエッチ……かも」
 侍女達はオロオロと狼狽しながらも顔は紅潮し、視線は『婚儀』とも呼ばれる神聖なキスシーンに釘付けになっていた。ここに居る侍女達全て、キスをしたことは疎か、見たこともないのである。初めて目にしたキスが、コレである。想像していたキスは……もっと、こう……お互いが恥ずかしい気持ちになって、それでいて幸せを感じて……愛に包まれるというか……ロマンチックな雰囲気? を醸し出す――それが侍女達が抱いていた、神聖な儀である――夢のキス。
 それがどうだ。今、目の当たりにするキスの卑猥さと激しさは。侍女達は度肝を抜かれたといっても過言ではないくらいの衝撃を受けていた。
 実際、隼人の行っていたキスは少しばかり度が過ぎるというか、ファーストキスにはあまり似付かわしくないキスであることは否定しない。一種の愛情表現であるキスとは違い、性行為を連想させてしまう――ディープなキスに近いものがあった。まだ完全なディープにならないのは、ただ一方的にナスターシャの唇を求めた隼人が、一人勝手にナスターシャの唇を蹂躙しているからだ。互いの気持ちが高揚し互いに合い求め合うとき、よりディープなキスに近づく。それでも、この、隼人にとってまだまだ普通のキスが、ウブすぎる侍女達に与えたインパクトは計り知れないものがあった。
 もし、もしも、この隼人のキスを見て好意的に感じてくれていたとすれば、この先いつになるのかは分からないが、侍女達のファーストキスがもしかしたら、物足りないキスの味になってしまうのかも……しれない。
 それだけ、この国リーンハルスのペガサス隊のみならず、国民が持つキスというもののイメージは神聖なものであるのだ。
「こ、これって……キ……スなんだよね? 何か……いけないことしてるみたい」
「う、うん……で、でも……」
「うん……」
「……なんか、いいかも」
「……素敵。ガイナ様も……このような激しいキスをなさるのかしら」
 ナスターシャの右腕を洗っていた侍女は知らず知らずの内に、指が唇をなぞっていた。 その声に同調するかのように他の三人の顔の赤みも一層濃くなった。
 どうやら隼人が見せるキスは好感を持たれたようだ。
 ガイナ様と……。ガイナ様と……。ガイナ様と……。ガイナ様と……。
 隼人をガイナに、ナスターシャを自分へと置き換えてウットリとする侍女達であった。
 当然それにより、困る人物が一人いた――
 外で、隼人が出てくるのをまだかまだかと耐えて待つガイナ。
 「うぇ……ぇえ……ぅぶえっくしょん!」
 豪快のクシャミをかましたガイナに悪寒が走るが、別段気に留めることもなく「風邪か?」の一言で済ませたのであった。

 もう少し見ていたい。後ろ髪を引かれる思いだがそうも言っていられない。
 ミュアブレンダは目的である『婚姻の儀』の完遂を成し遂げるために次なる一手に入る。
 ――さあ、目覚めましょうか――
 ミュアブレンダはナスターシャの脳に、痛みと錯覚させた特殊な刺激を与える。普段ではあまり使われることのない、戦場で意識を失った主の意識を――危険から回避させるために――咄嗟に戻すための方法だ。微々たる刺激ではあったがそれでもナスターシャの意識を呼び覚ますには十分な刺激であった。
「ぅ……んん……」
 晴れる意識。ナスターシャは重く閉じた瞼をゆっくりと開いていく。
 まだ寝ぼける意識より先に、ぼやける視界が徐々に照準を戻していく。
 その先には、ナスターシャの前には見知らぬ男の顔がいっぱいに映っていた。
「……え? えぁ……ぁんぐっ! ……んん!」
 一瞬わけが分からず混乱するナスターシャは声を上げた。つもりだったのだが、上手く言葉を発することが出来ない。口が何かによって塞がれていた。『何か』とはなんだ?
『何か』とは……この目の前の男……か? 男の『何』が私の口を塞ぐのか。
 ナスターシャの身体が反応を返したことに気付いた隼人は、閉じていた目を開いた。
 この時初めて二人の視線が混じり合った。隼人の目が弧状になる。微笑んでいた。
 なんだ、その目は。ナスターシャはその目を嫌って勢いよく顔を背けた。重なり合っていた唇も離れる。
 顔を背けたナスターシャがキッと隼人を睨んだ。……が。
「……逃がさねぇよ」
「――んんんっ」
 隼人に顎を掴まれたナスターシャは強引に前を向かされ、また唇を塞がれてしまった。
 力一杯暴れた。しかし、自分が思っているほどにナスターシャの身体は拒否反応を示していなかった。隼人の放った「逃がさねぇよ」の一言に、ナスターシャは射抜かれていた。
「逃がさねぇよ」のフレーズが何度も頭の中で繰り返される。
 逃がさない? ……どういうことだ? この男は……私を、『逃がさない』と言っているのか? ……もしかしてこの男は私を奪いに来たと言うのか? だから、私の唇を奪ったのか? 『掟』を利用してまで……この男は私を欲しているのか?
 ナスターシャの胸が生まれて初めてキュンと高鳴った。今まで感じたことのない感情が膨れあがってくる。
 ――また私の前に映る男が微笑んだ。今度はなぜか逸らそうとは思わなかった――
 生まれて初めて、異性に屈服させられていた。そう、それは色々と滅茶苦茶な順序ではあるが、ナスターシャは恋に落ちてしまっていた。
 理解は一瞬。そして驚愕に恐怖に興奮。
 私は何に驚愕した? 目の前の男に?
 私は何に恐怖した? 目の前の男に?
 私は何に興奮した? 目の前の男に?
 私はなぜ興奮する? それは怒りで? 違う?
 じゃあ、なに? 分からない? 違う? 分かる? けど……認めたくない?
 ……こんなにも容易く心を奪われているなどと……認めたくはない。
 ……だ、誰だ。この男は一体何者なのだ。至近距離なんてものではない。男の顔がまざまざと目に焼き付いてくる。とてもじゃないが耐えられそうにない。……なぜ私なのだ……。ナスターシャは堪らず視線を逸らした。顎に添えられていた隼人の手は、いつの間にかナスターシャの手を、指を絡ませるように握っていた。
 悪くない。むしろ好感触な反応に、
 うほうほっ、うほほほほっ。これってもしかしてイイ感じじゃないの? オレ、もしかしてイケてる? ラルファにミリーナに、そして今。何気に確率変動来てる? 今年キター? オレの年キター? キチャッタノー!? 心ハピネス踊りまくりの隼人だった。

 ……は?
 ナスターシャの思考が停止する。
 ナスターシャの視界の先、捉えたのは侍女達の姿だった。
 爛々と目を光らせる侍女達。嬉々としてがっつりと魅入っている様子の侍女達。
 見……て……る……の……か? ……え? ……は? ……え? 見られて……るのか? と、言うか……なぜお前達はそんなにも嬉しそうな顔をしているのだ?
 ナスターシャはあまりの非現実的な状況に頭がどうにかなってしまいそうだった。
 こんな姿見られたくない。……頼む。お願いだから見ないでくれ。
 少し泣いているようにも見える。悲痛な眼差しで侍女達に訴えるナスターシャであったが、しかしそれは全くの逆効果。初めて見せるナスターシャの苦悶する表情は、扇情的なワンシーンに新たな刺激を加えるスパイスにしかならなかった。
 ナスターシャの痴態を心底嬉しそうに観賞する侍女達に、貴様達……仕事はどうした。貴様達の『仕事』はなんだ? と、沸々と怒りが湧いたナスターシャであった。
 そして理不尽に、侍女達に向けた怒りが隼人にも飛び火する。
 ナスターシャは視線を侍女から隼人へと戻した。
 なぜ、今なのだ?
 別に今でしかならない、この場所でしかならない理由などないだろう? 状況が変わってもお前のキスを受け入れる。とは流石に言い切れぬが、だからと言って……チャンスは今しかないとお前は思ったかもしれんが、もう少し私の気持ちと立場というものを考えて欲しかったな。
 矢先。ナスターシャの目がパチクリした。ムンズと心臓を鷲掴みされた――そんな例えがピッタリなくらいに驚いた。咄嗟に唇を離したナスターシャは驚きの表情を見せたまま唇を拭い、今まで以上に強く隼人を睨み返した。こればかりは嫌悪感が大きく勝っていた。
 隼人はやっちゃった感ありありに、苦笑いを浮かべた。
「き、貴様……い、い、いいいいい今、わ、わわわわ私の、くくくくち、くち、くち、口に、な、なななな何を入れようとした!」
「……し、舌?」
 次の瞬間、身を捻って繰り出した右拳が隼人の鳩尾に突き刺さった。肩を震わせたナスターシャが立ち上がる。ハラリと身体を覆い隠していたシルク生地が床に落ち、隼人に裸体を晒すが気にも留めず。それほど、自分でも何がなんだか理解できないままに、条件反射的に出た一撃だった。いきなりの強奪キスはナスターシャ自身も良い気持ちになった感もあり、辛うじて? 許せていたが、ディープキスの無い世界で隼人の取った行動は、完璧にあだとなった。調子に乗りすぎた。
 顔のみならず、身体全体を怒りと恥ずかしさ、そして若干のテレで紅く染め上げたナスターシャが仁王立ちで隼人を睨み付ける。
「げほっ……けほ……ち、ちょっと、待て! ち、ちちち違う! 違うぞ! 違うんだぞ!」座ったまま後退り、勢いよく立ち上がる隼人。
「こ、の……下衆が――っ!」狙ったのか偶然か定かではないが、ナスターシャは聞く耳持たんと言わんばかりに隼人の股間を蹴り上げた。
 か……はっ、と言葉を残した隼人はグリンと白目を剥き、プツリと糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちた。その痛みはガイナから喰らった一撃が可愛く思えるほどの破壊力であった。
 いったい今何が起こったのか。目が点になる侍女達。
 竜の紋章憑き、それはあまりにも早すぎる敗北であった。
「ナスターシャ落ち着いて! 少し落ち着いてください。大丈夫。大丈夫ですから」
 雄のシンボルが破壊されては企みもご破算となってしまう。静観して事を見守っていたミュアブレンダが慌てて止めに入った。
「だ、だ、だ、大丈夫だと? こ、こいつは私の口にししし、舌を突っ込もうとしてきたんだぞ! 一体これのどこが大丈夫だというんだ!」
「いえ、だから大丈夫……なんです。えっと……もう既にあなたの口は彼の舌を受け入れています」
「……は?」
「だから、受け入れてます」
「……は? な、何を?」
「あなたが気を失っている間に、そこの彼があなたの口の何から何まで奪ってしまってます。信じられないと言うのなら、ほら、そこに並んで見ている四人の侍女達も証人ですよ? どうぞ聞いてみればよろしいでしょう」
 ナスターシャはミュアブレンダの言葉に倣い、ゆるりゆるりと、ぜんまいの切れかかった人形のように首だけを動かし四人の侍女へと視線を向ける。
「……お、おいお前達。い、今話していたことは本当のことか?」
「え? は、話していたこと……とは?」
 突然何の脈絡も無しに話を振られた侍女達は、困り果てた表情で隣同士顔を見合わせる。
「だ、だから話していたことだ! ミュアブレンダが言っていたことは本当かと聞いているのだ私は!」
 そんな無茶な。紋章憑きでない人間が『神』の声が聞こえるわけが無い。そんな当たり前過ぎる事さえ分からなくなっているナスターシャに侍女達はほとほと困り果てるが、それでも何とか、ナスターシャの気迫に臆しながらも侍女の一人が怯え怯えに問い返した。
「い、いえ、あの……そのミュアブレンダ様は何て仰っていたので? 申し訳ありませんが私たち紋章憑きでない人間が『神』のお声を聞くのは……無理でして。故に、ナスターシャ様がそのように余裕が無いと言いますか……なぜそんなに必死になっておられるのか、私たちには全く見当も付きません」
 同時に三人の侍女達もコクコクコクと何度も頷く。
 至極ごもっともな指摘に、ぐうの音も出ないナスターシャはばつの悪そうな表情を作る。
 ミュアブレンダの言っていたことを侍女達にちょいと説明すれば言いだけの話。たったそれだけのことなのだが、なかなか『それだけ』とは言えないわけで。舌を入れていたというのは本当なのか? と言葉にしたつもりが、ナスターシャの口は意に反して強情に口籠もり、まともな言葉を発することが出来ていない。でも、頑張った。
「……し、舌、舌、舌。し、ししし舌舌舌、し、しし舌をい、いい……いいいい、入れ入れたというのは、ほ、ほ、ほほ、ほほほほほほほ本当のことか?」
 侍女達はぼそぼそと話し合う。文字に書き起こせていれば何ら難しい事ではなかったのだが、あまりにもナスターシャのどもり具合が酷く、正確に聞き取れた自信を侍女みんなが持てなかったのだ。
「……えと、舌……ですか?」侍女の一人がそう言いながら自分の口元を指差す。
「……そ、そうだ」
 また侍女達はぼそぼそと話し合う。
「要するに。ナスターシャ様は――口吻をなさってる時に、このお方が舌を指し入れたかどうかをお聞きしたいのでしょうか?」
「……う、うむ。そうだ。……で? 実際ど、どうなのだ。ミュアブレンダの言っていたことは本当なのか? ……い、入れ……たのか?」
 一旦顔を見合わせた侍女達は、直ぐに顔をナスターシャへ戻すと若干遠慮気味に頷いた。
 そして、出来た侍女達はフォローを加えることもキッチリ忘れない。
「……で、でも! すごく良かったです! もの凄く情熱的で……何て言うか……その……お怒りになるかもしれませんが……正直私はお二人のキスに魅入ってしまいました」
「な、な、何をふざけたことを」
「本当です! 今まで周りから聞いていたキスとはあまりにもかけ離れたキスでしたから、最初は驚いてしまいましたが……あぁ、この人はこんなにも強く強くナスターシャ様を想っているのか……と感じてしまう程、愛を表現出来た素晴らしい口吻でした」
 ディープキスに対して、自分が感じていたのとは真逆である絶賛の反応を見せる侍女達に驚きつつも、それがまるで自分が褒められているようで悪い気がしなかった。
「な、何を馬鹿なことを……そ、そもそも、私はこの男ことなど微塵も知らぬのというのに……」
「それは……これから知っていけばよろしいのでは?」
「これから、だと? それは一体どういう意味で言っている?」
「え? 意味もなにも……」
 またまた侍女達は顔を見合わせる。
「口吻なされましたよね?」
「……あ、ああ。確かに……してしまっていたな。し、しかしこれはだな」
「いいえ。例えナスターシャでも例外を作ることは許されません!」
「いや、ち、ちょっと持たないか。少し冷静にだな」
「待ちませんし落ち着いてます。私達隊の掟は絶対です! 結婚です!」
「くっ! みゅ、ミュアブレンダ! 私はどうすれば――」
「諦めましょう」
「お、お前までもかぁぁ!」
 追い詰められたナスターシャは伸びた隼人へと視線を向ける。
 こ、こいつのせいで……。ナスターシャは大きくため息を吐き目を閉じる。葛藤が生じていた。
 ほんの数十秒で、ナスターシャは閉じた目を開くと隼人を一瞥し嘆息を吐いた。
 ナスターシャは落ちたシルク生地を拾い上げ身体に巻きつける。
「……情熱的……か」
「え?」
「い、いや、こっちのことだ。気にするな。さてそれでは――」
 中指と親指で作った輪――要はデコピンのようなもの。で宙を弾く。すると何処からとも無く風が生まれ、その風は隼人の身体に纏わりつくと容易に隼人の身体を浮かび上がらせた。
「そのお方、一体どうなさるので?」
「ん? どうするも何も、見たところ結構な傷を負っているからな。とりあえずは手当をしてやらないとならんだろ?」
「……多分、最後のナスターシャ様の一撃が一番ダメージあると思うのですが」
「何か言ったか?」
「い、いえ! 何も! ……そ、それで? 掟について、は?」
「……し、仕方あるまい。私もこの年でまだ死にたくはないしな……」
「それでは!」
「……それではも何も拒否権が無いんだぞ……す、するしかないだろ――ほ、ほらほら! この話は一旦ここで仕舞いだ。出るぞ!」
 侍女達との会話を一方的に打ち切ったナスターシャは浮いた隼人を連れ湯殿の入り口へと向かう。その後ろを嬉しそうな顔をした侍女達が慌ててついて行った。

「――おいおい。えれぇとんでもないことに巻き込まれやがったな」
 事の次第を大雑把にではあるが教えられたガイナはどのような反応を返してやればいいのか悩む。ガイナだけではなく、グールバロンも。特にグールバロンは色恋の類の話が苦手なため、我関せずを決め込むことを決めた。無言無言と。
「やっちまった……やられちまったのは事実だとして。お前、どうすんだ? マジで結婚する気なのか?」
「ああ。こればかりはどうしようもない。隊の将である私が掟を軽んじることは到底許されたことではないのでな」
「なんともやっかいな掟なこった。……だけどよ?」
「ん? なんだ?」
「なんであの野郎はお前の唇を奪うようなことをしやがったんだ? この国の人間じゃねぇ余所もんだぞあの野郎。そう考えるとよ、恐らくお前んとこの掟なんてもの知らねぇんじゃねーのか?」
「……そ、そう言えば……そうだな……んんん?」
 ナスターシャは今気付いた。口吻が婚姻の儀というお堅い『掟』があるのはこの国、しかもナスターシャ率いる隊内部だけにということに。ナスターシャが教えられて持つ口吻の概念を隼人にも適用させていたのだ。それ故に、隼人がナスターシャの唇を奪ったことに対して、ナスターシャは『私を奪いに来た』とか『それほど私のことが』とか『私が欲しいのか』というような、早とちった何ともお花畑チックなことしか頭に無かったのだが、実際は隼人の持つキスの概念とナスターシャの持つ口吻の概念はとんでもなく違うのだ。そう思うとナスターシャはものすごく不安になってきた。
「彼には真意も何もありませんよ? 奪うようにけしかけたのは私なのですから」
 突然意外なことを口にしたミュアブレンダが二人の会話に加わってきた。
「ミュアブレンダが? それはどういう事だ?」
 真相を告げるミュアブレンダ。淡々と言い淀むことなく説明を続けるミュアブレンダとは逆に、ナスターシャは真相を聞かされるにつれ顔色がどんどんと淀んでいった。え? あ? は? やはりあの口吻には深い意味はなかったってことなのか?
「あぁ~……こりゃ流石になんて言ったらいいのか分かんねーわ。国のためによかれと思ってやったことだとは思うけどよ。お前、これじゃあナスターシャ同様に野郎も被害者じゃねーか。あの野郎は掟のこと知らねーんだしよ。……これがもし、掟のことを知っていたとすれば、けしかけられたとしても野郎はしなかったんじゃねーか?」
「それについては否定はしません。なにせ、そうなってしまう恐れがあるから私も彼には掟のことは話さなかったのですから」
 それを聞いたガイナは芝居がかったように大袈裟に身体を振るわせた。
「おぉ……怖いこったで。ま、こればかりは俺がどうこう言える問題じゃねーからよ。お前ら当事者同士でジックリ話し合ってくれよ。……そんじゃそろそろ出るとしようかね。長居し過ぎたせいで鼻の調子がどうもな……」
 そう言い残したガイナは、気落ちするナスターシャを置いて湯殿の壁にポッカリ開いた開口部へと歩いていく。そんなガイナを、侍女達は少し冷たくないかな。と思いながら見ていた。が、途中何かを思ったのかガイナは踵を返し戻って来た。
「……どうした。まだ何かあるのか?」
 ガイナはナスターシャへ身体を近づけると肩にポンと手を置き、顔を耳元へと寄せる。
 なんだなんだと怪訝そうな顔をしたナスターシャに、ガイナは小さな声で話しかける。小さいといっても注意して聞く耳を立てれば周りの侍女達にも聞こえるくらいの声の大きさなのだが。
「……何だかんだあるけど。お前、それほど野郎のこと嫌じゃねぇだろ?」
「なっ!」
 図星か。とガイナはニヤリと笑う。ちゃっかりしっかり聞く耳を立てていた侍女達も二つの意味で顔を綻ばせる。
「野郎の話をしてる時のお前の顔。お前自身気付いてねぇだろうが、珍しく女の顔してたぜ?」
「う、嘘!」そう言ってナスターシャは赤くなった頬に両手をあてた。
 すぐにナスターシャはしまったと後悔した。
 ガイナはナスターシャの肩をポンポンと叩く。
「そう言うこった。あんまり深く考えんなよ。結婚結婚で頭ん中いっぱいだろうと思うけどな、別に今すぐにしろってわけじゃないだろうよ? お前、今までしたことないだろ? 恋愛。だからよ、今回のこれを機にまずは恋愛ってもんを経験してみたらどうよ?」
「……が、ガイナ」
 ガイナの言葉に少し胸を打たれたナスターシャであったが。じきに、ん? と、なんか釈然としないモヤッとした気持ちになった。そもそも恋愛に奥手なのはガイナも同様。親切心からくる助言だとは重々承知するのだが、言っちゃ悪いが筋肉バカのガイナ如きに諭されるのは負けのような気がした。
「――俺が言いたいのはそれだけだ。ま、後はさっきも言ったように、これはお前らの問題だからな。結局肝心なところはお前が決めねぇとな」
 そう言ってガイナは背を向けると「じゃあな」と手をヒラヒラさせた。
 何も言えないままにガイナの背を見ていたナスターシャだが、忘れていたことをふと思い出す。
「ガイナ!」ナスターシャは急いでガイナを呼び止める。
「ああ?」振り返るガイナ。
 立ち止まったガイナのもとへナスターシャの方から歩み寄って行く。その際、
「シャンテ、カイ、チェリア、フォンティール、ついてこい。実行させてやる」
 ナスターシャは一緒に付いて来るよう侍女達を促した。
 黒髪ロングのシャンティ。薄青い色をしたショートヘアのカイ。若干赤みの強い茶髪ロングを、普段は頭の高い位置で結んでいるテイルヘアのチェリア。ほんのりと紫色が混ざった感のする茶髪セミロングを普段は内跳ねて整えてるフォンティール。四人の侍女は突然名前を呼ばれたことに驚きつつ急いでナスターシャの後ろをついて行く。実行と聞いて思い当たるのは一つしかない。もう胸は大変なことになってる。
 ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ。
「なんだぁ? ぞろぞろと引き連れて……一体何用だ? ……つか、お前ら顔真っ赤だぞ。のぼせてんじゃねーのか? ……だ、大丈夫か?」
「ん? ああ、こいつらのことは大丈夫だから気にするな。それよりだ。お前さっき私に恋愛を経験してみたらどうか。とか言ってくれたな?」
「ああ、言ったが。それがどうかしたか?」
「そう言うお前はどうなのだ? 恋愛というものを経験したことはあるのか?」
「は? 俺? なーに言ってんだ。んなもんあるわけねぇだろが。第一、俺はそんな面倒くせぇもん端から興味ねぇんだよ」
「そうか」
「んだよ、話ってそれだけか? んじゃもういいな……たくっ」
 ガイナはブツクサと聞こえない声で文句を垂れながら背を向ける。湯殿に籠もる、ガイナにとっては悪臭とも言えるクソ甘ったるい匂いに相当参っていた。この時ばかりは今まで意識したことのない呼吸がやけにウザく感じた。
 ナスターシャは侍女達に少し下がるよう左手で促す。黙って素直に従う侍女達。
「――良い機会だ。お前も私と同じように恋愛を経験、いや、結婚してみてはどうだ」
「は? 何言ってや――あぁん?」
 ガイナが振り向くと眼前に飛び込んでくる何か。ナスターシャのかざした左手がガイナの視界を遮っていた。「……何やってんだよ」払いのけるガイナ。視界が広がる刹那、ナスターシャの右手が青白く鈍く光っているのを捉えた。
 次の瞬間。ナスターシャはその場で回転し、遠心力を加えた風属性掌底をガイナの腹へ見舞った。完全に虚をつかれたガイナは為す術無く勢いよく壁面まで弾き飛ばされた。受け身もままならず乾いた呻き声と共に呼吸が一瞬止まる。
 い、いきなり何を? 絶句する侍女達。ドキドキがハラハラに変わる。しかしまだ終わってはいない。
「乱心したか! ナスターシャ!」
「――ユエン ディラ キ マイラ――」
 グールバロンの問い掛けを無視したナスターシャは独特な発音で、短い詠唱を終えると同時に右手、手の甲から肘にかけて五つの小魔法陣が浮かび上がる。
 一気にガイナとの距離を詰めるナスターシャ。
「やめぬかナスターシャ! ミュアブレンダ! そなたもなぜ黙って見ているのだ!」
 私、無関係ですから。と一言残したミュアブレンダは意思の繋がりを自己遮断した。
「て……てめぇ、それ……正気か?」壁に背を預けるガイナはナスターシャの右手の魔法陣を見るや否や、我が目を疑った。意図が全く掴めない。痛みで歪んだ目はナスターシャを睨む。
 浮かび上がる魔法陣。それは、風杭弾陣――通称バレットアンカーであった。
「私は至って正気だ。悪いが少しの間大人しくしていてくれ」
 魔法陣の浮かんだ右手を突き出す。
「くっ……誰が!」
 無論、ハイそうですかと従うわけもないガイナはその場から跳び離れる。が、明らかに動きが鈍い。
「無駄な足掻きを……」
 一度の瞬きを終える。たったそれだけだが、もうその時にはガイナの右肩を無色透明、見えない杭がガイナを貫き、ガイナもろとも壁に撃ち込まれていた。しかし実際には貫いてはおらず、感じる痛みが『貫いた』と錯覚させているのだ。浮かび上がる五つの魔法陣の内の一つが弾けて消える。それが引き金で残りの弾頭が次々と放たれガイナに撃ち込まれる。
 向かってくる閃弾にガイナは舌打ちし、そして抗うことを諦めた。
 バスン。とけたたましく鳴り響く弾音の連続に侍女達は身を縮こまらせ目を背けることしか出来ない。
 魔法によって生み出された。見えない杭によって壁に貼り付けられるガイナ。ナスターシャの右腕からは全ての魔法陣は消え去り、代わりにガイナの右肩、左肩、右脇腹、両太股と、撃ち込まれた五つの箇所と背後の壁、同じく五カ所に魔法陣が浮かび上がりガイナの動きを抑圧する。撃ち込まれたことに苦悶の表情を浮かべるガイナであったが、『男』ガイナは激痛に小さく掠れた声を上げるに止め、何が何でも絶叫だけはしなかった。
 このバレットアンカー――効力を発揮している間は対象者に激痛を与えるが、効力が消えると今までの痛みが嘘のように消え去る――と言うように最終的には『痛み』も『錯覚』にされてしまう。純粋に攻撃を目的とした魔法ではない。のだが、今はまだ『錯覚』ではなくリアルな激痛がガイナを襲っていた。詠唱者であるナスターシャにはガイナが受ける激痛がどれほどのものかよく分かる。故にガイナの持つ精神力に胆力……ガイナのタフさにナスターシャは心底呆れるばかりであった。
「……おい……これは一体どういうことだ」
 ナスターシャの突然の暴走。青くなったガイナの頬をイヤな汗が止めどなく伝い落ちる。
 湯殿に険悪な空気が漂うが、その状況を作り上げた張本人であるナスターシャはさして気にする様子もなく、ガイナの前に立つ。すぐ後ろに付いて立つ侍女達は心底申し訳ない気持ちで溢れ、出来ることなら今すぐこの場から逃げ出したかった。
「どういうことも何も、だからさっき言っただろう? 少し大人しくしていてくれと」
「ああ? それがどうしてこの仕打ちになる?」
「アンカーのことか? なに、お前が素直に聞き入れてくれるとは思えなかったのでな。ちょっとばかり強引なやり方を取らせてもらった。」
「聞き入れない。だと? ってことは、俺が到底納得できそうにない話ってことか?」
 ガイナは、会話をしつつ身体に力を込めていた。長兄的存在であるアルベセウスと違い、ガイナとナスターシャの実力は拮抗している。如何にナスターシャの唱える魔法の一つ一つが強力とは言え、ガイナが為す術を無くすほどまでとは言えず。今、効力を発揮しガイナを抑圧するバレットアンカーも、何とかしようと思えばガイナならどうにか出来るのだ。
「やめておけ。無駄に被弾を増やすことになるだけだ」
 ガイナはそれを聞いてあっさりと力を緩めた。ナスターシャがその気になれば、バレットアンカーの弾数を今の五発から倍の倍の倍の倍の倍くらいまで増やすことが出来る。延々と続くイタチごっこに付き合うのはゴメンだ。ガイナは素直に、バレットアンカーの効力が切れるのを待つことにした。
「賢明な判断だ。私も人を痛めつけるのは性に合わん。たとえそれがガイナであったとしてもな」
「……よく言うぜ。ちっ……それで? 俺をこんな目に遭わせてんだ、相応の目的がお前にはあんだろ? ……さっき結婚がどうたら言ってたが……なぁんか悪い予感しかしねぇんだがな……まあいい。とりあえず聞くだけ聞いてやるからさっさと言え。こっちはいい加減こっから離れてぇんだよ……いてぇし」
「なんだ、まだ分からんのか。本当にお前はつくづく鈍い男だな。さっき言っただろう? 『結婚』してみてはどうか、と。ほら、それに対してのお前の答えは?」
「んなもんするわけねぇだろ」
「だろ? お前のことだ。そう言うと思ったから、私は前もってアンカーをお前に使ったんだ。動きを封じさえすれば後は好きに出来るからな。と、言う事で……お前ら出番だ」
 前に出るよう促された四人の侍女達であったが、一歩、たった一歩足を踏み出すのを躊躇してしまう。先程までの高揚にも似た意気は消沈し、逆に萎縮してしまっていた。それでも、将であるナスターシャの言葉を無視する事は決して許される筈もないと分かっている侍女達は勇気を出して前に出るしかなかった。
「は? ……ち、ち、ちょっと待て。い、一体どういうことだ? この四人は?」
 ナスターシャの横一列に並んだ侍女を残して、今度はナスターシャがガイナのすぐ横に移動する。
「右から――カイ、シャンテ、チェリア、フォンティールだ。どうだ、悪くないだろう? お前の結婚相手だ。喜べ、しかも見てのとおり一気に四人だ。俗に言うハーレムというやつか? うむ、けしからんな。実にけしからんな」そう言ってナスターシャは腕を組む。
 無言になったガイナが横のナスターシャに視線を向ける。同じくナスターシャも視線だけをガイナに向けた。二人の間に何とも言い表すのに難しい空虚な雰囲気が漂う。勿論四人の侍女達も気まずい。『出来る』に超した事はないが、なにより望む最上な結果なのだが、何も、別に今する必要性が感じられない。ムードもへちまもない。場の雰囲気は最低最悪。ただ一人、全く意に介した素振りを見せぬナスターシャを除いて。
「……誰と誰が結婚するって?」
「だから、お前と、この目の前にいる四人だ」
 ガイナは視線をカイ、シャンテ、チェリア、フォンティールと順に向ける。それぞれがガイナと視線が重なると恐縮そうに小さく頭を下げた。最後、視線を戻したガイナは小さく溜め息を吐いた。
「……何言ってんだか。そんなの認めるわけねぇだろが」
「お前が認めなくても、既成事実さえ作ってしまえばお前の意思なんて関係なくなるだろ?」
「既成……事実、だと? ……………………っ! い、いやいやいやいや! それは無理っ! ダメっ! 絶対無理! 却下! 却下却下却下! 出来るわけねぇだろうが!」
「うるさいやつだな。だからお前には選択の余地は無いと言っているだろう」
「――ナスターシャ。さっきから黙って聞いておれば……お主少しばかり横暴が過ぎるぞ」
「そ、そうだそうだ。グールバロンお前からもこのバカにガツンと言ってやってくれ」
「うむ。任せておけ! ナスターシャ、そもそもだな、最近の――」
 へっ。何とも頼りになるヤツだぜ。ガイナはグールバロンの存在がとてもとても頼もしく思えた。断言してやる。コイツは俺の生涯相棒だ。
「グールバロン。あなたは全くの無関係なんだから少し黙っていてもらおうか。それでもまだ口を挟むというのであれば……あなたにもアンカーを使わせてもらうことになるが?」
 応答がない。どうやらグールバロンは脅しに屈して意思の繋がりを遮断したようだ。
「……つ、使えねぇ……」
 即座に前言を撤回したガイナであった。
「――さぁて。耳障りな邪魔者もいなくなってくれたことだ、サッサと事を済ませるとしようか。なあ? ガイナ」
 ガイナは首を振る。この世に生を受けて二〇年。一世一代の窮地に陥るガイナ、少し動いてもかなりの激痛が身体を走るが、気にして庇う余裕もない。
「無理だっつってんだろーがぁ!」
 ナスターシャは跳び退く。釣られて侍女達も慌てて跳び退いた。
 叫ぶガイナの闘気が爆発的に膨れ上がる。大量の闘気を噴き出すガイナ。その闘気の流れをアンカーでは押さえ込むことが出来ず、シルエット見えぬアンカーは割れ散ったような鋭い音だけを残して消失した。
「――ユエン ディラ キ マイラ――」ナスターシャはすぐに新たな杭弾を補填する。右腕を蜷局を巻くように、バレットアンカー七十五発分の小魔法陣が浮かび上がる。
「ナスターシャ。てめぇ……ちょっとばかり調子に乗りすぎだ」
 ガイナは首をコキリと鳴らすと右手を、掌がガイナの方に向いた状態で前に出した。
「――ヴァンディエン リッヒ リン カークス――」そう呟く。
 今は亡き巨人の一人。かつてグールバロンに戦い挑み敗れ去った者の名前を呼んだ。掌に頭大の光玉が現れると、瞬く間に掌を包み込み、そして光玉は消えた。その手には一枚の奇怪な、一つ目オーガをモチーフにした面(オモテ)が握られていた。
 ある程度の抵抗も、頭の片隅にではあるが予想は出来ていたが、まさか。ガイナがこの様な行動に打って出るとは思っても見なかったナスターシャは舌打ちする。
 ランス又はスピアーという武器も持たず。ましてや今のナスターシャは得意とする騎馬上ではない。誰がどう見ても、先程までナスターシャにあった歩がガイナに移ったのが分かった。
 しかし、ガイナも面を手に持っただけで、顔に掛ける素振りを見せない。余裕が伺える表情で、ガイナはナスターシャの『次』に取る行動を牽制していた。
 お互いここまでやる必要ねぇだろ? よく考えろ、と。
 リンカークス。ガイナが唱える事が出来る三つの『召喚魂』の内の一つ。
 召喚魂とは、今は亡き歴戦の猛者の魂を呼び出し我が身に取り入れ同化する事によって、一時的にではあるが肉体構造を人間とは異なる仕組みに変化させ、飛躍的に戦闘能力を向上させることが出来る、魔法のようで魔法でない、ある条件を満たす事によって初めて使用が可能になる特殊術式。
 ガイナは現在『巨人三兄弟』と呼ばれる三つの召喚魂を唱える事が出来る。
『力』の次兄リンカークス。
『知』の長兄キュロッケウセス。
『技』の末弟ケイルノープロシズ。
 ……太古の時代から今に至るリーンハルス歴史上、グールバロンが主役となって歴史に名を刻む時が存在した。
 ――リンカークス、キュロッケウセス、ケイルノープロシズの巨人三兄弟と当時の『巨の紋章憑き』であった将軍ルベロとの死闘を演じた『一神ノ時』だ。
 『一神ノ時』に起こった出来事の詳細は今回端折らせてもらうが、今をご健在なグールバロンを見て分かる通り、あの時の死闘の勝者はグールバロンであり、そしてその時行ったある儀式によりグールバロンは三体の巨人の力を手に入れる事になった。
 それがガイナの持つ三体の召喚魂となっているのだが、それはいずれまた……機会が出来た時にでも話そうか。
『一神ノ時』――それは英雄が生まれたのと同時に、悲劇が生まれた日でもあった。

 話が少し逸れたが、戻ってナスターシャ。
 ナスターシャは腕を振るって浮かび上がる魔法陣を消し去る。ガイナはそれを見てホッと胸をなで下ろしたのだが、それも束の間。ナスターシャは侍女達に湯殿から一時離れるよう指示を出した。
 後ろでガイナが叫ぶ。
 だがナスターシャは気にすることなく、ひたすら狼狽するだけの侍女達に再び湯殿から出るよう指示を出した。先程までと打って変わって静淡な顔付きに変わったナスターシャを見て何かを感じ取ったのか、侍女達は何も言葉を残す事が出来ず、黙って従うしかなかった。
 急いでその場を離れる侍女達。
 何でこの様な事になってしまったのか、みんな半泣きになりながら湯殿の出口まで一直線に走っていた。
「きゃっ!」
 先頭を走っていたチェリアが湯殿出口に入ろうとした瞬間、出会い頭に出てきた『何か』にぶつかり、その拍子に可愛らしい悲鳴を上げて尻もちをついた。チェリアは痛みを口にするよりも、周りがチェリアを心配するよりも、『何か』を理解した侍女達は驚き真っ先に姿勢を正した。
「済まないな。どこも痛めたところはないか?」
「だ、大丈夫です!」
「そうか、なら良かった。……ところで――」

「……おい。一体どういうつもりだ?」
 ガイナは苛立ちを含んだ低い声で言う。
「何がだ?」
「何がって……ちっ……お前さ、いい加減にしろよ? なんでお前がそこまでする必要があるんだ?」
「ああ、その話は今は置いておこう」
「あ?」
 ナスターシャは怪訝な表情を見せるガイナを無視し、一人話を進める。
「単純にな。その気になったお前と手合わせがしてみたくなっただけだ。そんな時に邪魔になる者がいたのでは、発揮できるものも出来ないだろ? 私もお前も」
 その言葉を聞いて、ガイナは呆れ笑った。
「……俺も舐められたものだ。いいぜ、誰かのためじゃなく、お前がただ純粋にやりたいって言うのなら俺もやるまでだ。ただし、だ。後になってあの時のあれはフェアじゃなかったとか言うんじゃねぇぞ」
「誰が言うか。お前は私が不利だと思っているかもしれんが……ふっ、そのような気持ちで戦いに挑むと逆に足をすくわれるんじゃないのか? 心配は無用、全力で掛かってくるがいい」
「バカが……リンカークスはそんなに甘くねぇぞ」
 ガイナは面の内側に指を掛け、器用にクルリと回し握った面を顔に近づけていく。この能力は身内には使いたくは無かった。咄嗟の流れとは言え、面を出してしまったことにガイナは内心悔いていた。召喚魂は副作用も併発されるのだ……
「百も承知だ」
 ナスターシャは本番さながらに気を引き締めた。
「――そこまでだ」
 戦いの火蓋が切って落とされる寸前、湯殿に男の声が響く。ガイナとナスターシャの意識は自然と声のした方へと向いた。
 そこには、ゆっくりとした足取りで二人の下に向かってくる男の姿。
『火の紋章憑き』、そしてリーンハルス王国最強の将軍――アルベセウス・ガンルークその人であった。
 ガイナとナスターシャが向かい合う、丁度間にアルベセウスは歩を落ち着かせると腕を組んだ。
 外に出ていたのか、それともこれから城を出るつもりだったのか、アルベセウスの服装は完全なる装備で固められていた。
 王国紋章の刻まれたスティール製プレートが両肩部分にリベット留めされた、赤を基調にしライン取りを黒で仕立てたコートを着たアルベセウスの腰には剣帯ではなく、黒みを帯びた鎖を通した厚く大きい魔導書が対に下がる。赤衣の背には『三神』を意味する『トライアングルフォース』のエンブレムが金色鮮やかに縫い描かれていた。
「――そこの入り口でナスターシャのところの者達に聞いたが……お前ら何をバカな事をやっているんだ、まったく」
「そいつはナスターシャに言ってくれ。オレは被害者だっての」
 ガイナは面を指で引っかけ、クルクルと回しながら言う。
「だから、お前と侍女との話は後に回すと言っただろう」
「……つくづく呆れる。この話も、どの話も私は一切関与するつもりはないし好き勝手にやればいい。だが、やるなら場所を少しは考えろバカモノ。お前らは気付いてないだろうが、お前らがバカやってるせいで湯殿の外は興味と不安を覚えた兵士達で溢れかえってるぞ」
「マジ?」
「嘘を言ってどうする。とにかくだ、続きがやりたいのであれば城の外、城から離れた場所に移ってから好きなだけやり合えばいい。そもそもナスターシャ。お前が事の発端者だと聞いたが、らしくないな。お前ともあろうものが、その少しの事が考えられぬとはな」
 アルベセウスの言葉に、ナスターシャはピクリと眉を動かし、ガイナは肩を竦めた。
「……まあ、なんだ。アルベセウスは外に出ていたからまだ知らねぇと思うけど、な」
 とりあえず、役目を与えられる事もなく必要の無くなった面を手の上から消したガイナが視線をナスターシャに向けた。ガイナに視線を向けていたアルベセウスもその視線を追ってナスターシャを見た。
 視線を向けられたナスターシャは、自らが作り招いた喧噪の状況が忘れさせていた『あの出来事』を思い起こしてしまっていたのか、頬をほんのりと赤らめていた。女性の顔になっていた。
 まるで珍しいものを見たような、眉間に皺を寄せたアルベセウスは、ここに来るまでの途中に擦れ違う兵士達が口々に言う言葉を耳にしていたことを思い出すと、視線をガイナに戻し問う。
「そう言えばガイナ。お前が不審な紋章憑きを相手にしたと耳にしたが――」
「ん? ああ、そいつだ……とっ」
 大事なカタストロフィーがそのままに放置されているのに今頃気が付いたガイナはトコトコと取りに行く。
「そいつ?」
『そいつ』とは何を指しての『そいつ』なのか。あまりに漠然とした答えが返ってきて、さすがのアルベセウスもガイナの言った言葉をそのままオウム返しするしかなかった。
「ああ、悪い悪い。『そいつ』ってのがその紋章憑きなんだがな、よっと……そいつが……だな、アレだ……チュッチュだ」
 ガイナは手に取ったカタストロフィーを易々と肩に担いで見せるが、実際は相当な重さなのだろう、剥がれて脆さが見えるとはいえ、ガイナがカタストロフィーを担いだ瞬間に足下の大理石風の床タイルがパキリと割れる。
「は?」
「チュッチュだ、チュッチュ。そいつ、あろう事かナスターシャとチュッチュしやがったみたいなんだよ」
「チュッチっ……こ、口吻か?」
 危ない危ない。危うく釣られてチュッチュと言いそうになったのをすんでのところで回避出来て、アルベセウスは内心ホッと胸をなで下ろした。自分がどのような人物像に形成され受け入れられているのか十二分に理解している、故に己が発する言動には日々常々注意を払っているのだ。
「そうそうそれだ、それ。それをな、やられちまったみたいなんだよ。な? ナスターシャ。な? な? な?」
 先程の仕返しみたいなものも含まれているのか、ガイナは軽々しくあっけらかんと言う。
ナスターシャを辱めることでガイナは鬱憤を晴らそうとしていた。そして見事にナスターシャはガイナの期待に応えてくれる。ナスターシャの顔はみるみると熟れたイチゴのように赤く染まっていった。愉快だ愉快だと、にやつくガイナ。
 が、ガキめ……覚えていろ。ナスターシャは小さくポツリと毒突いた。
 驚いてるのか、そうでないのか、どうにも掴み取りにくい――つまりはそれほど変化の見られない――表情のアルベセウスはナスターシャを見た。一瞬目が合うも、逃げるようにナスターシャは目を逸らす。
「今ガイナが言った事は本当なのか?」
 ナスターシャの目が泳ぎに泳ぎまくり、やがて、
「……ああ」
 小さい声ではあったが、ナスターシャははっきりと認めた。認めたおかげで、また隼人への意識が一層強くなった。
 少しの間が生まれる。
「……そうか。それでお前はどう考えてるんだ?」
「わ、私は……するつもりだ。隊の将としても示しがつかんしな」
「……なるほどな。で、お前自身はどうなんだ?」
「私? 私……私は……分からない。……分からないけど……」
「嫌ではない、ということか」
 問いに答えなかったナスターシャではあったが、キュッと肘を抱いた。その仕草で、アルベセウスの問いに肯定したものだと受け取るには十分だった。
 アルベセウスは声に出すことなく笑った。あのナスターシャも辿りゆけば普通の女性と変わらぬと言うことか。これでナスターシャが冷静さを失っていたことに対して合点がいった。そう思えば自然と次に生まれる興味は、相手となる紋章憑きだ。
「ガイナとやり合い。ナスターシャの唇を奪った男か。面白いな、なかなか興味を引かれる。それで、その男の姿が見えないようだが今どこにいるんだ?」
 さっと見渡すがそれらしき男の姿は見受けられない。
「ん。ああ、そいつナスターシャにチン○コ蹴られて今死んでる」
「……つまらぬ冗談は今はいらん。どうして悪い気のしないと感じた相手にそのような仕打ちをせねばならんのか。デタラメすぎるぞ、それでは」
 デタラメな奴で申し訳ない。ナスターシャは「うっ」とチクリ胸が痛くなった。でもこればかりは口が裂けても言いたくなかった。いや、言えるはずがない。あんな卑猥な口吻をされたなどと……知られたのは侍女達だけで十分だ。
 ここでナスターシャはなぜかハッとしたのだが、これにはガイナとアルベセウスの二人は気付かなかった。……ナスターシャは何にハッとしたのだろうか?
「それは知らん。オレも具体的なことは聞いてねぇし。てかコイツ話そうとしねぇし」
 冗談ではなかったのか。アルベセウスは視線でナスターシャに経緯の説明を促す。
「す、すまない。こればかりはどうしても言いたくないのだ。悪いが引いてくれないか」
 ナスターシャの心底申し訳ないといった表情がアルベセウスの追究心を削ぐ。
「……そうか。話したくないのであれば無理強いは出来んな。――よし分かった。それでは男の意識が戻り次第、姫様を交えて『この先』のことを話し合うとしよう。如何なる理由にせよ紋章憑きが我が国にやってきたのは事実。出来ることなら我が国の戦力として荷担してもらいたいものだな」
「そこんとこはお前に任せるわ。んじゃ、解散ってことで」
 そう言ったガイナはとにかく、匂い籠もるこの場から早く離れたかった。
 黙って頷いたナスターシャも早く侍女達に合いたくて堪らなかった。口吻の件、口外しないようにでっかい釘を刺しておかねばならなかったのだ。冗談抜きに、ナスターシャにとっては一刻を争う重要な問題。これがさっきナスターシャがハッとした理由だった。

 二人が湯殿から出て行き、最後一人残ったアルベセウスは『この先』について、思いを張り巡らせていた。
 アルベセウスが一人になるのを待っていたのであろう、憑き神である『火神』イーヴェルニングが話しかけてきた。荒々しい感じが聞いて取れる、若年男性の声だ。
「……これでなんとかなるんじゃねぇか?」
「ああ。男の持つ紋章の力がどれほどのものかは分からぬが……それでも紋章憑きだ。一騎で当千分の力を見積もることは十二分に出来るだろう。まあ何にせよ、男が力を貸してくれなくては話にならんがな」
 嘆息を漏らしたアルベセウスの表情に険しさが増す。
「――よりにもよって『魔神』が攻め入らんとするときに『地食』が我が国で起きるとはな、それも二つ」
「まあこればっかは愚痴ったところでどうにもなんねぇよ。そんな時に丁度紋章憑きも現れたんだ、まだこっちにも憑きは残ってると思っておこうぜ」
「ふっ、確かにな。少し私らしくなかったな――さてそれではナスターシャの旦那となる男の意識が戻るのをのんびり待つとしようか」
 いつもの、余裕を携えた表情に戻ったアルベセウスは湯殿を後にした。

 隼人が意識を取り戻したのはそれから四時間後。日も傾き始めた頃だった。
[ 2011/08/17 13:45 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

紋章憑き~第三章【下衆な隼人】~

  第三章【下衆な隼人】

 空にはペガサスに跨る衛兵。城門には黒い甲冑に身を包んだ衛兵。城門壁の上には赤いローブを身に纏った、如何にも魔術師な風貌をした者達が等間隔に並び警戒する。その者達の背には『火の紋章』。つまりは、『火の紋章憑き』直属の『サード』クラスのマジシャンであることを示す。
 上空から広範囲に注意を張り巡らせるペガサスナイトは、城の上空を極めて遅い速度で旋回する。当然、下を警固する衛兵との状況確認も怠らない。
「上空、問題ありませーん。下はどうですかー?」
 桃色の髪を短く切り揃えたペガサスナイトは、声を張り上げ伝えると同時に、下での状況を確認する。
 以前、失態をしでかした、巨の紋章憑き直属の衛兵が大きな声で答える。
「こっちも問題ない! 引き続き周辺の警戒頼む!」
「了解しましたー」
 この時、この衛兵は、上空のペガサスナイトのよりも遙か上空に小さな豆粒程の黒い物体があることに気付くが、只の鳥だろうと認識し、自分の仕事に戻った――

 その遙か上空。乱丸がゆっくりと旋回する。
 乱丸の背から、顔をひょっこり覗かせた隼人が、目を凝らせ下の様子を見る。
「どうすんの? 城の周り、人がいっぱいいるんだろ?」
「一時的なものだと思ったけど、一向に減る気配ないわね……なんでこんなにいるのかしら」
 隼人の視界を介して下の様子を見るラルファは頭を捻る。
「このまま乱丸で降りていってもいいのか?」
「……それはまずいかも。私達がいくら敵じゃないにしても、この乱丸の迫力はダメだわ。こっちが説明する前に集中砲火浴びちゃうと思う」
「じゃあ、どうすんの?」
「簡単じゃない」
「これは無理」
「まだ何も言ってないじゃない」
「こんなの一択しかねーだろ!」
「勝手に決めつけないでもらいたいわね。え? なに? 隼人は私がなんて言うか分かったの? すごいわね! キミ、いつから人の心を読めるようになったのかしら! いえ、違ったわ、『神』の心を読めるなんて! ……まあいいわ、それじゃ、私がなんて言うつもりだったのか、答えてご覧なさいよ」
「落ちろ」
「正解」
「どうやらオレは『神』の心を読めてたみたいだな」
「……そのようね」
「……だから無理だって。さすがにこの高さは……やばいぞ?」
「大丈夫だって! これまでも大丈夫だったでしょ?」
「いやいや、今まで経験した中でも群を抜いて高いからコレ。お前って、いっつも簡単に言うよな?」
「だって簡単でしょ? 着地着地。着地の瞬間に気をつければ大丈夫だって」
「簡単じゃねーよ。ったく……つい最近まで普通の人間だったんだぞ、オレ」
 隼人は不満を口にしながらも、首を捻り、コキッ、コキッ、と骨を鳴らし、屈伸をする。
「人間だったからこそ、色々と経験を積んでいかないと」
「はいはい。はぁ、そんじゃ行くとしますか。乱丸、また後でな」
 乱丸は可愛い鳴き声で返事を返す。隼人は一回大きく深呼吸をすると。
「いってくらぁ!」
 先程までの弱気が嘘のように、勢いよく豪快に飛び降りた。

「ふあぁぁ……」
 暖かい日差しが降り注ぐ中での外部警固は心地良いものなのだが、それが長時間続けば眠気が襲って来るという難点もある。城門前を警固する衛兵が、今日、何度目かの欠伸をした。
 大きく伸びをしたとき。たまたま空に目をやったとき。偶然視界が『何か』を捉えた。
「……なんだ? あれ」
 衛兵は目を凝らす。ゴミ? いや、さっき見た鳥か? 何の鳥だ? そう考える間にも『何か』はジワジワと大きさを増していく。
「おい? どうした?」
 空をジッと見る衛兵に気付いた、隣ののっぽの衛兵が声を掛ける。
「……あれ、なんだと思う?」
 上を見る衛兵が空を指差す。
「あ? 何がよ」
 のっぽの衛兵は指された空に目を移す。そこには空から城を警固するペガサスナイト。
「ペガサスだろ」
「違う……その上、鳥じゃ……ねーなぁ」
「上だぁ?」
 のっぽの衛兵は先程よりも目を凝らし、よく注視する。その時には、判別難しかった小さかった『何か』は、ある程度判別できる大きさにまでなっていた。
「……ん? ……ひ、と……かぁ?」
「……だ、だよな? 人に見えるよなぁ……」
 二人は視界を戻すと、慌てて向かい合う。
「人!?」
「人!?」
 突然の大きな声に、周りが「何事か!?」と俄に騒々しくなる。
「どうした!? 何かあったのか!?」
 城門壁の上から身を乗り出したレッドマジシャンが強い口調で言い放つ。
「う、上だぁ! 上! 上に気をつけろー! 上から何者かがコッチに向かって落ちてきてるぞ! ペガサス隊気をつけろぉ!」
「う、上ですかー? 何も見あたりませんよー? ど、どこですかー?」
 訳の分からぬ状況にペガサス隊は狼狽する。
「馬鹿! お前らの頭上だっ! 避けろ――!」
「え?」
 一斉に見上げるペガサス隊。だが遅かった。

 落下する隼人。速度はぐんぐんと加速する。見る見るうちに地面との距離が縮まる。
 スリル度マックスの、自然の絶叫アトラクションを絶賛堪能中であった。
 地上に見える、蟻のように小さかった人の姿は、やがてお豆サイズへ。
「ひゃぁぁぁぁ……ぁあっ?」
 隼人は何かに気付く。
「どうしたの?」
「……このまま落ちると、下に見える奴らにぶつかりそうじゃね?」
 隼人の言う先には、ペガサス隊の姿が。そして、隼人が通過するであろう落下ポイントには、桃色の髪をした女性が跨るペガサスの姿があった。
 この時、お豆サイズであった人の姿は、精巧なミニチュアサイズへ。
「……当たりそうよね」
「うわっ! 当たりそうじゃなくて当たるっつーのコレ! や、やべっ! ち、ちょっと下下下下! 避けろぉぉぉ!」
「え?」
 上を見る桃色の髪をした女性。
 この時、女性と隼人の距離、十メートルを切った辺り。間に合わない。
「きゃあっ!」女性は叫び声を上げ、咄嗟に頭を防御する。
「……んなろぉぉ!」
 女性にではなく、ペガサスの翼に直撃する。と思われた瞬間、隼人は体を回転させると、ギリギリのところで直撃を回避する。安心するのも束の間。難を逃れた矢先、息を吐かせぬ展開が隼人を襲う。
「きゃああぁぁっ!」女性の体が宙に舞う。
 驚いたペガサスが激しく暴れ、上に乗る女性を振り落としてしまった。
「マジかよっ!」
「隼人! 下!」
「分かってる!」
 迫る地面。隼人は足に力を込める。常人には感じることの出来ない感覚が足全体を覆い尽くすと同時に、大きな落下音が鳴り響く。相当な衝撃に、痛みを覚える隼人は片膝を付く。
「くっ!」
 しかし、悠長にかまえる余裕など無い。隼人は急いで立ち上がり、駆けた。

 振り落とされた女性は覚悟を決め、目を閉じる。
 あぁ、私死んじゃうんだ。呆気なかったな。恋もしてないのに……やだなぁ。何のためにペガサス隊に入ったんだろ。いい人見つける前に死んじゃうなんて……。お父さん、お母さん、先立つ不幸をお許しください。さようなら……
 さようなら……
 さようなら……
 さようなら……?
 あれ? 痛みを感じない? どうして? ……そうか、きっと私、即死だったんだ。痛みを感じることなく死なせてくれたんですね、神様は。……あぁ感謝します。
 でも。何か、人の温もりを感じるのは、どうして?
 私の体に、何か触れてる感触がするのは、どうして?
 耳に入ってくる、うるさい音は何? すごく耳障り。これは余計です、神様。
 人って、死んでもなお第六感は失われず機能するものなの? 不思議。
 ……それよりも、ものすごく気になることがある。
 ……なぜか、私、胸が……ドキドキしてる。どうして?
 ……あれ? もしかして、これって、私……死んで……いない? どうして?
 ……考えても仕方がない、か?
 ……女性は心の中で小さく頷くと、意を決して恐る恐ると目を開いた。

 目を開いた瞬間、女性は硬直した。思考が停止する。
 女性は隼人の腕に抱かれていた。隼人の胸に顔を埋めてる状態であった。
 な、何で……お、男の、男の人の胸がこんな間近に……! ほ、頬に触れてるー……!
 顔を真っ赤に茹で上がらせた女性は頭に血が上って、鼻血が出てしまうのではと思ってしまう。大袈裟に聞こえるだろうが、それは仕方のないことであった。
 なぜなら、ペガサス隊に所属する女性達は皆、純潔無垢な女性なのだから。
 幼い頃からペガサス隊に入ることを夢見てきた女性達は、必要以上に男性と関わることを許されなかった。それは徹底され、そのせいで、男性に対しての苦手意識が植え付けられてしまう女性がいるほどであった。
 隼人は「……大丈夫か?」と心配そうに声を掛ける。
「……あ、はい……大丈夫です……」
 隼人の問い掛けに小さく答えた女性は、隼人の胸からゆっくりと顔を上げる。
「良かったぁ……ごめんな?」
 申し訳ない気持ちで一杯の隼人は苦笑いを浮かべた。丁度その時、顔を上げた女性とタイミングが重なり目が合った。
「っ! いえ! 本当に……あの、大丈夫……です……」
 顔を赤らめた女性は、顔を俯かせる。と言うか、視線を避けた。恥ずかしくて。
 こんな時に、不謹慎だとは思うのだが、女性は隼人のことを〝格好いい……〟と思ってしまった。
 隼人が実際に格好いいのか、そうでないかは分からない。それはそれぞれ他人の目が判断することであって。一概には決められない。男性の行動や仕草、雰囲気に格好良さを見出す女性もいるのだから。
 只、この女性に限って言えば。隼人のことを〝格好いい〟と思えたのであろう。
 この二人だけを見れば、なんともまぁ微笑ましいものだと思えるのだが、周りはそうは思ってはくれない。武器を携えた兵士達が、いつの間にか隼人の周りを包囲していた。
 喧々囂々たる敵対心むき出しの声が、隼人に浴びせ掛かる。
 勇ましくも罵倒とも取れる声を背に、ズシリと重厚な大剣を肩に担いだ一人の男が、悠然と前に出る。
 あの、失態をしでかした『巨の紋章憑き』直属の衛兵である。
「おい貴様、ちょっといいか?」
「え? あー……オレ、ですよね? なんでしょうか?」
「貴様が敵陣へ、たった一人で乗り込んできたその度胸、それは認めてやる」
「いや、あの、乗り込むとかそんな大それたことじゃ――」
「しかしだ! か弱き女性を人質に取るという愚劣な行為! 断じて許されん!」
 盛大に賛同の声が上がり、一気に衛兵達の士気が上がる。
「……あの、なんかキミ……人質になってるみたい」
「……その、ごめんなさい……」
「謝るのはコッチだから。えっと、それじゃ、自分の足で立てる?」
「あ! ごめんなさい! 重たかったですよね……」
「いやいや! そんなつもりで言ったんじゃないから。全然軽いから」
「本当……ですか?」
「本当。たださ? キミが向こうに戻らないと、すっごく面倒なことになりそうだろ?」
「あ、そうですね! 私バカですね」あは、と可愛く笑う。
 な、なんなんだ、この熱々ぶりの空気は。見せ付けられる兵士達は、皆一様に苦虫を噛み潰したような顔を見せる。
 二十センチ浮いたところから女性は優しく地面に下ろされる。たったそれだけの高さなら、さっさと下ろせよ、と言われても何らおかしなことではない。なら、なぜ隼人はそうしなかった? それは隼人が男だからだよ。女性の体に密着なんて、そうそう出来るものじゃない。こんな美味しい役得を誰が逃すものか、隼人は理に素直に従い、思う存分堪能しただけであった。
 所詮、隼人もスケベなのだ。今、女性の目には紳士な隼人が映るが、残念なことに隼人はスケベだ。何度でも言おう、隼人はスケベだ。念を押す。隼人はスケベだ。
「ねえ? さっきからイチャイチャし過ぎじゃないの? 惚れたの?」
 どこか不機嫌そうな声をしたラルファが茶々を入れる。当然、隼人にしかラルファの声は聞こえない。
「うっせ! そんなんじゃねーよ! 黙ってろバカ!」素が出る隼人。
「ひゃあっ!? ご、ごめんなさい! 黙ってます! わ、私バカです!」
 隼人の大きな声に、自分が怒られたと勘違いした女性は、身を縮こまらせた。
「あっ! ち、違うから! 今のキミに言ったんじゃないから!」
 隼人は慌ててフォローする。
「え? でも……私しか――」
「違う違う! 今のは、ほらアレだ。周りのヤジが少しうるさいから、ちょっと静かにしろって、周りに言ったのよ」
 隼人の脳に、ラルファの勝ち誇ったかのような笑い声が響き渡っていた。
「……本当?」
「本当本当! そんなことよりも、ほら。キミは早いとこ向こうに戻らないと! さささっ」
 女性の肩を掴み、クルリと反転させる。
「あ、あの! 私、ミリーナ。ミリーナ・カタストレクファーって言います! 覚えていてくれますか?」
「ミリーナ。良い名前だな。ちゃんと覚えておくから安心して。オレは赤時隼人って言うから、コッチもちゃんと覚えててね」
 ポンと軽くミリーナの背中を押し送り出す。ミリーナは振り向くと「アカトキさん、また」と照れくさそうに笑い、遠慮気味に小さく手を振り戻っていった。
 途中ミリーナは、隼人の前に仁王立つ巨の衛兵の前で一度立ち止まり、「スミノフさん、ありがとうございました」と律儀に頭を下げた。
 隼人は紳士な笑顔でミリーナの後ろ姿を見送る。「良い子だなぁ」と、ミリーナの後ろ姿を眺めてる内に思わずポロリと本音が出た。
「……スカートみじけぇな」
「見事騙しきったわね。キミにこんな、素晴らしい才能があるなんてね」
 ラルファは“素晴らしい”の部分だけ強調し、皮肉めいて言う。
「は? 何言ってんの? 騙してねーよ。普段からオレは女の子には優しいっつーの」
「は? 私には一切優しくありませんが!?」
「十分優しいだろが」
「どこがよ!?」
「お前の我が儘に付き合って、こんな世界まで来てんだぞオレ。優しすぎんだろよ」
「そ、それはそうだけど! それとは別の、ほら、優しさってものがある――」
「はいはい、その話はまた後でな。先客がそろそろ痺れ切らしそうだわ」
「もう! こっちの話まだ終わってないのに!」
 ラルファの言葉を途中で遮った隼人は、本腰入れてスミノフに向かい合う。
「人質返したからと言って、はいそうですかって言う流れにはなりそうにはないっすかね?」
「残念ながら希望には添えられんな。構えろ」
 スミノフは大剣を振り下ろし、切っ先を隼人に向ける。
「構えろって……そもそも人質とかそんなのじゃないんで。って言うか、あんたハッキリと見てたでしょ?」
「何をだ?」
「ミリーナが地面に落ちる寸前にオレが受け止めたところ」
「……ものは言いようだ」
 スミノフの一瞬の間が隼人の癇に障ったのか、隼人は下手に出るのを止めた。
「はっ、要はただの妬みだろ? イヤだねー、モテない男の僻みってやつは」
 スミノフは剣を一回転させ、力一杯地面に突き立てる。
「……何だと? もういっぺん言ってみろ」
「言わねぇよバカ。ほら、構えてやるよ? やりたいんだろ?」
 構えると言うにはほど遠いノーガードポジションで、隼人はスミノフを挑発する。周りはどよめく。隼人はだめ押す。
「女の子に良いとこ見せる絶好の機会じゃないの?」
「バカが! 死んであの世で悔いれ!」
 言うや否や、スミノフは地面から大剣を引き抜き、僅かな気の迷いもない、明確な殺意を持った一撃を振り下ろす。悲鳴と歓声、入り交じった声が飛び交う。
 が、しかし。その一撃は隼人の素手の手によって難なく受け止められる。
 手に伝わる、金属と金属とがぶつかり合う感触にスミノフは驚く。
「き、貴様……一体っ!?」
 スミノフは慌てて刃を引こうとするも、隼人に刃を捕まれビクリとも動かない。
「悪いけどオレ、強いぞ?」刃を掴む手に力を込める。
 鋭い音を残し、指が刃を容易く貫く。
「腹。力入れておけよ? いてーぞ?」
「……うおぉっ!?」
 隼人は掴んだ大剣を引っ張り、スミノフを引き寄せる。
 次の瞬間、隼人の拳がスミノフの腹、ど真ん中にめり込む。
 スミノフの体はぶっ飛ばされ、後方の城門壁に激しくぶち当たった。
 口から大量の泡を吹き、白目になるスミノフ。場は凍り付き、静まりかえる。
 スミノフの手から離れた大剣が隼人の手に残る。隼人はそれを捨てると、一歩前に出て叫んだ。
「てめえらんとこの『三神』に、オレは会いに来た! 『竜の紋章憑き』が会いに来てると伝えてくれ!」
 紋章憑きと言う言葉が飛び出し、場が騒然とする。
「うそ……アカトキさん、紋章憑きなの?」
 ミリーナは遠く離れた場所から羨望の眼差しで隼人を見つめていた。
 気を失ったスミノフが、二人の衛兵に支えられ運ばれる。
「……ちょっとやりすぎたか」隼人は頭をポリ、と掻く。その時、一瞬視線を下げた。
「隼人っ!」
「いてぇぞ?」
 ラルファの声に、別の誰かの声が重なる。
 声が聞こえた方を振り向くよりも早く、ガントレットを装備した拳が隼人の頬に直撃する。目の前に火花が散ったかと思った瞬間に、隼人の意識が飛ぶ。
 デジャブか。先程のスミノフと全く同じに、今度は隼人の体が吹っ飛ばされる。地面に二度、三度と背中からもろにバウンドしてやっと止まった。
 訳の分からぬ突然の出来事に、又も場は一瞬静まりかえるが、『男』の姿を目にするや否や、ボルテージが一気に膨れあがる。
『三神』が一人、『巨の紋章憑き』ガイナの登場である。

「……おい、こいつ誰だ?」
 黒いコートのようなモノを羽織ったガイナは、無様に失神する隼人を一瞥するだけで、まるで無関心に、ガントレットをアジャスターでタイトになるよう調整しながら、一番近くに立っている衛兵に尋ねる。
「それが、私達にもよく……ただこの者、自分のことを紋章憑きだと……」
「へえ……ま、紋章憑きって言っても、ピンからキリまであるわけだからねぇ。そしてコイツはキリと言うわけだ……」
 ガントレット調整が終わったガイナは、手を開いては閉じてを繰り返しフィット感を確認する。
「いや、そのような例えで表すならば、この男間違いなくピンの部類に入るであろう」
『巨の紋章憑き』であるガイナの頭に、『巨神』グールバロンの声が響く。
「おまえ、こいつに憑いてる『神』のこと知ってんのか?」
「ガイナよ、今すぐ『カタストロフィー』を手配しろ」
「は? 何の冗談だ? 全然笑えねぇぞ?」
「こやつの憑き神は『竜』だ。直に笑いたくても笑えぬ状況になるぞ?」
「竜? ファンタジーの生き物じゃねーか」
「……今はな。今でこそ我々は『三神』と呼ばれているが、かつて我々は、今は亡き竜類を統べる『竜神』を含めた『四神』と呼ばれていた時代が存在した」
「そんなの俺、初めて耳にしたぞ」
「世界に忘れ去られた神だ。存在せぬ神の話をしたところで何になる?」
「……確かにそうだな、で? つえぇのか?」
「かつて『竜神』は、我々神々の中で最も強い者と謳われていた」
「かつてだろ? 今は?」
「我々神も進化を続けているからな。それでも、『カタストロフィー』を手にして、こちらが七割と言ったところか」
 ガイナは、それを聞くと少し考える。『カタストロフィー』を持って七割ってことは、今のままでは二割にも満たないってことじゃねーか、と。
 ガイナは、伸びてる隼人に目を移す。どうしてこんなヤツがと、どこか腑に落ちない様子で渋々と、側に立つ衛兵に『カタストロフィー』を持ってくるよう指示を出した。
 衛兵は目を大きく開き、声を出して驚く。ガイナは、「だろ? お前も、何で? と思うだろ?」と言うと、衛兵は激しく縦に首を振った。ガイナは又少し考えるが、「ま、いいや」と、衛兵に、さっさと行けと城を指差した。
 衛兵は急いで城に戻る。
 衛兵が『カタストロフィー』を取りに城に入る途中に、他の衛兵が、どうしたんだ? と興味津々で聞く。内容を知った衛兵は、先と同じように声を出して驚いた。そこから又聞きは繰り返され、ガイナが『カタストロフィー』を使用すると言うことが、あっと言う間に城全体に知れ渡った。
「ア、アカトキさん、死んじゃう……」
 それを知ったミリーナは今にも泣き出しそうな顔で、縁起でもないことを口にした。
「さっきから黙って聞いてれば……私も随分と舐められたものね。いえ、それだけあなたが偉くなったのかしら? ねえ? グールバロン?」
 ラルファの声が突然、ガイナの思考に割り込んできた。
「誰だ? てめえ」眉間に深い皺を寄せるガイナ。
「久しぶりだな。ラルファエンクルス」
「ええ、久しぶりね。そして初めまして『巨の紋章憑き』の人。私が『竜神』ラルファエンクルスよ、以後お見知りおきを」
「お見知りおきも何も、姿見えねぇじゃねぇか。バカか? 『竜神』とやらは」
「……キミ、隼人とキャラが重なるわね」
「あ? ハヤト? 誰だそいつ。もしかして、そこで伸びてるヤツのことか? 冗談、俺をそんな情けないヤツと一緒にしてくれるなよ」
 ガイナは鼻で笑う。ラルファは少しカチンときた。
「言ってやるな、ガイナよ。ところでラルファエンクルスよ、何用があってここに足を運ぶ必要があったのだ?」
「……別に。軽く挨拶をと思って寄っただけよ」
 ラルファはぶっきらぼうに言葉を返す。
 それは嘘だ。本当は、幼馴染みのみんなに会いに来た筈だった。しかし、来てみればどうだ。ラルファは勿論のこと隼人に対しての、この無礼な仕打ちにラルファは沸々と怒りが込み上げていた。
「そうか、それを聞いて安心した」
「どういう意味?」
「いや何。よもや『四神』に戻りたくてノコノコとやって来たのではないかと思ってな。もし、そうであったとすれば、それこそ我々を舐めるなと、お前に言ってやりたいところだ。『三神』と謳われ、ワグナスを守護する者となって、何千と年を重ねてきた自負が我々にもあるのでな」
「言うじゃない。まあ、経験を重ねて自信を持つようになったのは、何らおかしいことじゃないわね。でもね? その自信は――」
「オレを倒してからにしてもらわねーとな」
 ラルファが喋るセリフの続きを、隼人が横取りする。
 視線が一斉に隼人へと集中する。
 意識が戻った隼人は、殴られた箇所である頬をさすりながらゆっくりと起き上がる。やはりダメージが残るのか、足下がどこか覚束ない。そして口の中を激しく切ってしまったのか、口を開く度に血が顎を伝い、地面に垂れ落ちる。
 隼人は手で血を拭う。
「……ってぇ。てめえなぁ、不意打ちは卑怯だろ?」
 隼人はガイナを睨み付ける。しかしガイナは余裕の笑みで、「で?」の一言で片付け軽くいなした。
「隼人、大丈夫なの? すごい血よ?」
「大丈夫なわけねーだろ、頬の内側パックリ切れてんだぞ。」
「それだけ喋れたら大丈夫ね。」
「……お前、オレを何だと思ってる? 少しは労れよ」
「――何なら、今すぐ逃げてもいいんだぜ? 弱者を苛める趣味は、俺にはねぇからな」
 ガイナは羽織った黒いコートを取ると、長さを合わせて腰に巻く。流石『巨の紋章憑き』。コートの下からは、無駄な肉が一切削がれた鍛え抜かれた肉体が姿を現す。両腕上腕に装着される王国紋章が刻まれた幅の広い白銀のバングルだけが、唯一ガイナの身を守る防具だ。その肉体、中でも目を見張るのが左胸に刻まれた『巨の紋章』、一つ目オーガのエンブレムであった。ガイナは両拳をぶつけ合わせた。紋章が怪しく光り揺らめく。こちらはやる気満々である。
「は? 誰が逃げるって? 誰が弱者だって?」
 隼人は地に唾を吐く。出てきたのは唾ではなく、殆ど血の塊だ。
「てめえに決まってんだろ?」はん、とガイナは鼻で笑う。
「は? なんでオレより弱いヤツから逃げなきゃならんのよ」
「あ? 誰が弱いって?」
 互いの距離が徐々に狭まっていく。
「てめえに決まってんだろ?」はん、と隼人は鼻で笑う。
 そして二人は立ち止まる。互いの鼻と鼻とが触れようとする程の至近距離。
 隼人、ガイナ。互いに表情からは笑みは消え、視線を一ミリと逸らすことなく睨み合う。
 観衆と化した衛兵達は固唾を飲む。ガイナに加勢をしたいと思う衛兵達は山ほどいるのだが、紋章憑き同士の戦いでは足手纏い以外の何者でもない。
 二人ポツリと言葉を発する。
「ガッカリさせんじゃねーぞ?」ガイナの一つ目オーガの目が光り渦巻く。
「安心しろ。期待に応えてやるよ」隼人の竜王のタトゥーが服越しに光輝く。
「私の隼人を舐めないでもらいたいわね」隼人の勝ちを信じて疑わないラルファ。
「我が『巨の紋章憑き』に勝てると? 片腹痛い……」『三神』の意地と誇りに賭けても絶対に負けられないグールバロン。
 その思い、二人の紋章憑きに託して、後は信じて見守るしかない。

 言うが早いか、ガイナの膝が隼人の鳩尾にめり込む。
 ただ簡単に、『めり込む』と一言で片付けるが、その威力常人の域を軽く超える破壊力。下手をすれば内蔵は破裂するだろう。
「かはっ!」
 堪らず呻き声を上げ、体をくの字に曲げた隼人の顔に、ガイナの左拳が容赦なしに勢いよく下から突き上げる。跳ね上がる隼人の顔に、ガイナが「死ね」と右の裏拳を炸裂させる。もろに頬に食らった隼人は吹っ飛ぶ。
 次元が違う。一瞬の出来事に観衆達は言葉を失う。
 ファーストコンタクトをあっさりと奪われた隼人は、ゆらりと体を起こす。
 鼻血が溢れ、顔面破壊状態の隼人。
 綺麗だった銀髪は血で赤く染まり、割れた額から血が頬を伝い流れる。常識的に考えれば相当にやばい出血量なのかもしれない。
「……お前、顔ばっかり狙いすぎ……」目の前が一瞬霞んだ。自分の過去の経験を探り手繰りよせ、自らの危機的状況を把握する。隼人は――軽く舐めていたことを後悔した。
「で? これも卑怯とか抜かすなよ?」
 そう言ってガイナが手にしたのは、金色に輝く巨大なハンマー。
 たった今、四人の衛兵達によって急いで台車で運ばれたそれは、しかとガイナの手に握られた。呼応するかのように『巨の紋章』が一層光り輝く。明らかにガイナの体重を超えるそれを、ガイナはいとも容易く担ぎ上げ、ニヤリと笑う。柄を握る手に力が入り、無数の血管が腕を這う。「『アーキファクト』」呟くガイナの腕に、古の文字が浮かび上がる。
「ラ・デナウ・カタストロフィー!」
『ラ・デナウ』ガイナは、解き放て、解放、を意味する言葉を述べ、『カタストロフィー』を天高く振りかざした。
『カタストロフィー』の頭部が、ぽう、と淡く光る。
 それだけで、他に変化らしい変化は見受けられなかった。それだけ? と隼人は拍子抜けした。しかし、そんな隼人とは全くと言っていいほど違う反応を見せる観衆達。
 出来るだけ安全なところへと、全ての観衆が城門壁の上へと慌てて移動した。
「それがお前の武器か?」
「神具『カタストロフィー』。世界で唯一、『巨の紋章憑き』である俺様だけが扱える代物だ」
「神具? 只のでっかいハンマーじゃねーのか?」
 戦況を黙って見守るミリーナは心の中で叫ぶ。違う! と。
「悪いな。これでそちらの勝ちは殆ど無くなってしまったな」
「だから、舐めすぎだって。隼人!」
 余裕を見せるグールバロンに、ラルファはまた苛つく。このような展開を誰が望んでいたか? 私は『竜神』。最強なのよ? なのに、このような見下される扱いをされるなんて夢にも思わなかった。わなわなと声が震える。ラルファはかなり怒り心頭のようだ。
「いきなり叫ぶんじゃねーよ。直に頭に響くんだからよ……」
 隼人は顔をしかめ、頭を掻いた。
「お前、戦い慣れしてねぇな」またも一瞬の隙をついたガイナ。
 ガイナは地を蹴る。『カタストロフィー』の重さを微塵も感じさせぬ、重量物を手にする前に劣らぬスピードで、一気に隼人との距離を詰めたガイナはすかさず攻撃動作に入った。
「死ね――」
 砂埃を巻き上げる程の、渾身の力を込めたフルスイング。『カタストロフィー』の打突部に巨大な円形魔法陣が発生する。
「誰が――っ!」隼人は腕をクロスさせる。
 ガイナの放った重く強烈な一撃が、隼人のクロスブロックにドゴンッ! と轟音を響かせめり込む。防げた。しかしそれも一瞬、ガイナのあまりにも重すぎる一撃はブロックもろとも隼人の体をぶっ飛ばした。冗談だろ? と、地に水平にぶっ飛んだ隼人は、分厚い城門壁に激突するも、その勢い殆ど衰えることなく貫通し、ジュナルベイル城の壁に激突した。ガラガラと音を立て崩れ落ちる壁。観衆達は唾をゴクリと飲み込む。言葉が出ない。
 そこに、城門壁の上にいる一人の衛兵があることに気付き「お、おい」と口を開く。それに連れて、また一人、二人と、気付いた衛兵が口を開いた。
「あそこって……今」
「うん、ナスターシャ様が使ってる時間だな」
 衛兵達の会話が下にいるガイナの耳に入ってくる。それを聞いたガイナは、やべぇ、と冷や汗を流した。
「マジかよ……!」
 ガイナは急いで我が目で確認をと、城門壁の上へと飛び移る。
 崩れ落ちボッコリと穴が開いた城壁部分を見たガイナは顔を左手で覆った。
「……もしかしてやばい?」
 隣にいる衛兵に聞くも、答えるのに困った衛兵も苦笑いで「……どうでしょう」と返すことしか出来なかった。
 ガイナの頭に嫌な予感が過ぎる。一向に隼人が姿を見せないことが、余計に不安を煽る。そしてこんな時に覚える不安は、なぜか的中し易い。
 腕を組み、落ち着き無く足で地面をコツコツコツコツと叩くガイナ。意外や堪えて待つこと十数分。しかしそれも限界の域に近づいていた。
「うぇ……ぇえ……ぅぶえっくしょん!」
 ガイナは豪快なクシャミをかます。
「風邪、ですか?」
「……いや。誰かオレのことを噂してやがるな」
「モテますからね、ガイナ将軍は」
「そう言った意味で言ったんじゃねーよ」
「……す、すみません!」
 しかしその後にもクシャミが三連続に出、合計四回のクシャミが出たところで、奇妙な寒気がガイナを襲ったのであった。が、さして気に留める様子のないガイナは「風邪か?」で、無難に片付けた。
 ……しかし、ガイナは知らなかった。今この時、ガイナの知らぬ所で恐ろしい陰謀が蠢こうとしていることを……。
 それからほんの数分後――。
「こ、の……下衆が――っ!」
 穴の奥から聞こえたナスターシャの怒鳴りつけるような馬鹿でかい声に、ガイナは「ちっ……やっぱりかよ」と声を漏らす。案の定的中していた。
「やばそうですね」衛兵のその一言に。
「うっせ」と衛兵の頭を軽く叩いたガイナは、観衆と化していた衛兵達に持ち場に戻るように促し、城門壁から飛び降る。崩れ落ちた瓦礫の山を足で蹴って退かすと、「ナスターシャ。入るぞ」と一言断りを入れ、トボトボと穴の開いた所から城内に入っていった。

「折角の勝てる好機を……憑いてないな」
「こんな時もあらーな」
 城内に入った瞬間に白い湯気が体にまとわりつき、甘い香りが鼻につく。
「どうもこの匂いは好きになれんな」
「俺もだ」
 ガイナが入った先は湯殿であった。
 ガイナの進入に気付いた女性の衛兵達が一斉にガイナの前に並び立ちはだかった。
 ガイナは目のやり場に困る。女性達はナスターシャの侍女として湯殿にいるため、薄手の白いローブを纏っているのだが、水を含んだローブは透けて隠す役目を果たしていない。中身が丸見えになっていた。
「あ、あの、申し訳ありませんが……ただいまナスターシャ様のお時間ですので……、それに……その、如何にガイナ様と言えど……男性の方は……」
 自分の体を異性に晒していることに羞恥心を覚える以上に、女性達も目のやり場に困っていた。ガイナの鍛え抜かれた肉体美を前にして、皆顔を赤く色付かせ緊張する。
「そんな長居はしねぇよ。用があるのは――」
 ここでガイナは気付いた。
「きゃっ」
 女性の肩を掴み強引にどかす。
「……おい、ここに突っ込んできた男はどこだ」隼人の姿が見えないことに。
 そしてナスターシャの姿も見えないことに。
「そのお方でしたら、あの、その、大変なお怪我をなされておりましたので、奥の部屋で治療を」
 ガイナは耳を疑った。
「は? 何ふざけたこと言ってる。敵だぞ? その男」
 容赦ない鋭い眼光に女性達は身を震わせる。
「いえ、あの……それは分かっております、けど……あの……」
 ガイナの気迫に押された女性は泣きそうになる。ガイナの言ってることはもっともなことで理解は出来る。だけど、言うべき筈である肯定の言葉が上手く整理出来てない女性は狼狽するしかなかった。
 ハッキリしないウジっとした態度に苛立ったガイナは表情を険しく、肩に担いだ『カタストロフィー』を乱暴気味に床に下ろす。モザイク調の床が音を立てて大きく凹む。女性達は直立不動で、ただただ黙って怯えることしか出来なかった。
「ナスターシャ!」
 湯殿にナスターシャを呼ぶ声が響き渡る。
 十は数えただろうか、奥の扉が開くと着替えを済ませたナスターシャの姿が現れた。いつもなら結い上げてる髪は、まだ濡れているせいかストレートに下ろされていた。
 ナスターシャの姿を見た女性達は安堵の息を漏らした。
「叫ぶな。器が知れるぞ」
 湯殿に立ち込める甘い香りとは違う、甘い香りがガイナの鼻先を擽る。香水の類が嫌いなガイナは、無意識の内に表情を歪ませた。
「さっさと男を出せ」
「なぜ、お前がここにいる? ここは男が入ってくるのを許される場所か? ん?」
「……き、緊急ってやつだ。い、いいからさっさと男を連れてこい!」
「ふむ、本来ならいかにお前とて、例外なくキツいお灸を据えなくてはならないんだがな。まあ、今回は大目に見てやろう。で、男とは先程の下衆な男のことか?」
「他に誰がいるんだ?」
「そうか、やはりその下衆か……そうか」
 細い顎の下に手をやり、考えるような仕草を見せる。たったそれだけの動作にも気品を感じさせる。
「そいつは俺達の敵だ。奥にいるんだろ、連れて行くぞ」
 ガイナはナスターシャの横を通り過ぎようとする。
「……すまない、今はそれを許すことは出来ない」
 背後からガイナの肩を掴み、それ以上の進行を許さない。
「……何言ってんだ、お前?」
 ナスターシャをギロリと睨む。到底仲間に向けるような目付きではない。まるで、ナスターシャを敵として見るような、威圧的な目付き。
 凍てつくような鋭い眼光には魔法が掛かっているのか。女性達は恐怖に体を震わせると、麻痺した感覚に襲われピクリとも動くことが出来なくなってしまった。
 しかしその眼光も、ガイナと対等格である紋章憑きのナスターシャに効くはずもなく。
「そんな怖い顔をするな、皆が怖がってるぞ」
「お前がそうさせるんだろうが」
「確かにな。しかし、それには理由があるのだ」
「理由? そんなのが、なんでお前にあるんだよ。お前には全く関係ねぇだろが」
「あ、ああ、いや、あるんだ。理由がついさっき出来てしまったのでな……」
 フイとガイナから視線を逸らしたナスターシャの頬が真っ赤になる。周りの女性達も、まるで我がことのように、恥ずかしそうな顔を見せる。なんだぁ? とガイナは怪訝な顔つきになった。
「……私は、その……く、唇を奪われてしまった……」
「……はぁ!?」
「……なんと」
 驚くガイナとグールバロン。
「お、お前、それって……」
『唇を奪われる』と言う、事の重大性が分かるガイナは、らしくなく気が動転した。
 リーンハルスが誇る、絶世の双璧美女の一翼と謳われるナスターシャは、細い喉をこくりと鳴らし、初々しく小さく頷いた。
「……結婚、しなければならなくなってしまった」
[ 2011/08/17 13:34 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)

紋章憑き~第二章【戦乙女ワグナスと三神】~

  第二章【戦乙女ワグナスと三神】

 リーンハルス王国へと続く街道の丁度真上を、隼人を背に乗せた乱丸が飛行する。南は『バティスガロ帝国』との国境を越えたところであった。乱丸はかなりの高度を飛んでいるのか、遙か地平線の彼方までよく見える。
 絶景パノラマの景色も見飽きたのか、乱丸の背中の上で仰向けで寝る隼人。二つに分かれた背ビレの間に、上手い具合に収まり寝ていた。背ビレがベッドで言う転落防止の役割を果たすため、乱丸がアクロバティックな飛行をしない限りは、転がり落ちる心配はなさそうだ。
 ここに来た当初は乱丸の背に乗る度に、やれ怖いだ、やれ高いだと、うるさかったのが信じられないくらい、今では余裕を見せていた。

 隼人とラルファが目指す目的の地。王都ログナス。
 賑わう街を見下ろす丘の上に、ジュナルベイル城はあった。
 城門の前、普段であれば二人の衛兵が配置されているのだが、現在は四人に増強されていた。しかもその四人、どうやら只の衛兵ではなさそうだ。黒光りする甲冑に身を包んだ4人の男達は巨大な剣を地に刺し、腕を組む。紫色のマントには『巨の紋章』の刺繍が施されている。王国が誇る『三神』が一人、『巨の紋章憑き』直属の精鋭部隊だと言うことを、それは示していた。
 突然吹いた強い風に煽られ、衛兵達のマントが靡いた。
 四人の衛兵は上空を見上げると、馬に翼を生やした、俗に言うペガサスが三頭、地に降り立とうとしていた。城門を守る衛兵、各々が手を挙げて迎えた。
 小気味よい蹄の音を立て、地に降りたペガサスを前にした衛兵達は、先程まで険しかった表情を緩ませる。いや、正しくはペガサスに跨る女性達を前にして表情を緩ませたと言っておこう。
 申し訳程度に、肩から胸を保護する甲冑を装備した女性達。その姿、戦場に赴く戦士と言うにはあまりにもかけ離れた容姿であった。頭には、純白の羽がふんだんにあしらわれたカチューシャ、唇には薄くルージュが引かれ、甲冑の下は薄手ながら上質な生地で仕立て上げられた水色よりも薄い色をしたワンピース。獣皮と白銀で加工されたハイブーツが無駄にゴツゴツしく、上半身とのギャップを感じさせる。青色のマントには『風の紋章』の刺繍が施されている。この三人の女性もまた、『三神』が一人、『風の紋章憑き』直属の精鋭部隊だと言うことを示していた。
「皆、今日もいつもと変わらぬお美しさで」
「そ、そんな、わたくし達などまだまだ……」
 ペガサスに跨る青髪の女性は頬を桃色に染め、初々しく照れる。
「ご謙遜なさるな。あなた達ペガサス隊の誇る美貌は世界一! これは周知の事実!」
 その言葉に同調した他の男達は、その通りだ、と何度も頷いた。
「わたくし達如きが世界一だなんて……滅相もないお言葉ですわ。世界一、その言葉が許されるのは姫様、そしてナスターシャ様のお二人だけですわ」
「おいおい、世界一なのに二人なのかい?」
 青髪の女性は不思議そうな顔で首を傾げる。
「変ですか? お二人のお美しさに優劣を付けるなんて、わたくし達には大罪を犯すようなものですわ」
「……確かに。違いないな」
 男達は腕を組み、頷いた。
「……だがなぁ、ナスターシャ様は――」
「ナスターシャ様が、どうかなさいましたか?」
「性格が……どうもねぇ」
「性格ですか? すごくお優しいのですが?」
「それはあなた達女性に限ってですよ。俺達男共には血も涙もない。まさに鬼のよう……ゴホン、失礼」
「まあ! 今のお言葉見過ごすことは出来ませんよ?」
 そう言いながらも女性達は口元を手で隠し、小さく笑った。
「こ、ここだけの秘密ってことでお願いしますよ?」
「うーん……考えておきますね? それではこの辺で――」
 青髪の女性はニコリと微笑みを返すと、後ろに引き連れた二人の女性と共に城内へと戻っていった。
「ち、ちょっ! 本当にお願いしますよ! おい! お前らもお願いしろよ!」
「え? オレ言ってないし。思ってもないし」
「オレも」
「ナスターシャ様はいい人だろ。お前がそんな目で見てたのが心底残念でならんよ」
「……てめぇら……」
 男の友情なんて所詮こんなものだ。この国の男性達は、高嶺の花であるペガサス隊のお眼鏡にかなうために、あの手この手と日々努力しているのだ。調子扱いてニヤニヤと喋って墓穴を掘った男に、男達は救いの手など差し伸べない。

 ある一室。そこには円卓の席に着く四人の姿があった。
 中央に座るのは、王国史上最も若くしてリーンハルスを治める『戦乙女の紋章憑き』リリス・アン・コルダトール王女であった。リリスの顔は不安に満ちていた。
 リリスの反対側、向かい合って座るのは、金髪の『火の紋章憑き』アルベセウス。
 リリスの右手側、斜め向かいに座るのは、栗色の長い髪を後ろで結い上げた『風の紋章憑き』ナスターシャ。
 リリスの左手側、斜め向かいに座るのは、赤い髪の『巨の紋章憑き』ガイナ。
 窓が多く、大量の外光が差し込む明るい部屋ではあったが、室内に漂う空気は重く、雰囲気は暗い。
 原因は、それぞれの目の前に置かれた三枚の報告書であった。アルベセウスとガイナの二人は腕を組み、目を閉じ黙る。ナスターシャは、一度目を通した報告書を再び手に取りパラパラと軽く流し見る。
 そんな中、最初に口を開いたのは赤髪のガイナであった。
「いらねぇ問題が増えたねぇ……」
 ガイナは報告書を手に取ると、一枚、二枚、三枚と広げて置き、見せる。
 どうやら報告書には、よろしくないことが書かれているようだ。ガイナは報告書を読んだ上で、一人話を進める。
「ま、この紙に書かれてる通り、『魔の紋章憑き』はもうじきここにやってくるだろう。お前らも既に分かってると思うが、姫様の持つ紋章の力を求めてだ」
「問題無い。私が相手をすればいいだけだ」
 アルベセウスは鼻で笑い一蹴した。
「はっ、お前ならそう言うと思ったよ」
 ガイナは笑う。しかし、すぐに険しい顔に戻る。
「だがな。過信だけは絶対すんじゃねぇぞ? お前はいつも相手を見下す癖があるが、最初から本気でいけ。そしてこの戦いに誇りなんていらねぇ、やばくなったら俺達を呼べ。すぐに呼べ。姫様の持つ紋章の力が外部に漏れることだけは絶対に許されねぇんだからな」
 少しばかり興奮したガイナは、アルベセウスの方に身を乗り出しテーブルをドンと叩いた。
「……『戦乙女ワグナス』の紋章。この紋章を持つ姫様自身には何ら力はない。だが、姫様の伴侶となる契りを交わした者には絶大なる力が与えられる」
 ガイナとアルベセウスの会話に、素知らぬ顔のナスターシャが勝手に割り込んできた。
「心配するな。私もアルベセウスも、何が一番重要であるかくらい分かっているさ」
「……ほんと頼むぜ」
 ガイナはイスに腰を下ろすと、残り二枚の紙を手に取った。
「……問題はこっちだ。東のザマ、西のダンテリューオが同盟を結んだことだ。これは流石にやばいことになるぞ。なんてったってザマには『剣の紋章憑き』、ダンテリューオには『盾の紋章憑き』がいるんだからな。まさかその二人が組むことになるとはな……俺達『三神』が束になっても勝つことは難しいぞ」
「問題無い。ザマとダンテリューオが同盟を結んだとしても、即、我が国へと侵攻を始めることはないだろう。知っての通り、ザマは南のバティスガロと戦争中だ。そんな中でザマが我が国へ攻撃を仕掛けるのは自殺行為と言っていいほど無能で無謀なことだ。十中八九、この二つの国の同盟はバティスガロを一気に叩く為のものであろう」
「……そうだといいんだがな。で? もしそうだとしてだ。アルベセウス、お前はどう思う? あのバティスガロが落ちると思うか?」
「まあ、まず無理だろう。バティスガロにもザマやダンテリューオに引けを取らぬ有能な紋章憑き達が存在する。中でも国王ザンドレッドに、『神子の紋章憑き』である、将軍サイ・ザ・レベリーの戦闘力は桁が違うからな。ただ、剣と盾との紋章憑きを抱えた国同士の同盟が、どれほどの相乗効果を得ることになるのかは私にも分からん。太古の時代、剣と盾の神は一心同体であり、『準・最強』の一人にも数えられていた程だからな」
「んだそれ。結局お前にも分からねぇってことかよ」
「ふっ、そう言うことだ」
「しかし――余所がどうなろうとも、勢力図が変わろうとも、いずれにせよ我が国は世界各国から狙われる宿命なのだ。日々覚悟だけは持っておかねばならない」
 ナスターシャのその言葉に、ガイナとアルベセウスは黙って頷いた。
「皆さんにはいつもご苦労をお掛けして、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです……ごめんなさい」
 不安げな表情で成り行きを傍観していたリリスが、謝罪の言葉を述べ、頭を下げた。
「姫様、お顔をお上げになってください。私達『三神』はおろか、この国の者達全て、姫様に絶対の忠誠を誓っております。故に謝罪の言葉など必要有りません」
 堅苦しい言葉を述べるも、ナスターシャの顔は優しく微笑む。そう、まるで可愛い妹に接するかのように。
「ナスターシャ……ですが」
「ですが、は無ーしっ。俺達を信じな」
 ガイナは明るい笑顔を作る。それは落ち込む妹を元気付けようとする兄のような笑顔。
「ガイナ……」
 リリスの目が潤む。アルベセウスが微笑む。
「姫様は十分すぎるほど頑張っております。まだお若いのに。それこそ、我々が姫様に頭を下げなければならないほどに。だから、我々はもっともっと頑張らなければ。でなければ、それこそ我々『三神』の名が廃れるってものです」
 先程までのクールな表情を一変させたアルベセウスは、先の二人と同様に優しい兄のような顔を見せた。
 若干一四歳の幼き女王。不幸にして両親を亡くし、王位を継いだリリスはまだまだ親の愛に飢えていた。
 そんな幼いリリスをいつも優しく支えてくれるのは、アルベセウス、ガイナ、ナスターシャの三人。リリスの親になることは出来ないが、せめて兄、姉として。
 その思い、語らずともリリスには伝わっていた。
 スカートをキュッと掴んだリリスは、肩を震わせて泣いた。一度流れ始めると止まらない。ボロボロ、ボロボロと涙は零れる。手で何度も何度も拭っても流れる、止まってはくれない。あれ? おかしいなぁ、とみんなに笑ってみせる。これ以上、みんなに心配を掛けさせたくないのに。涙は止まらない。リリスは小さく『ごめんなさい』と言うと、また泣いた。
 ナスターシャはリリスに近づく、気付いたリリスはナスターシャの体に抱きついた。ナスターシャはリリスの震える体をそっと優しく抱きしめる。
「大丈夫。大丈夫ですよ、姫様……」
 リリスは小さく、うん、うん、と頷き、泣き続けた。
 よしよし、と優しく頭を撫でるナスターシャ。
 ガイナとアルベセウスは微笑む。重たかった空気も、いつのまにか穏やかに和んだ空気に変わっていた。しかし、『三神』の内に秘めたる思いは、より強固なものへとなっていた。
[ 2011/08/17 13:24 ] 未設定 | TB(0) | CM(0)
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